第1話-6 鐘無き開戦
ザイロが意識を失ったあと、ハインツの家に運ばれて、そこで丸一日眠っていた。
作った壁は決壊することなく、村は無事だった。
「夜な夜な呻きやがって、眠れんかったわ」
ハインツに目覚めてすぐにそんなふうなことを言われたが、顔は嬉しそうに笑っていた。
目覚めて次の日からは、家の中だけではあるがハインツの作業の手伝いをしていた。
食欲もあり、三日もするとほぼ完全に回復していた。
問題は、イリオだ。
教会を失った彼女は、ザイロと一緒にハインツの家に世話になっていた。
息子達が村の外で働いているらしく、空き部屋は多い。
昼飯のためにパンの乗った皿を持ったザイロは、その一つのドアをノックした。
「イリオ。入っていいか?」
中からか細く、どうぞ、と声が聞こえた。
ドアを開くと、窓際の椅子に腰掛けるイリオが見えた。
窓の外に向いていた目が、ゆっくりとザイロの方へと向く。
その目から、完全に光が失われていた。
村の皆は教会が潰れてしまって、そのショックだと思っているが、実際はそうじゃない。
本当は村を危険にさらした、自責の念からだ。
「パン、持ってきたぞ」
「ああ……ありがとうございます」
声は小さく、表情は動かない。
隣にある机の上には朝食が手がつけられず、置かれてあった。その隣にパンを置く。
彼女はザイロが気を失っているときも、目覚めてからも何も食べていなかった。
時折、水を飲む程度で、その他の時間は眠ることすらなく、虚ろな目でただ窓の外をじっと眺めているだけだ。
「なあ、何か食べろよ。ハインツさんも心配しているぞ」
「そうですか。でも、食欲がなくて。すいません」
返事はあるが、その言葉に抑揚がなく、気持ちがこもっていないのを感じる。
この適当な意味のない会話も、もう何度目か。
痺れを切らしたザイロは、イリオの視界を妨げるように窓の前に立った。
「イリオ……色々とショックだったのはわかる。でも、このままじゃほんとに死ぬぞ。草木じゃないんだ。水と日光だけじゃ生きられない。せめてパンでも食べてくれ」
イリオは視線をゆっくりと上げて、ザイロと目を見合わせる。
「そうですね……食べろと言うのであれば、食べましょうか?」
その投げやりな返事に、ザイロは流石にムカっとした。
「何だよ、それ」
「私に生きている価値はありません。自分の身勝手な思いでこの村を危険にさらしました」
「でも村は無事だ」
「ザイロさんがたまたま居てくれたからです。ですから、ザイロさんは恩人です。あなたが食べろというのであれば、食べます」
イリオが死期の近い老婆のように、震える両足で立ち上がろうとすると「やめろ」とザイロは制止する。
「もういい、無理しなくても……食べられそうなら、食べてくれ」
「ええ、わかりました」
重い溜息を漏らしながら、椅子に座り、手のつけられていない朝食を机の上においた。
どうしたものか。
眉間に手を当て思案するも、答えは出ない。
「今日も食べんか」
声がして隣に目をやると、休憩中のハインツが部屋に入ってきた。「ちょうどいい。俺の昼飯を準備する手間が省けた」
「すいません。今日は食べるように言ったんですが」
「いい、お前のせいじゃない」
ハインツも同じように、重い溜息を落として椅子に座った。
朝食を見つめながら、何かを考えるように頷くと「ザイロ……お前は村をでろ」といった。
突然のことに驚いたが「はい、わかりました」と次の瞬間には答えていた。
村にはできるだけ残っていたいが、長くはいれない事情があった。
転生者の件もさることながら、土砂崩れのことだ。
命がけで助けたことは伝わっているが、そもそも土砂の原因がザイロではないのかとの噂もたっている。
村の住民は敵と味方。おおよそ半々といったところだ。
「あの土砂も、イリオちゃんも、お前のせいじゃないことはわかってる」
とハインツは言ってくれた。「なにか事情があったんだろう。だが、お前はここに来て半年もない男だ。不安がる奴も居て当然だ」
ハインツには転生者のことも、イリオのことも言っていないが、なんとなく事情があることを察してくれている。
「急だが、明日の朝にはでろ……お前を匿っていると良くない顔をするやつもいるからな」
「はい。すいません、迷惑ばかりかけて」
ハインツはフンと鼻を鳴らしてみせた。
「かけられすぎて、どれだけ貸しがあるのかも忘れた。気にせず出ていけ……それとーー」
ハインツはかしこまったように、ザイロの目を見つめた。「これは俺からの願いだ。イリオちゃんを連れて行け」
ザイロは苦い顔をして、視線をそらした。
「いや、俺じゃあどうしようも」
