第17話 アルバイトと隣人②
蓮がクッキー生地をオーブンへ入れ終えたタイミングで、背後の陽翔から声を掛けられる。
「蓮、ここまでで一旦いい。今は店内が落ち着いてるから、凜の代わりに接客入れるか?」
「はい。じゃあ交代入ります」
手袋を外して凜の下へ。
凜の方も丁度お客も捌けたタイミングで、カウンターへと出てきた蓮に気付く。
「おう、どうした?」
「こっち代わるよ。そろそろ小休憩入った方がいいって」
「そっか。サンキュー」
凜は嬉しそうに笑い、蓮とハイタッチ。
軽く引継ぎだけしてバックヤードへと向かう。
「お茶菓子はあるのか?」
「おれの作ったビスキュイ・ジョコンドがあるはずだぞ。食われてなければ」
「よしっ。楽しみだ」
エクラ・デュ・マタンの休憩室には、その日に失敗した菓子や、試作品の余りが置かれていることもある。
休憩中の楽しみの一つだ。
今日のお菓子であるビスキュイ・ジョコンドは、アーモンドの風味が豊かな薄いスポンジ生地で、薄く焼いても割れにくい扱いやすさを持つ。
その特徴からムースケーキやオペラの層として使われることも多く、生地そのものが滑らかに馴染んで全体の一体感を作る。
甘さは控えめで、他のクリームやムースの味わいを引き立てるのが特徴だ。
今日はそれを使ってクリームサンドのように仕上げてみた。
「後で感想聞かせろよ?」
「仕事終わってからな」
「分かってるって」
そんなやり取りを終え凜を見送ると、蓮はカウンター側へ立つ。
ガラスケースへと目を向けると相変わらず様々な種類のケーキが並び、照明に照らされて輝いて見えた。
(やっぱ、さすがだよな)
蓮自身もお菓子は作れるし、店のケーキ作りも手伝っている。
しかし、当然ながら陽翔ほどの腕は持っていないし、こうして陽翔が仕上げた品を見ると、その凄さが良く分かる。
そのタイミングでベルが軽やかに鳴り、来店客が来たことを知らせる。
蓮はすっと姿勢を正し、視線を向ける。
「あら……?」
訪れた客は、蓮を見て不思議そうにそう声を漏らした。
上品な雰囲気の中年女性。
深いワインレッドのコートに、落ち着いたベージュのバッグ。
柔らかな微笑で蓮を見つめるその女性の姿には、どこか見覚えがある。
(あ…………)
――いや、見覚えがあるのも当然だ。
先日の春休みに蓮の住むアパートの隣の部屋に越して来た住人。
すれ違うたびに丁寧に会釈してくれる、人当たりの良い女性だ。
何度か会ううちに、蓮も世間話をしたことがある。
その際に自炊していると伝えたところ、大変驚き、そして褒められた。
「あの……もしかしなくてもお隣さん?」
「はい。いつも挨拶してくださる……ですよね?」
「ふふ。やっぱり。こんなところで会うなんて偶然ね」
楽しそうに目を細める女性。
その柔らかい雰囲気に、蓮は少し照れながら言葉を返す。
「ええと……本日はご来店ありがとうございます」
「そんなにかしこまらなくても大丈夫よ」
クスリと笑われ、蓮は恥ずかしさから何とも言えなくなってしまう。
女性はゆっくりとショーケースに近づき、並ぶケーキを眺める。
「それじゃあ店員さん。おすすめを教えていただける?」
女性の言葉に、蓮は店員としてのスイッチを入れる。
顔見知りである女性であろうとお客はお客。
適当な接客など許されない。
「でしたら、季節限定の春のタルトが人気です。苺や桜の花、ルバーブなど春の果物や素材を使ったタルトです。サクサクのタルト生地に軽いクリームとフルーツをのせ、甘酸っぱく爽やかな味わいが楽しめます。季節限定の商品で、今の時期だけお召し上がりいただけます」
「あら、説明が上手ね。思わず買いたくなるわ」
蓮の説明に女性がなるほどと頷く。
不思議と居心地が悪くなく、むしろ落ち着く。
「他の商品を教えていただける?」
「はい。定番ですとやはりイチゴのショートケーキです。ふわふわのスポンジに軽い生クリームをサンドし、旬の苺をたっぷり載せました。甘さ控えめで苺の酸味とクリームのまろやかさが絶妙に合います」
「そうなの。それも美味しそうね」
「甘さ控えめな商品としては、ガトーショコラがございます。当店では厳選したカカオをたっぷり使用し、外は香ばしく、中はしっとり濃厚に仕上げています。口に入れると滑らかにほどけ、ビターな味わいとほのかな甘みが絶妙に広がります」
「あら、それも美味しそう。それじゃあ今の三種類のケーキを一つずついただこうかしら」
「かしこまりました」
レジを操作し、代金を計算。
電子決済可能なセルフレジなので、女性が決済している間に包装作業を始めることにする。
蓮が包装作業を始めると、女性はせかすでもなく微笑みながら待ってくれている。
