第15話 家庭科部の活動③ ~クッキーのアレンジと、お礼のメッセージ~
桜季はミトンをつけた手で、そっとオーブンの扉を開けた。
バターの香りと、ほんの少し焦げたような香りが鼻をくすぐる。
「いい香り……」
「うん! 美味しそうだよね!」
美鈴を身を乗り出して、オーブンの中を覗き込む。
慎重にオーブンからトレーを取り出し、各ペア毎に皿へと移す。
「いただきます」
「いただきまーす!」
桜季は少し緊張しながら、しかしわくわくした気持ちも混じったままクッキーを手に取る。
表面はほんのりきつね色で、端は少し焼き色が濃くなっている。
緊張した面持ちで、隣の美鈴は楽しそうに笑いながら、二人でクッキーを口へと運んだ。
口に入れると甘さがじんわりと広がる。
バターの香りと砂糖の甘み。
「美味しいね、サッキー!」
「うん。だけど……少し硬いかな……?」
確かにクッキーは美味しいのだが、噛み続けると少し硬く、もぐもぐと噛む時間が長くなる。
先程蓮達が作ったクッキーに比べれば、差は歴然だ。
「あ、ホントだ。確かにちょっと硬いかも。でも味は大丈夫じゃない? 初めて作った割には結構上出来でしょ」
「うん……」
美鈴の言葉に、桜季は少し顔を落とす。
確かに美味しい、しかし、これでは――
「サッキー、どしたん?」
心配そうにのぞき込んでくる美鈴の顔を見て、慌てて桜季は顔を上げる。
「あ、大丈夫だよ。ただ、もっとサクッとしたのが理想だったなって」
「まあ、初日だしね。失敗も経験だって! それにそんなに大きな失敗じゃないだろうしさ」
「……そうだね」
肩をすくめて笑いながら、美鈴の言葉に同意する。
このクッキーの味はそこまで悪くない。
しかし、これを母と妹に食べさせるとなると――
そう悩んでいると、蓮がこちらへと歩いて来た。
「味はどうだった?」
桜季と美鈴、それに美夜と杏奈の一年生ペアへの質問。
「えっと、味は悪くはないと思うんですけれど、少し硬いです」
隠しても仕方がないので出来栄えを正直に告げる。
「私達の方はぽろぽろと崩れやすくなってしまいました」
もう片方のペアもそこまで上手には出来なかったらしい。
すると蓮はふむ、と頷く。
「一つ、味見して良いか?」
「あ、はい」
桜季が頷くと、蓮はクッキーを一つ取って口へと含む。
もぐもぐと考えるように食べ、ゆっくりと口を開いた。
「うん。確かに硬いけど、味は悪くないだろ。一応、成功と言って良いんじゃないか?」
「え、は、はい……」
「やった! ほら。せんぱいも味は悪くないってさ」
美鈴もうんうんと頷く。
その間、蓮はもう片方のペアのクッキーも一つ味見していた。
「硬いのは、クッキーの厚みにムラがあったのが原因だな。厚みが違えば当然、熱の入り方も違ってくるわけだし」
蓮の言葉にクッキーを確認すると、確かにそれぞれで厚みが違う。
生地を平らにする時の工程が甘かったのだろう。
そして蓮は崩れやすかった方の問題点もすぐに上げて、そして一つ提案をした。
「というわけで、アレンジしてみても良いか?」
「え? アレンジですか?」
「どゆこと?」
桜季は美鈴と二人で首をかしげる。
美夜と杏奈の方もポカンとしていた。
「そうだな……。ちょっと支度するから……凜、ちょっと来てくれ」
「ん……? どうした?」
二、三年生の出来栄えを確認していた凜を蓮が呼び、そして小声で何事かを伝える。
話を終えると、蓮は冷蔵庫の方へと歩いていった。
一方で残った凜がこちらへと向き直る。
「よし。それじゃあアレンジの準備として、クッキーを簡単に砕くか」
「え? 砕くのですか?」
「せっかく作ったのに?」
不思議に思い問いかけるが、凜は笑って棚の方へと向かう。
少しすると、ジップロックとめん棒を持ってきた。
「ほら、この中にクッキーを入れて、そして叩いてみろ。粉々にする必要はないからな」
「は、はい……」
「うん、りょーかい。ほらサッキー、やろっ!」
