第7話-1『爆壊』
もう、二十年ほど前の話になる。
あの男と初めて会った日のことを、僕は今でも昨日のことのように思い出せる。
赤獅子候補生、兵舎の一室。
背後がやけに静かだと、勉強中の僕は思った。
いつもは落ち着きがなくて常にうるさく、急に筋トレを始めるような男だ。
だが今日は違い、しんとしている。
手を止め振り返ると、相変わらずろくに掃除もしていないベッドの上で寝転びながら、デントが本を読んでいた。
それに気づいたのか、話しかけてきた。
「お、どうした」
「いや、別に。君って文字が読めるんだと、ちょっと感心しただけさ」
嫌味で言ってみたが、それを理解できていないのか、デントは困ったように額をポリポリと掻いた。
「いや、実はよ、ちゃんと読めねぇんだよ。俺、勉強とか全然してなかったから、わからん文字だらけだ。まあ、遠くない未来に赤獅子になるわけだからさ、サインとか書くことになる。そん時に文字がわかんねぇとかなったら、カッコつかねぇだろ? だから、こうやってちょっとでも文字を覚えてるわけだ。子供用の本だから、結構分かるとこあるぜ」
勤勉なのは認めるが、動機が不純だ。
そして何より、
「君、自分が当たり前に赤獅子になれると思ってるのか」
そう口にしていた。
赤獅子は軍における最強の部隊。
王に選ばれた数名しかなれない、狭き門だ。
数多くの天才と呼ばれるものが、この門に閉ざされ、その生涯を終えた。
僕だって自信はもちろんある。それでも、どこか不安は感じているし、赤獅子になる、とそんな軽々しく口にもできなかった。
それはきっと、候補生たちはみな同じ気持ちだろう。
「ああ、なるぜ」
しかし、彼は当然のように言ってのけた。「俺は赤獅子になる。絶対にな」
コイツの実力は知らないが、大した自信だ。
候補生に選ばれたということは、それなりに実力があるのは間違いない。だが、こんな世間知らずで文字も読めないやつが、赤獅子になれるわけがない。
その時の僕はそう思っていた。
「君みたいな無知で自信しか取り柄のないやつが、赤獅子なんかになれるか」
吐き捨てるようにそういった。
悪口を言われたというのに、デントはどこか嬉しそうに上体を起こした。
「お! じゃあお前、俺が赤獅子になったら、どーする?」
子供じみた想定の質問に、思わず失笑しながら答えた。
「君がなれるようなことがあったら、そのケツにキスしてやるよ」
瞬間、デントは抱腹絶倒。
呼吸を忘れて笑った。
「おま、お前……ケツって」
苦しそうに腹を抱え、デントは言う。「女にそんなの言われたの初めてだぜ」
「別に女扱いするのは構わない。肉体は女だからね。でも僕は性別という境界に興味がないんだ。女とは思わなくて構わないよ」
この時から僕の性別への認識は変わらなかった。
こんなこと、普通は他人に話さない。
興味がないから、いちいち話す必要もないし、配慮も求めてない。
デントにもそう。短い間だけの、候補生として、同居するだけの存在と思っていた。
だが、彼にはすぐに話していた。
思えば、最初から彼に対し、惹かれる何かを感じていたのかも知れない。
「マジかよ、助かったぜ。俺さ、屁の音がバカみたいにデカくてさ、女と一緒だから我慢してたんだ」
バカなのはお前の頭だろ、と思いつつ、「屁は男女関係なく、聞かせるな」と呆れて返す。
「ちなみにマジででかいんだ。夜、爆発音がしたと思って、家のみんな、俺も含めて飛び起きたんだがよ。理由を探ったら俺の屁だったことがあるんだ」
「なんだそれ」
といって思わずほころんでしまいそうな口元を、デントから見えないように隠した。
こんなバカ話で笑っていると、思われたくなかった。
「なあ、シェナド。これってなんて読むんだ」
立ち上がって本の一節を指すデント。
表情を整えてそこを読んでやると、屁、と書いていた。
流石の僕も我慢ができなかった。
思わずその場で吹き出して、笑ってしまった。
「クソ……お前、わざとだろ!」
悔しくなって見上げると、デントは得意げに眉を上げていた。
「さあ、どうだろうな」
シェナドがザイロたちを弟子とすると約束した次の日。
「さてさて、まずはどうしてやろうか」
あんな渋っていた割には、シェナドの背中はやけに楽しそうに見えた。
早速呼ばれたザイロはその背を黙って追っていた。
まあ、嫌々やられるよりは遥かにいいが。
向かったのはあの日、シェナドと初めて会った丘。
木が切り開かれていてそれなりの広さがあるので、確かに適した場所かもしれない。
「ではザイロくん、君がどれぐらい魔法を操れるか、見せてもらおうか」
言われてすぐ、ザイロは砂鉄の袋を振るい、周りに散らすと、それを一旦、空中に静止させる。
円を描きながら、周りを漂わせる。
まるで土星の輪のように。
