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第6話-4『千魔』

 雨は嫌いだ。本が湿気る。

 どんよりとした空。降りそうと考えると、気持ちが沈む。

 それに引っ張られてか、頭が回らない。

 気晴らしに一杯飲みに行こうと、外に出た瞬間、シェナドは強く顔を歪めた。

 出てすぐのところに、ザイロがいた。

 あろうことか地面に額を付けて土下座をしていた。

 シェナドはめんどくさそうに、天向かって息を吐く。

「ここまで愚かだと、逆に尊敬すらしてしまいそうだよ。君の詰まっていない頭を地面にこすりつけたところで、何かが変わるとでも思ってるのかな」

 ゆっくりと歩き、ザイロの頭の前に立つ。「ここで、ずっとそうやって、野垂れ死にでもするつもりか」

「ああ、そうだな」

 ザイロは下を向いたまま語る。「家のまん前に死体があったら、気分が悪いだろ。それが嫌なら、俺を弟子にしろ」

「馬鹿だな。馬鹿すぎる。幼児でももう少しマシな方法を思いつくだろう。不愉快だ。消えてくれ」

「どうぞご自由に。あんたなら、魔法で簡単に消し飛ばせるんじゃないのか」

 まるで話しにならない。

 理屈もクソもない、我儘な発言に流石にむかっ腹が立つ。

「僕はたとえ死ぬまでそうされてても、気にもしないよ。ただ玄関の前に大きな岩が一つ増えただけって感じだ。ずっと続けていればいいさ。じゃあね、僕は酒が飲みたいんだ」

 ザイロの脇を通り、足早に進んでいく。

 こんなやつ、相手にしてられない。時間の無駄だ。

 そう思いながら歩くも、チラチラと後ろを見てしまう。

 こっちがどれだけ離れようと、うずくまったまま動かない。

 だいぶ離れ、もうすぐ視界から消えてしまいそうになると、シェナドは足を止めて、ザイロの姿をじっと見つめていた。

 どうやら本当にずっとそうしているようだ。

「この……野郎っ」

 猛ダッシュでザイロの元へ戻ったシェナドは、なれない運動に息を荒げながらも、ザイロの後頭部に向かって叫ぶ。

「いい加減にしろこの頑固頭! 僕はできないって言ってるだろ。約束があるんだよ。ほかを当たれよ!」

「約束なんて、そんなの知るか。それはそっちの勝手な事情だろ」

「君が強くなりたいのも、君の勝手な事情じゃないのかい」

「その通りだ。だからあんたが折れろ。じゃなきゃ、俺はここで死ぬだけだ」

 もはや、怒りを通り越して笑ってしまいそうになる。

 こんなバカ。この世にいたのか。

 いや、そう言えば同じようなのが一人……。

 頭の奥がチクリと痛み、その考えを振り落とす。

「死ぬ死ぬって、簡単に口走りやがって。どうしてそんなふうに命を懸けられるんだ。なんだ、イリオちゃんの気でも引きたいのか?」

 ザイロは頭を垂れたまま、何も語らない。

「命がけで守ってアピールでもしてるのか。効率が悪いな。女の口説き方なら教えてやる。だから早く帰ってくれないか」

 地面に這うザイロの両手。

 それに力が込められ、土が握り込まれた。

「理由なんて、俺だってよく分かってない」

 その答えに、訝しげな表情をしていたシェナドの表情は、さらに強く曇る。

「よくわからないことに、なぜ命を懸けられる。どうしてそこまでする」

「愛情か、同情か……恩か、それとも哀れみなのか。どれなのかなんて知らないし、どうでもいい」

 ザイロが顔を上げると、泥のついた顔。その瞳は灼熱に見えた。「アイツが泣いてる……それが気に食わねぇ」

「君はーー」

 刹那、脳裏をよぎる記憶。

 お前の泣いてる顔が、見たくねぇからかな。

 最後の言葉。そして、最後の笑顔。

 二十年前の忘れられない男の顔が、思い浮かんだ。

「……どうしようもなく。愚かだな、君は」