桜季の不安を打ち消すように、美鈴が楽し気に頷く。
「ほら、別に心配する必要なんてないって。アタシ達よりも遥かに上手なせんぱい達がそう言ってるんだからさ」
「……うん、そうだよね」
確かに蓮も凜も、自分達よりもよほどお菓子作りが得意だ。
であれば、今はただ素直に従うだけ。
そう考えて、凜の指示通りにクッキーを砕いていく。
砕き終えると、蓮が茶色の液体の入ったボウルを二組持ってきて、それぞれのペアへと渡す。
桜季が中を確認すると、どうやらチョコレートのようだった。
「この中に、今砕いたクッキーを入れて、そして混ぜてくれ」
蓮の指示通りにクッキーを入れ、混ぜていく。
「焦らず均等に混ぜて」
「は、はい……!」
しばらくしてチョコレートにクッキーを混ぜ終えた。
茶色のチョコレート生地の中に、粒々のクッキーの破片が顔をちょこんと出している。
「それじゃあ型に入れて冷やしていこう」
お菓子を作る時に使う紙カップをトレーの上に並べ、その中へチョコレートを流し込んでいく。
そして冷蔵庫へ。
✿
しばらく時間を潰し、冷蔵庫から先ほどのチョコレートを取り出す。
見た目はしっかりと固まっており、少し光沢を帯びて輝いているように見えた。
「ちゃんと固まってる……」
「うん! なんかすっげーっ!」
美鈴も隣で興奮したように紙カップへと目を向ける。
美夜と杏奈の二人も、美味しそう、と目を輝かせていた。
紙カップの端を摘まみ、型から取り出してそっと口へと運ぶ。
「んんっ……!?」
口の中でチョコレートと、まぎれもなく先ほど自分達の作ったクッキーの味がした。
砕いたことによりクッキーの硬さは気にならず、むしろその触感が良いアクセントになっている。
「美味しい! さっきのよりも全然食べやすい!」
「ほんとだ……。凄い、さっきのクッキーがこんなに……」
硬かったクッキーがリメイクされ、立派なお菓子に変わった。
まるで魔法のよう、そんなことを思ってしまう。
「気に入ってくれて良かったよ」
「うん! せんぱいすげーっ!」
「はい。ありがとうございます。とても美味しいです」
「ありがとうございます」
「すごいですね」
一年生四人揃って蓮と凜に頭を下げる。
それに対し、蓮も凜も笑って頷いていた。
✿
その後、出来上がったチョコレートクランチを袋に詰め、後片付けをして部活が終了する。
「先輩。本当にありがとうございました」
帰り際、桜季は再び蓮へと頭を下げた。
それに対し蓮は優しい笑みを返してくれる。
「気にするなって。この前に言っただろ? 『渡利が真剣に料理が上達したいって言うのであれば、おれは力になる』ってな」
「あ…………」
先日の昼食時の会話。
約束ともいえないそれを、蓮は忘れずに守ってくれた。
その事実を桜季は嬉しく思うと共に、本当に頭が下がる思いだ。
「やっぱりさ、一番最初の思い出は成功体験であってほしいから。渡利が美味しいって思ってくれて良かったよ」
「ありがとうございます、先輩」
再び頭を下げて、今度こそ桜季は美鈴と共に家庭科室を後にした。
✿
放課後の部活を終えて帰宅した桜季が玄関の扉を開けると、家の中に良い香りが漂っているのを感じた。
先程家庭科部で作ったのとはまた別の、それでいて慣れ親しんだ香りがキッチンから漂ってくる。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「お姉、おかえりー」
もうすぐ夕食の時間ということで、いいタイミングで帰って来たようだ。
その後三人で食事を終えた後、夏帆が思い出したように口を開く。
「桜季。今日は帰りが遅かったけど部活だったの?」
「うん、クッキーを作ったんだ」
桜季は袋に入ったチョコクランチを取り出し、少し照れくさそうに差し出す。
「良かったら食べてみて」
「あれ、クッキーじゃないの?」
不思議そうに問いかけて来る琴乃に、桜季は苦笑して理由を説明する。