その後、伸ばした手の中にそれが集まっていくと、瞬時に一本の棒と化し手に握られた。
「まあ、これぐらいなら目をつぶってもできます」
ザイロがそういうと、シェナドはパチパチと手を叩く。
「ふむ、それなりに使えているようで安心。魔法歴は三年くらいかな」
「いや……使い始めたのは結構最近で、二カ月ぐらいだと思う」
シェナドは驚いたように目を開いた。誇張ではなく、本当に驚いているように見えた。
「おぉ、それはなかなか。超瞬発的な技術上達速度だね。確か君たちは、この世界に来てすぐのときは、超常的な魔法が使えたという。簡単に脱落させないためか? 転生者は魔法に強い適性を持ってやってくるのか」
ブツブツと、止まらない自問を続けるので「ちょっと!」と声を掛けるとシェナドはハッとした。
「ああ、済まないね。本業は魔法の研究家だからさ。ただ安心してくれ。研究家ということは、どうしたら強くなれるのかを、よく理解しているということだ。例えばそうだな。君が持ってるその棒。それで僕の頭を叩いてみな」
ちょっと驚いて、ザイロは自分が持っている棒を見る。
結構な重さだ。頭に当たったらただじゃ済まない。
「大丈夫ですか。これで怪我したら、修行どころじゃない」
「君はまだ、僕を舐めているフシがあるみたいだね」
不敵に笑うシェナド。どうも自信ありげだ。
「それじゃあ、遠慮なく」
棒を両手でつかみ上に振りかぶると、腕を組むシェナドの脳天めがけ棒を振るった。
すぐに反発するかのような衝撃が腕にあったが、なんというか、当たった、というよりは、跳ね返された、という印象があった。
実際、棒はシェナドに当たっておらず、その頭上付近で停止している。
感覚でわかる。同じ磁力魔法で止められたのだ。
「脇がしまっているね」
シェナドのその目はザイロの腕にいっていた。「君は鎧装型だね」
「鎧装型?」
砂鉄の棒を霧散させながら、ザイロは聞いた。「なんです、それ」
「魔力の操作傾向さ。体に纏うのが得意な鎧装。逆に、離れた場所を使うのが得意な遠隔。そして中間。主に三つに分けられる。君はその中で、纏うのが得意な方だが、体から離れていくとどんどんその操作精度を失う」
それを聞いて、ちょっと眉を寄せるザイロ。
「なんというか、魔法っていうんだから、遠隔とかの方が強そうだな」
「その考えは間違いだね。強さは一長一短。重要なのは、自分の特性をしっかりと理解して、その長所を伸ばしていくことだ」
なるほど、と思うと同時に安心した。
やはりこの人は、魔法のことを非常に高いレベルで理解している。
「力を込める時に脇が閉まるのは、体の内側に意識が多い証拠。つまり、鎧装タイプの可能性が高い。君には、それを伸ばす訓練をしていってもらうよ。それと君は胸派かな、お尻派かな」
突然の質問に、ザイロは思わず息を忘れる。
「はぁ!? いや、あの、む、胸派って」
「何だよ、恥ずかしがることはない。どっちが好きな方を言えばいいんだ」
混乱したザイロは熱くなった頭を掻きむしる。
胸と尻だと。バカみたいな質問だが、それも魔法の何かと関係があるのか。
脳みその奥にある、覚えのある女性たちの映像を掘り起こすが、なんとなく罪悪感を覚える。
クソ! そんなの知るかよ。
眉をひくつかせながら困っているザイロを見て、シェナドは目を丸くした。
「なるほど、選べないと。つまり君は、どっちも好きということだね」
「どっちも……ていうか」
うまく言葉にできず、取り敢えず賛同する。「まあ、そういうことで……それで、これは魔法と何の関係があるんですか」
「いや、別に魔法は関係ない。君の性的嗜好を知りたかっただけだ。なるほどね、両方好きってことは、スケベってことだ。君は結構エロいんだね、覚えとくよ」
怒りにザイロの表情が歪む。
こいつ……ぶん殴りてぇ……。
「俺はシャッジ・ロベルト。好きなのは酒とギャンブル。ちなみに尻派だ。よろしく」
同日、別の場所にてシャッジは軽く自己紹介をしていた。
それに対し、レインが返したのは軽蔑するかのような、冷たい視線だった。
「レインっていうんだろ、まずは自己紹介ぐらいはしようぜ」
「名を知っているなら、紹介は不要だろう」
その答えに、シャッジはヘヘっと笑った。
「なるほどな。まずは礼儀から教えてやらないといけねぇか」
「礼節で強くなれるなら、いくらだって礼儀正しくしてやる」
そう言って、レインは強くシャッジを睨みつける。「俺は強くならなければならない。だから元はといえば赤獅子に教えを請うつもりだった。あのシェナドという女にだ。シャッジ、貴様は同じく、元赤獅子だったのか」
「いや、候補生だった。赤獅子だったときはない」
「候補生」
その言葉に、レインは目を細める。