「あなた、こんなにしっかりしてるのね。確か高校二年生……よね?」
「はい。高校二年です」
「ええ。丁寧で、落ち着いてて……大人みたい」
その言葉に、蓮は思わず手を止める。
褒められて照れる、なんて年でもないのに少し恥ずかしくなってしまう。
「……ありがとうございます」
「こちらこそ。アパートの外でもこうして話せて良かったわ」
保冷剤と共に包装を終え、袋を手渡す。
女性は受け取りながら、柔らかく礼を言った。
「ありがとう。また来るわね」
「お待ちしております」
再びベルが鳴き、扉が閉まる。
去った女性を見送りながら、蓮は胸の奥に残る余韻をゆっくり噛みしめた。
たった数分の会話なのに、どこか嬉しさや楽しさが残っていた。
✿
十四時を過ぎ、本日のアルバイトは終わり。
蓮と凜が引継ぎを終え、制服のまま休憩室でコーヒーを飲みながら軽い雑談をしていると、そこへ旭がやって来た。
「二人共お疲れ様」
「うん。お疲れ様」
「お疲れ様です」
旭もコーヒーを用意し、椅子に座る。
もっとも旭の方は仕事は終わっておらず、単なる小休憩だが。
「二人共、二年生になってどう? 学校は」
「んー、と言っても単に学年上がっただけだしね」
「そうっすねー。現状維持ですよ」
二人の言葉を旭はうんうんと頷きながらコーヒーを飲みながら聞いている。
「でも、二年生になって後輩が出来たんじゃないの? 家庭科部の方はどう?」
その言葉に蓮と凜はしばし顔を見合わせる。
つい先日も楽しく部活を行ったばかりだ。
「女子が四人入って来たよ。残念ながら男子はゼロだけど」
「あら、そうなの? どんな子?」
旭の言葉に、蓮は先日の部活のことを思い出す。
特に、あの二人のことを。
ひょんなことから知り合って、その流れで体験入部のようなことをして、そして正式に入部して。
最初は粉の混ぜ方もぎこちなかった桜季と美鈴。
しかし初心者ながら一生懸命に取り組み、自分で作ったお菓子を食べて喜んでいた。
「まだ全員は把握しきれてないけど、でも……そうだね、真面目な頑張り屋さんかな?」
「あ、確かに」
「そうなの?」
興味深そうに頷く旭。
「お菓子作りは初心者だけど、真剣に取り組んでさ。家族にお菓子を作ってあげたいって。ホントに真面目。あれならすぐに上達すると思う」
「その友達の子は、一緒の方が心強いっしょ、って言って。それにお菓子作りってちょっと憧れてたって言ってましたね」
「あら、素敵な子達じゃない」
楽しそうに旭が笑う。
そんな旭の言葉を聞きながら、蓮もコーヒーを飲みながら考える。
(……素敵、か)
確かにそうだろう。
家族のことを思い真剣に取り組むその姿勢。。
褒めたときに少しだけ頬が緩んで、しかしすぐに引っ込めるあの表情。
そんなことを考えていると、凜が笑いながら口を開く。
「あー、そうそう。蓮、その子に慕われてるんすよ」
「は?」
いきなりの言葉に蓮は眉をひそめる。
凜はわざとらしく肩をすくめ、旭の反応を楽しむように続けた。
「いやだってこの前の部活、作ったクッキーが硬くってさ。それを蓮がアレンジしたら、その目が『凄い』ってなってたぞ?」
「あらそうなの? それで、蓮はどう思ってるの?」
凜の言葉に旭は即座に食いつく。
コップを置き、目を輝かせて身を乗り出してくる。
「なんか誤解してるっぽいけど、姉さんの考えてることは……何も思ってないよ。まだ入部したてなんだし」
「あらあら」
クスリと笑いながら苦笑する旭。
とはいえ蓮としても、旭が本気でそのようなことを考えていたわけではないのは分かる。
そんな空気の中、凜が少し真面目な声で言った。
「でも、いいよな。ああやって一生懸命な子が入ってくれて。正直、全然やる気ないやつが入ってくることも考えてたし」
「少なくともあの二人は違ったな。あのクッキーの硬さで笑って終わらず、次どうしたらいいか考えるタイプ」
「蓮も嬉しそうだったしな?」
「まあな」
即答した蓮に、凜と旭は同時に吹き出した。
蓮は少し居心地が悪く、目を逸らしてしまう。
「はいはい、照れなくていいのに〜」
「照れてない」
「じゃ、次の部活楽しみだな?」
凜の言い方はあえて軽い調子で、でもどこか本気を含んでいる。
蓮も内心を隠すように、一度深呼吸してから答えた。
「……まあ、あの二人が頑張ってるなら、こっちも教えるの楽しみだよ」
胸の奥がゆっくりと温まる。
今までよりも『この部活が少し楽しみになる』という感覚が徐々に芽生え始めている。
「つか、この後も予定有るんだし、そろそろ着替えようぜ。人気先輩さん?」
「うっさい」
そう返しつつも、蓮の胸は少しだけ弾んでいた。
次の部活が、ほんの少し楽しみを増すくらいには。




