第21話 早速のお菓子作り
「ただいま」
「あら、おかえりなさい」
「お姉、おかえりー」
帰宅後、桜季は買ってきたキッチン用品の入った袋をそっとテーブルの上に置いた。
ゴムベラ、小さな泡立て器、シリコンの焼き型。
百均とはいえ、見ているだけで少しだけ胸が弾むような気持ちになる。
(これで、少しは上手に作れるかな……)
そんなことを考えてしまう。
「あれ、お姉、何それ?」
「あ、うん。お菓子作りの道具。今日買ってきたんだ」
琴乃にそう答えながら、桜季はゴムベラを手に取り指先でしなる感触を確かめる。
ふと、あの時の蓮の笑顔を思い出すと、胸の奥が少しだけ温かくなる。
「えっ、お姉、家でお菓子作るの!?」
「うん。練習だけどね!」
「すっごい楽しみ! 美味しいのお願いね!」
「あはは。そんなに期待しないで」
期待に満ちた瞳を向けてくる琴乃に、少し照れながら頷く。
この大切な妹が美味しいと思ってくれるような、そんなお菓子を作れたら。
そんなことを思いながら、買ってきた道具を片付けていく。
✿
自室で部屋着に着替えるとリビングへと向かう。
まだ夕食まで時間はある。
「ねえお母さん。マドレーヌ作ってみてもいい?」
「あら、早速?」
テレビを見ていた夏帆が驚いたような声を上げる。
少し恥ずかしながら頷く桜季。
買ってきた道具をすぐに使ってみたくてたまらない欲求が胸に溢れている。
「うん。早く作ってみたくて」
「え、お姉、お菓子作るの!?」
夏帆と琴乃が楽しそうに反応する。
微笑ましそうな視線を向ける夏帆と、期待するように声を上げる琴乃。
桜季はそれを聞きながら、ゆっくりとキッチンに立つ。
器具を洗い、材料を準備。
まず、バターと砂糖を混ぜ合わせる。
ゴムベラを使ってゆっくりと空気を含ませながら混ぜる。
百均とはいえ違和感なく使うことが出来る。
生地が滑らかになっていく様子を見ていると、自然と顔に笑みが浮かぶ。
リビングからは夏帆と琴乃が楽しそうに話す声が聞こえてくる。
何を話しているのかははっきりとは分からない。
けれど、その声の響きだけで、少し安心したような気持ちになる。
道具の使い方、混ぜ方のコツ、作りながら、蓮に教わった内容を思い返す。
先日とは違い今は一人だが、大きな不安はない。
(……光井先輩って、さりげなく助けてくれるんだな)
頭の片隅でそう思いながらも、桜季は気恥ずかしくなり、すぐに思考を作業に戻す。
生地を型に流し込み、オーブンへ。
焼き上がるにつれて、甘い香りが部屋中に漂う。
時間が経過しオーブンから出したマドレーヌは綺麗なきつね色の表面。
ふわりと盛り上がり、指でそっと触れると弾力が伝わる。
桜季は思わず小さく息を吐き、達成感を感じる。
リビングに運ぶと夏帆が目を細め、琴乃も目を輝かせる。
「出来たよ」
「わあ、凄い! 本当に作ったのね」
「いただきます!」
早速三人でマドレーヌを食べる。
一口食べると、口の中に甘い味が広がる。
もしかしたら部活紹介の時に作った物よりも上達しているかもしれない。
一口食べた夏帆が優しい笑顔で頷く。
「うん、ちゃんと美味しいわ」
琴乃もにこにこと微笑みながら頷いた。
「ほんとだ、ふわふわで美味しい!」
桜季は両手で少し胸元を押さえ、ほっと息を吐く。
思わず心の中で先ほどの百均での時間を思い出す。
蓮がちょっとした助言をくれたこと、そのおかげでこんな風に気軽に作れる道具が手元に揃ったこと。
(……先輩、ありがとうございます)
桜季は微かに笑みを浮かべながら、次はどんなお菓子を作ろうかと考えた。
✿
夜、ベッドの中で桜季は、枕元のスマートフォンを手に取った。
キッチンでマドレーヌを焼いた時の香り。
そして美味しいと言ってくれた夏帆と琴乃。
(……光井先輩)
偶然出会ってナンパから助けてくれて、そしてそのままお菓子作りの道具を買うのを手伝ってくれた。
蓮と出会わなければ、今日ここまで辿り着けなかった。
少し迷ってから、メッセージを送る。
『こんばんは 今日、教えてもらった道具でマドレーヌを作ってみました 母と妹が美味しいって言ってくれました 本当にありがとうございました』
送信して画面を見ると、すぐに既読が付いた
数秒後、通知音が鳴りスマホが震える。
『もう作ったのか ちゃんと喜んでもらえて良かったな』
蓮からのメッセージに胸の奥がふっと緩む。
桜季は小さく息を吐き、続けてメッセージを打ちこむ。
『道具も使いやすかったです』
返事は少しだけ間を置いて届く。
『渡利がちゃんと作れたなら問題ない 回数重ねればもっと良くなるよ』
その文面を見つめながら、桜季はスマートフォンを胸に抱いた。
(……不思議だな)
出会ってからまだ間もないただの先輩。
それなのに、言葉一つでこんなにも背中を押される。
『また練習してみます』
『うん 次はもっと喜んでもらえるようにまた頑張ろう』
『はい ありがとうございます おやすみなさい』
『おやすみ』
そこでメッセージのやり取りが終わる。
スマホの画面をブラックアウトさせ、桜季も眠りにつく。
胸の内に温かな物を感じながら。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
メッセージの画面を閉じ、蓮はスマホをテーブルに置いた。
(……ちゃんと作れたんだな)
それが何よりだった。
道具選びの時、桜季はずっと真剣だった。
だからこそ、ちゃんと形になったと聞いて胸の奥が少し軽くなる。
(最初で失敗すると、嫌になるからな)
お菓子作りに限らず、何でもそうだ。
最初につまずくと、向いてない、と思ってしまうことがある。
桜季はそうやって簡単に諦めるタイプではなさそうだが、それでも最初は大事だ。
(これなら大丈夫だな)
回数を重ねれば、きっともっと上手くなる。
今日の成功が、そのまま次に繋がる。
布団に横になり、蓮は目を閉じた。
(ちゃんと喜んでもらえたなら、それで充分だ)
そんなことを考えながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。