候補生のまま終わった者。それは、赤獅子になれなかった者。シェナドが頂点に届いた一方で、この男は届かなかった。
無精髭、酒の匂い、緩んだ姿勢。実力者と呼ぶには、あまりにも自堕落な雰囲気。
こんな奴に教わる気になれない。
「ならシェナドと変わってくれないか。遊んでいる暇はないんだ」
「そりゃ、無理な相談ってやつだな」
シャッジは腕を組み、ほくそ笑む。「俺は久しぶりに本気なんだ。酒を断つぐらいにな。こんなことはめったにねぇ。なんて言おうが、お前は俺の特訓に付き合ってもらうぜ」
聞く耳持たず、レインは横を向く。
「中途半端なやつに、教わる気はない」
「はぁ、まったく。分かったよ、シェナドに変わるよう伝えてやるよ……ただし」
シャッジは指を一本立てて見せた。「俺に一太刀でも当てることができたらな」
不意の条件提示。だが、悪い話ではない。
候補生止まりの男だ。歳を取り、酒に溺れたコイツに後れを取るとは思えない。
レインは刀に手を添え、そっと腰を落とした。
「助かるが……怪我をしても知らんぞ」
「お前なぁ、老いたっていっても俺は赤ーー」
シャッジが言葉を言い切る前に、詰め寄るレイン。
距離は二歩。一歩で詰めて、二歩目で魔法を込めた刃を、横に振るった。
シェナドに完封され、刀を抜く前に終わったが、この状態なら必ず斬れる。
距離を稼ぐための、『サーフィス』により刃圏を伸ばした一閃。
ーー当たる。
その確信が、ふと、頭の中で揺らいだ。
刹那見えた、シャッジの不敵な笑み。そして、ソフィナとの苦い戦闘の記憶。
それがよぎったときには、シャッジは頭を下げ、刃が彼の頭上をなめるように通り過ぎる。
なぜ避けられる。その疑問よりも先に、レインの目に入ったのはシャッジの魔力を込めた右手が、地面を掴んでいる様子だった。
またよぎる記憶。シェナドに足を取られたあの魔法。
咄嗟に地面から離れるために後ろに下がりながら跳躍した。
が、しかし。
見えたのは逆の手、左手に魔力を込めて、構えるシャッジ。
「センスは悪くねぇ。が、捻りがねぇな!」
シャッジが左から放った掌底はレインには届かない。
しかし、撃たれた空が、まるで砲丸のように固まり、レインの腹にめり込んだ。
その衝撃で後ろに吹き飛ぶも、なんとか着地。
構え、次の攻撃を行おうとするが、コンマ数秒遅れてやってきた激痛と嘔吐感。
立っていられず、その場に跪いた。
「俺は土と風。二種類の魔法属性を使いこなせる」
首をさすりながら、レインの元へと歩いてくるシャッジ。「アイツと比べりゃ、まるでチリカスみたいな数だが、これでも、兵学校じゃ常に成績上位だったんだぜ」
「なぜ……避けられた」
肺にうまく空気を取り込めないながらも、レインは疑問を口にした。
レインの刃圏を伸ばす、必殺の魔法。
これまで躱されたことのなかった技が、この短期間で二度も避けられた。
その理由がわからなかった。
「なぜ? それがわからないのが、お前の弱さだ。相手の立場になるってのを知らない。お前の所作を見れば分かる。強いんだろ。剣に関して言えば、お前より強いのはそういない。なのにどうして、あんなわかりやすく、躱しやすい位置で刀を振るんだよ」
トントンとシャッジは自分のこめかみを人差し指で叩いた。「そりゃ、何も考えてないやつなら、かわしやすくてラッキーと思うか、もしくは刃圏外であることすらわからず、斬られて終わりだろうが、並以上の相手ならそうはいかない。お前から感じる魔力や、その他要因から、それはブラフの可能性が高いことに気がつく。その刃から何かを飛ばすかもなと考える。なにせ、その刃の軌道上にいるのは得策じゃない。なら飛ぶか、しゃがむ。予想が当たってれば攻撃に入ればいいし、そうじゃなくても仕切り直しってだけだ」
なるほど、と冷や汗を流しながらレインは思う。
合点がいった。説明されれば、いかに自分が間抜けなことをしているのかが分かる。
そしてこの男は、自分よりも圧倒的に強い。
「弱いやつばっかり相手にしすぎたな」
「まったくもって、その通りだ」
腹を押さえながら立ち上がるレイン。
「おいおい、まだやる気か」
「いや、その必要はない……自らの浅さを、今、身をもって知った」
レインは深々と頭を下げた。「非礼を詫びる。どうか、よろしくお願いします」
それを見て、無精髭を触りながらシャッジはほくそ笑んだ。
「いいだろう。俺のことはシャッジ師匠と呼べ」
「それは断る」
即答して、レインは刀を構えた。
「まだ苦しいんじゃないのか。休憩を挟もうぜ」
「心配するな。俺はいける」
痩せ我慢をするレインを見て、シャッジは嬉しそうに笑った。
「ハハ、いいね。熱くなってきた」
もういい。コリゴリだ。
弱いのも、負けるのも。
何だっていい。俺は必ず、強くなる。