「お前で無理なら、俺ならなおさら無理だ。ここに居ても、イリオちゃんは死んでいくだけだろう。先の短いジジイの願いだ……頼む」
部屋はロウソクも着いておらず暗い。
それでも、イリオは暗闇の中で夜空の月をじっと見つめていた。
いつもの光景だ。
その様子を火の着いた燭台を持ったザイロが眺めている。
「イリオ」
名を呼ぶも返事はない。それでも、ザイロは続ける。「明日の朝、俺はこの村を出る。イリオ、一緒に行かないか」
「ザイロさんが、来いと言うのであれば」
無機質で、淡白な返事が返ってきた。
「そんな理由なら、来ないでいい」
ザイロも努めて冷静に答え、本来イリオが眠るはずであったベッドに腰掛けた。「ここで死ぬのが、外で死ぬのに変わるだけだろ」
ザイロは燭台を置いて、右の拳を左の手のひらで包み、考えるように手を動かし、イリオに伺う。
「いま、どんな気持ちなんだ。どうしてずっと空を見てる」
「さあ、私にもよくわからないです。ただ何もする気が起きなくて……きっと、生きてる意味がわからないからだと思います」
「そうか。なら、その生きる意味を探しに行かないか」
「その行為に意味があるでしょうか」
「わからない。ただ俺は、イリオが俺に死なないでって言ってたのと同じで、俺もイリオに死なないでほしいだけだ」
沈黙。返答はない。
ザイロは燭台を持って立ち上がる。
「夜明けに出る。まだ、ほんのカケラでもいい。生きたいという気持ちがあるなら、来てくれ……お願いだ」
朝が来た。
疲れはあったが、夜はなんだか眠れなかった。
荷物をまとめ背負う。
そして、イリオの部屋の前に立った。
不安で震える手で、ぎこちなくノックした。
……返事はない。
二度、三度と、強めにノックした。
それでも返事はない。
ドアを開けようと思ったがやめた。
それをすると、無理やり彼女を連れて行ってしまいそうになるから。
「お世話になりました」
ハインツにそう言うと、すぐにぐっと強く抱擁された。
「一年も経てばみんな忘れる。また顔見せろよ」
「はい。でもすいません、イリオはーー」
「その話はいい」
ザイロには語らせずに、ハインツは抱擁を解いて、両肩をぐっと掴んだ。「あとは俺に任せろ」
その目は柄にもなく涙ぐんでおり、ザイロの目からも思わず涙が溢れそうになった。
「ありがとうございます。また来ます」
空は少し青みがかっていた。
静寂の村の中を進んでいく。
足取りは少し重い。イリオのことが頭から離れないから。
でも、いつまでも考えていてはだめだ。
人のことばかりではなく、ザイロ自身も、自分が生きるためにするべきことを考えなければならなかったから。
名残惜しくもあるが、村を出て、簡単に舗装された土の道をまっすぐに進んでいく。
これを進めば別の街があるらしい。
果たして何日かかるだろうか。野宿もしなければならない。うまくできるだろうか。
そんなことを考えていると、視界に入ってきた光景に、信じられず何度か瞬きをする。
奥で、岩に腰掛ける人影が見える。
きっと女性。フードで隠れているが、見慣れた金の髪が見える。
心臓が高鳴った。自然と足早になり、気がつけば走り出していた。
近づくほどに明確になる。彼女はーー
「イリオ!」
前にいるというのに、無駄に大きな声でザイロは名前を呼んでいた。
「えっと……ここに、なんで」
急に走り出したので息が荒く、頭の整理も追いつかない。
ザイロが混乱しているのとは相対的に、イリオは静かに視線を上げた。
「なんでと言いましても……ザイロさんが来いと」
「でも……どうして部屋に」
「ハインツさんに申し訳なくて……忍び出てしまいました」
「あ、そう。そうか……いつからここに」
「夜明けとおっしゃっていたので、空の色が変わり始めたときにはここに」
「じゃあ、結構待ったんじゃ」
「そうですが、部屋にいるのとあまり変わりませんので」
「そうか、ハハ、そうだよな」
とちょっと笑ってみせたが、今は笑って良い状況ではないのでは? と自問して、ザイロはバツが悪そうに唇を舐めて視線をそらした。
なんだか安心したのか、心が落ち着かない。
いや、安心している場合じゃない。
ここから……ここからだ。
ザイロは小さく息を吐いて思考を切り替え、道の先を見据えた。
「それじゃあ、行こうか」
「はい」
行ってどうするのか。その先に答えはあるのか。
正直、それはわからない。
ただ、オールが言っていた通り、転生者同士は引かれあう。
逃げ続けることはできない。
ならば、神に仕組まれたこの殺し合いを終わらせる。その方法を見つけるしかない。
ただ、最初の目標は……イリオの笑顔を取り戻すこと、かな。
そんなことを思いながら、ザイロは進みだした。




