第10話 家族に美味しいと言ってもらえて
「ただいまー」
「あ、お姉、おかえりー」
「桜季、おかえり。今日は少し遅かったのね」
桜季がアパートへ帰ると、妹の琴乃と母の夏帆の声が迎えてくれる。
リビングの扉を開くと、ソファーに座ってくつろいでいる琴乃とキッチンで料理をしている夏帆の姿があった。
「もうすぐご飯の準備が出来るから、手を洗って着替えて来て」
「うん」
桜季は言われた通り着替える為に、自室(琴乃と共用だが)へと向かう。
鞄を置いて、その鞄の中に入っている物をそっと取り出す。
家庭科部で作ったマドレーヌ。
それをそっと別の袋に入れ、桜季は部屋を出た。
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夕食を食べ終えた後、桜季はそっと包装されたそれを取り出す。
本日の放課後に家庭科部で作ったマドレーヌ。
帰り道もずっとこれのことを考えていて、早く二人に食べてもらいたいと胸が高鳴っていた。
「ねえ、お母さん、琴乃。これ……今日、学校で作ったの。食べてみてくれる?」
本当に美味しいと言ってくれるのか、微妙な顔をされないのか、緊張しながら袋を差し出す。
差し出された袋に、夏帆は驚いたように目を丸くする。
「まぁ、桜季が? お菓子なんて珍しいわね」
「えっ、なにこれ?」
琴乃も椅子から身を乗り出す。
二人の反応に驚きながらも、桜季は皿を用意してマドレーヌを並べる。
焼き色の違うもの、ちょっと形が崩れたもの。
それぞれ不揃いだったが、並べてみるとなんだか愛嬌があった。
「いただきます!」
琴乃が一番に手を伸ばし、ぱくりと口に入れる。
次の瞬間、目を輝かせて叫んだ。
「美味しい! 凄いよ、お姉!」
「ほんと?」
琴乃の言葉に桜季は思わず身を乗り出す。
夏帆も一口かじり、にっこりと微笑んだ。
「うん。美味しいわ。ちょっと甘さ控えめで、食べやすいわね。これなら何個でもいけちゃいそう」
「……良かった」
二人の感想を聞いて、胸の奥がじんわりと温かくなる。
部活で味見はしたものの、正直そこまで自信はなかった。
蓮の作った物に比べると焦げ跡もあるし、形も崩れている。
それでもこうして美味しいと言ってもらえると、心から嬉しくなる。
「でもどうしたの? いきなりお菓子なんて」
「うん。放課後に家庭科部にお邪魔させてもらって作ったんだ」
二つ目を食べながら問いかけてくる夏帆に、桜季もマドレーヌを食べながら答える。
琴乃はもう一つ手に取って頬張りながら
「ねぇねぇ、また作ってきて!」
と無邪気にせがんでくる。
そんな琴乃に桜季は少し残念そうに答える。
「でも、わたしは家庭科部に入ったわけじゃないから」
「そうなの? じゃあなんで?」
きょとんとした目で問いかけてくる琴乃に、桜季は今日の放課後の出来事を思い出しながら、ゆっくりと説明する。
「ちょっと偶然、家庭科部の先輩と知り合って。それでね」
「ふーん。あ、だったら正式に入部しちゃえば?」
「え?」
琴乃の提案に桜季は少し考えてみる。
確かに家庭科部に入れば、このような機会も再び訪れるだろう。
「いいんじゃない? 別に私達のことは気にしないで良いのよ」
夏帆も琴乃の提案を肯定的に捉え、背中を押してくる。
とはいえ、これだけで入部を決めるのも早計だ。
もう少しだけ、ちゃんと考えてみたい。
「ちょっと考えてみるね。あ、そうだ。お礼しなきゃ」
マドレーヌを平らげて満足そうにしている二人を横目に、桜季はスマホを取り出した。
少し迷ったが、画面に文字を打ち込む。
『今日はありがとうございました マドレーヌ、家族がとても喜んでくれました』
送信ボタンを押した瞬間、胸の奥がくすぐったくなる。
出会ってすぐの相手に対し、こんな感じでお礼のメッセージを送るのはなんだか不思議な感覚だった。
数十秒も経たないうちにスマホが震えた。
画面を見ると、もう返信が来ている。
