第24話 ローストビーフを作ろう
「それじゃあ始めようか」
「はい。よろしくお願いいたします」
「よろしくね、せんぱい!」
翌日の放課後、家庭科室にて弁当作りのレクチャーを始める。
参加者は昨日の通り、蓮を含めて四人、それに加えて顧問として久美子。
顧問とは名ばかりで、実際はローストビーフを目当てに居るだけだなのだが。
久美子はともかく正直凜や美鈴が参加してくれたのは蓮としても有難い。
もし桜季と二人だけで行う場合、昨日の教室のように邪推から根も葉もないことを言われかねなかったのだが、これなら問題はないだろう。
「それじゃあまずは牛肉に調味料を擦り込んでいこうか」
「はい。分かりました」
弁当のメインはローストビーフ。
以前蓮が作って持ってきたローストビーフは桜季と美鈴にも好評であり、桜季の妹も好きとのことだったのでこれにした。
厚切りにしたこれをご飯の上に乗せればそれだけで見た目からして豪華になる。
遠足というイベントを考えても上々だろう。
桜季は秤で塩と胡椒の量を計って小皿へと移していく。
蓮であれば日頃の慣れから目分量で出来るのだが、経験の浅い桜季にとってはそのあたりはしっかりとやった方が良い。
一手間を惜しんで適当なことをすると台無しになるのが料理というものだ。
「えっと、これでいいのでしょうか?」
ビニール手袋をして塩胡椒やニンニクなどを擦り込みながら、蓮を見上げて聞いてくる。
「えっと……よし、大丈夫だ」
「ありがとうございます」
牛ブロック肉にまんべんなく刷り込まれているのを確認して頷く。
凜と美鈴へと目を向けると、どうやらそちらの方も作業が終わったようだ。
そちらも問題ないことを確認してそれぞれ真空パックへと入れていく。
空気を抜いて十五分ほど室温で放置、その間に鍋に水を張って火に掛けたりと次の作業を進めていく。
「ってかローストビーフって放課後みたいな短時間でできるんだねー。アタシ、もっと時間を掛けて作る物だと思ってた」
美鈴がホワイトボードに書かれた手順を見ながら呟く。
「本来であればもっと手間暇かけて作るんだけどな。まあ今回は流石に時間が限られてるから時短レシピだ。それに手間暇かけた分、それに見合った味になるかって言われたらそうじゃないし。それよりも火入れとかでミスしない方が重要だ」
数時間かけて九十点の味を九十一点にするのはタイムパフォーマンスが悪い。
加えて人の味覚は千差万別だ。
テレビによれば、情報無しでグラム数万円の高級肉とその辺りのスーパーで売っているグラム百数十円の肉を食べ比べた際にスーパーの肉の方が美味しいという人もいるらしい。
もちろんそれが悪いことだとは思わないが。
「へーっ。ってことはせんぱいは普段はもっとちゃんと作ってるってこと?」
「ちゃんとって言い方が気になるけどな。まあ浸け置きの時間とかはもっと長いぞ」
「そーなんだ」
「とはいってもおれも普段は学生としての生活もあるからな。手間暇かけるのはあくまでも時間のある休日だけだ」
「そーなんだ。せんぱいって料理テクあるからいつもきっちり作ってるのかと思ってたよ」
「ないない。ってか普段家庭科部で作る時も時短レシピばかりだろうが」
「あ、そー言えば確かに。最初に作ったマドレーヌなんかもホットケーキミックス使ったたよね」
感心したように美鈴が頷く。
実際に新入生に対する部活紹介の時のマドレーヌをはじめとして、基本的に教えるレシピは放課後のクラブ活動用の時短レシピばかりだ。
まあ時短といっても先ほど美鈴に言った通り手間暇をかければ良いというものでもないし、それでも充分に美味しい。
「前にあなたの作ったローストビーフ、美味しかったわーっ!」
鍋の中を眺めながら久美子が口を挟む。
「せんせーもせんぱいのローストビーフ食べたことあるん?」
「ええ。去年にね。この子、たまにご飯食べさせてくれるから」
「食べさせてくれるって言ってるけど、連絡もよこさずいきなりうちに現れて要求するからな、この人」
久美子は蓮と同じく久美子の両親の経営する同じアパートで独り暮らしをしている。
社会人として一人でちゃんと生活できるように、とは両親の言葉だが、蓮の見る限り生活能力が向上しているとは思えない。
むしろ両親の目の届かないのをいいことに、より一層自堕落に拍車がかかっている。
仕事終わりに突発的に連の部屋を訪れて『おなか空いたー! ご飯食べさせてーっ!』などと要求してくることも多々ある。
そんな久美子にいやいやながらも料理を出してしまうのは蓮としても甘いと思っているのだが。
「ちょっ、いいじゃない、別に!」
「良くないです」
「悪かったわよ! それじゃあ今度からはちゃんと連絡するから!」
「そう言って何度も連絡なしに来てますよね。いや、連絡すればいいってわけでもないですけど」
「おぅ……。教師がそれでいいのか……」
呆れたように美鈴が呟く。
その隣では桜季が何と言っていいかわからないような苦笑いを浮かべていた。
「やっぱり先輩と先生って仲が良いですよね」
「ん、まあな」
「ええ。まあ子供と保護者のような関係よね」
「蓮の方が保護者のような感じですけどね」
胸を張って答える久美子に、凜の口から訂正が入る。
どの口で保護者などと寝言をほざいているのかとは蓮も思う。
それを聞いて桜季と美鈴は再び苦笑いを浮かべていた。
「あ、お湯が沸きました」