「あ、うん。少し硬かったから、それを先輩がアレンジしてくれたんだ。中に入ってるクッキー、わたしが作ったんだよ」
「そうなの。それじゃあいただきます」
「いっただきまーす! ……うん、これ美味しい! お姉、ありがと!」
「ええ、とても美味しいわ」
はしゃぐ琴乃とゆっくりと味わい食べる夏帆。
「さくさくでチョコも甘くて、最高!」
もう一つに手を伸ばす琴乃を見ながら、桜季も一つ口に含む。
部活で食べた物と同じく、とても優しい味がした。
そのまま三人で談笑しながら、チョコクランチを食べていく。
(自分が作ったクッキーを使ったお菓子を、こんなに美味しいって言ってもらえるなんて……)
自分の力だけでならここまで喜んでくれなかっただろう。
蓮が、自分の拙い努力を受け止めて、家族に喜んでもらえるようにしてくれた。
尊敬と感謝、そしてほんの少しの憧れを感じながら、桜季はもう一つチョコクランチを口へと運んだ。
✿
食後、部屋に戻った桜季はスマホを手に取り、蓮へとメッセージを打ちこむ。
『今日のチョコクランチ、家族に食べてもらったらとても喜んでくれました さくさくで美味しいって言ってもらえて嬉しかったです』
送信ボタンを押すと、すぐに既読が付き返信が返ってきた。
『それは良かった やっぱり自分の作ったものを誰かに喜んでもらえるのって嬉しいよな 次も喜んで貰えるように頑張ろう』
桜季は画面を見て、自然と顔が緩む。
(……光井先輩もそう思ってくれるんだ)
思わず小さく笑いながら、返信を打ちかける。
だが、その前にふと思った。
(えっと……わたしと先輩って仲が良いのかな? でも、あまり親しすぎるのも失礼かもしれないし、長く送りすぎるのも変かな……?)
結局桜季は、短くてシンプルな返事に落ち着いた。
『ありがとうございます 次も頑張ります』
送信すると、なんだか胸の奥が暖かくなるのを感じた。
部活で学んだことが、家族にも伝わった。
そんな小さな嬉しさが、桜季の一日をふわりと締めくくった。
(ありがとうございます、先輩)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
蓮は自室の机に向かい、明日の予習に精を出していた。
一息つこうとしたところでスマホが震え、画面を見ると桜季からのメッセージが届いていた。
『今日のチョコクランチ、家族に食べてもらったらとても喜んでくれました さくさくで美味しいって言ってもらえて嬉しかったです』
画面を見てクスリと微笑む。
短い文章ながらも、喜びや達成感を感じているであろうことが分かる。
放課後、家庭科室で緊張しながらもクッキーを作っていた様子や硬いクッキーに戸惑っていたことを思い出し、自然と口元が緩んだ。
『それは良かった やっぱり自分の作ったものを誰かに喜んでもらえるのって嬉しいよな 次も喜んで貰えるように頑張ろう』
送信を押すとすぐに既読がつく。
蓮は少し椅子にもたれ、天井を見上げる。
桜季の作ったクッキーは家族に喜ばれたと――そう桜季が感じてくれたことがとても嬉しい。
(自分の作ったものを誰かが美味しいって思ってくれるのは、嬉しいからな……)
ただ、桜季が喜んでくれた。
それで充分だ。
『ありがとうございます 次も頑張ります』
蓮は自然と小さく笑みを浮かべ、桜季が家族に褒められて喜んでいる場面を頭に思い浮かべてみる。
想像の中の桜季の笑顔はとても眩しくて、再びあの笑顔を見たいと――
(いや、何考えてんだよ。ってかおれと渡利はただの部活の先輩後輩。……とはいえ、こうして夜にメッセージのやり取りするって考えると、友達? いや、少し仲の良い先輩後輩か?)
ブンブンと頭を振って、思考を落ち着ける。
あの真剣に話を聞き、作業に取り組んでいた姿が頭に浮かぶ。
仲が良いのかどうか――そんなことを考える必要はないのかもしれない。
(よし。次も喜んでもらえるように、またしっかりと教えよう)