『それは良かった 渡利が一生懸命作ったからだと思う また機会があったら家庭科室まで来てくれ』
読み終えたとたん、桜季の唇から小さな笑みがこぼれた。
自然と頬が緩んでしまう。
「ふーん。お姉、誰とやり取りしてるのかなー?」
気付けば琴乃が横から顔を覗き込んできて、にやにやと口角を上げている。
「ただの部活の先輩にお礼を――」
「へぇ〜、ただの先輩相手に、そんなに嬉しそうに笑っちゃうんだ? あ、もしかしてその先輩って男の人?」
琴乃のからかいに桜季の顔が一気に赤くなる。
慌ててスマホを伏せたが、にやにや笑う妹の視線はごまかしようがなかった。
「え、マジで? 本当に男の人なんだ!」
驚きと楽しさの入り混じった表情で琴乃が見つめてくる。
「そ、そうだけど……。でも、別に今の時代は男の人でもお料理はするし……!」
言いながら話の論点を逸らそうとする。
しかしこの妹はそうは問屋が卸さなかった。
「いやいや。別に男の人が料理するのがおかしいって言ってるわけじゃないよ。ただ、お姉が男子とメッセージのやり取りするなんてねぇ」
「う、うるさい! ほんとにただのお礼だから!」
「ふーん。はいはい、ただのお礼、ね」
「ほらほら二人共。そのくらいにして後片付けしてしまいなさい」
含むところがありそうな琴乃を夏帆がゆっくりとなだめた為、ひとまず難を逃れる。
夏帆の言葉に琴乃は笑いをこらえながら食器を片付け始める。
一方の桜季は、スマホを胸に抱えながら、先程の短い返信を何度も頭の中で繰り返していた。
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夜、二段ベッドの上から、琴乃が小さな声で呟く。
「お姉のマドレーヌ、やっぱり美味しかったなー」
その声を聞いて、桜季は自然と微笑んでしまう。
「そう? 良かった。喜んでくれて」
「うん! また作ってね! 家で作るんならあたしも手伝うから!」
「じゃあ、今度お家で一緒に作ろうか」
桜季は嬉しそうに返事を返す。
自分の作ったお菓子で、こんな風に琴乃が楽しそうにしてくれるのが本当に嬉しかった。
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電気を消して静かになった部屋で、琴乃の寝息が聞こえ始める。
桜季は枕元のスマホを手に取り、光で琴乃を起こさないように布団をかぶる。
そして先ほどの蓮とのやり取りを眺める。
『今日はありがとうございました マドレーヌ、家族がとても喜んでくれました』
『それは良かった 渡利が一生懸命作ったからだと思う また機会があったら家庭科室まで来てくれ』
短い文章だったが、胸の奥がじんわり温かくなる。
今日の一日のことが少し特別に感じられる瞬間だった。
布団の中でスマホを手元に置き、何度もその返信を見返す。
『また機会があったら家庭科室まで来てくれ』
それを読んで、ふと、家庭科部に入ってみるのも悪くないかな、と考えた。
料理を学べて、少し楽しい時間も過ごせる。
今日のことを思い返すだけで、心がほんの少し和む。
(光井先輩……、か…………)
蓮の顔が、出会いが頭に浮かぶ。
道に迷っている自分達に道を教えてくれて。
荷物を持つのを手伝ってくれて。
むしろこちらがお礼をすべきなのに、逆に家庭科部でお菓子をご馳走になって、お菓子の作り方を教えて貰えて。
そして、母と妹の笑顔を見せてくれて。
手際良く自然に動く姿、短いやり取りで感じた優しさ。
(義理チョコキング、か)
久美子の言っていた蓮のあだ名を思い出してくすりと笑う。
たしかにあの先輩にはピッタリなあだ名だろう。
(とても優しかったな……。わたしも、あんな人になれればな)
思わず微笑む。
心地良くて、少し嬉しい気持ちになる……そんな感覚。
スマホをそっとスタンドに置くと、今日の温かい気持ちと明日への少しの期待を胸に、小さく息を吐きながら目を閉じた。