鍋の中の水が沸騰してきたのを確認した桜季が声を上げる。
「それじゃあ入れていくか。火傷しないように気を付けろよ」
「はい」
鍋の中へとシンクパックに入れたままの牛肉を投入し、落し蓋をする。
二分ほどしたら火を消して、そのまま三十分程度放置して次のステップだ。
本来であれば沸騰したお湯ではなくもっと低温で時間を掛けて調理するのだが、そこは先ほど言った通り時短用に変更する。
「えっと、このままで良いのですか?」
「ああ。落し蓋もしてるしこのままで良いぞ。まあ時々再加熱はするけど」
四つの肉塊を中に入れている為にお湯が冷めるのも早い。
温度を確認しながら再度温める必要もあるが、そこまで手間のかかるものではない。
故にとりあえずローストビーフに関してこの後は手持無沙汰だ。
とはいえその間何もしないというのもなんだし、他のおかずに挑戦することにする。
「それじゃあ茹で終わるまでの間に別の物でも作るか」
「別の物、ですか?」
「ああ。さすがにおかずがローストビーフだけってわけにはいかないだろ? 卵焼きでも作ってみよう」
「あ、はい。分かりました」
「味はどうする? 甘いのが好きとかしょっぱいのが好きとか」
「そうですね。家ではいつもお醤油を掛けて食べています」
「そうか。まあお弁当ってこともあるし、この場合は卵を混ぜる段階で醤油を混ぜておこうか」
「はい」
✿
卵焼き自体はそんなに時間が掛かる料理でもないので一度蓮が見本を作る。
そして蓮の指示通りに桜季が卵焼きを作り始める。
とはいえ卵焼き自体はそこまで難しい料理ではない。
むろん手間暇をかけようと思えば掛けられるのだが、そこまでしなくても良いだろう。
「あっ……」
卵を薄く広げて焼いたところまでは良かったのだが、最後にまとめて巻く際に形が崩れてしまった。
明らかに失敗とわかるそれを見て、桜季は肩を落としてしまう。
「失敗、ですよね……」
「まあな。焼く時に気泡をちゃんと潰してないとこうなりやすい」
「はい」
「それじゃあ食べ比べてみるか。自分で言うのもなんだが、ちゃんと出来た物と食べ比べるのも勉強になるからな」
自画自賛になるかもしれないが、蓮としては桜季よりは美味しく出来たと自負している。
まあ自惚れとは言われないだろう。
そう言ってまず自分で作った方の卵焼きを五等分に切り分ける。
それを爪楊枝に刺し口へ。
「……美味しいです」
「ほんと! せんぱい凄い!」
「うん。美味しいわね」
「ああ。やっぱさすがだな」
四人が口々に褒めてくれる。
美味しいと言ってくれるのは蓮としても嬉しいが、問題はここからだ。
「それじゃあ今度は渡利のを食べてみるか」
気を取り直して、今度は桜季の作った卵焼きを食べていく。
それはそれで普通に食べることはできるのだが、形だけではなく卵焼き自体のふっくらとした加減についても蓮の作った物の方が当然上の出来栄えだ。
「……こんなにも違うのですね。食べ比べてみるとより分かります」
自分で作った物と蓮の出来の差に愕然としてしまう桜季。
「でもサッキーの作ったのも美味しいんだけどね」
落ち込む桜季を横から美鈴がフォローが入る。
実際に桜季の作った卵焼きも普通に食べられる出来栄えだ。
あくまでも蓮の作った物と比較して差があるというだけである。
「ですが、同じように作っても光井先輩の方が美味しいですよね……」
「いやまあそうだけどさ」
美鈴としてもそこは嘘をつかずに正直に答えた。
お世辞を言っても仕方ないとのことだろう。
「やはり技術の差というものを思い知らされた気分です」
「とはいえ分量に関しては失敗してるわけじゃないからな。今回の渡利の問題は……」
桜季の手順における問題を一つずつ洗い出していく。
そしてそれが終わったところで
「さて、今回の問題点が分かったところでまだ卵はあるしもう一度作るか」
「え? 良いのですか?」
顔を上げて驚いた表情で桜季が問い返す。
「ああ、茹であがるまでに時間はまだあるからな。失敗をちゃんと次に活かせればそれでいい。妹に美味しいお弁当を食べさせてあげたいんだろ?」
「は、はい! ありがとうございます!」
蓮の言葉に桜季が勢いよく首を縦に振る。
沈んだ表情から一転して新たな卵焼きに取り組む桜季。
「えっと……さっき失敗したのはかき混ぜる時に……」
今しがた蓮に言われた問題点を一つ一つ確認するように丁寧に作っていく。
その甲斐があったのか、次に作った卵焼きはは蓮の作った物と同じとまではいかない物の、最初に比べればかなり出来が良くなった。
「このくらいなら良いんじゃないのか?」
「はい。ありがとうございました」
「よし。それじゃあ次は――」
その後は他の付け合わせとして人参のナムルと焼きポテトを作り、食器を片付ける。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(ありがとうございます、先輩)
片付けの最中、桜季は再度心の中でお礼を告げる。
『妹に美味しいお弁当を食べさせてあげたいんだろ?』
先程蓮に言われたセリフが脳内で繰り返される。
ただ料理を教えてくれるだけでも感謝しきれないのに、ちゃんと自分の状況を考えて配慮までしてもらえている。
(本当に先輩に出会えて良かった……)
卵焼きに使ったフライパンを洗いながら、目は蓮に奪われていた。