 顔に右手を当て、なんとか感情を押し殺しながら、シェナドはそういった。「ずっとそうしていればいいさ」

 逃げるようにその場を去ると、シェナドは自問していた。

 君ならきっと、こんな僕を笑うだろう。

 なあ、デント。僕はどうすればいいと思う。



 酒場につくと見慣れた顔たちがいた。

 奥のカウンターに行くと更に見慣れ、もはや兄弟とも呼べる奴らがいた。

「よう、久々じゃねぇか」

 シャッジが小さな酒瓶片手に笑った。

 その顔はまだ昼を少し過ぎた時間だというのに、すでに赤めいている。

「元気そうで何よりだよ」

 そう言って隣りに座る。

「いつものでいい?」

 カウンターに寄りかかったベルにそう言われたが「いや」と親指でシャッジの方を指す。

「彼と同じので」

 驚いたようで、シャッジとベルが目を合わせた。

「おいおい、お前、いつからそんな酒が強くなった。部屋でこもって、酒盛りでもしてたってのか」

 そう言って、シャッジは酒瓶を傾け、一口のんだ。

「やめときなって。コイツにとっちゃ水みたいなもんだけど、毒だよ、毒。コイツ以外に出すことないもの」

 続いてベルも止めたが、シェナドは不敵に笑ってみせた。

「あまり僕をなめるなよ」



「ううぅぐぐぐ」

 小グラスの三杯目が終わった瞬間、シェナドは顔をカウンターに落とし、悶絶した。

「ほら、いわんこっちゃない」

 ベルがグラスを取り上げようとすると、手を引いてそれを阻止する。

「やめろ、まだだ、まだ僕はいける。もっと入れろ」

「呂律もおかしくなってるだろ、やめときなって」

 ベルが注がなくなったので、そのグラスをシャッジの方に向けると、シャッジは手に持っていた酒を注ぎ始めた。

「シャッジ、あんたも止めなよ」

「そんな事言うなよ。誰だって一〇年に一回ぐらいはよ、ぶっ壊れちまいたい日があるのさ」

 はあとため息を吐いて、ベルは水を用意した。

「ちゃんと水も飲みな、死ぬよ。どうしちまったんだよ、あんたらしくない」

 ゴクゴクっと喉を鳴らして水をすぐに全て飲み干した後、シェナドはうなだれながら言った。

「ザイロ」

 ベルが首を傾げる。

「名前か? 誰よ、それ」

「俺の予想じゃ、数日前に来た青年と見た」

 シャッジが言うと、ピンと来たのかベルは頷いた。

「ああ、彼ね。魔法を訓えてほしいって。どうせ断ったんでしょ。うちらは弟子をとっちゃいけないからさ」

「断ったけど……しつこい」

 そう言って、シェナドはカウンターを二回拳で叩いた。「すっごくしつこいんだ!」

「しつこいのは分かったけど店を叩かないで。出禁にするわよ」

「ごめん」

 ションボリしながらまた酒を飲むシェナド。

 それを見て、肘をついているシャッジが笑った。

「冷静沈着なお前がこんなふうになるとはな。そのザイロってやつ、なかなかのやり手じゃねぇか。でもしゃあねぇ。俺達は誰かを強くしちゃいけねぇ。そんなことしたら師匠に殺されーーおっと、あぶねぇ」

 ぐらぐらとゆれ、今にも椅子から転げ落ちそうなシェナドをシャッジは支えた。「そろそろお前も、年相応の飲み方ってやつを覚えないとな」

「ソイツは……女の子を守るために、たとえ死んだとしても強くなりたいってさ」

 ベルは口笛を鳴らして笑う。

「かっこいい。羨ましいわ。私もそうやって、命がけで誰かに守ってもらいたい」

「お前は守る必要ないだろ」

 シャッジが軽口を叩くも、聞こえていないのか、シェナドはうつむきながら言う。

「なんでそこまでするんだって聞いたら……アイツの泣いてる顔が……気に入らないって」

 二人の表情から笑顔がすっと消える。

 泣いてる顔が気に入らない。

 その言葉と似たセリフを、一度だけシェナドから聞いたことがあった。

 普段は決して話すことのない、ある男の最後の言葉。

「偶然だよ」

 しんみりとした空気を振り払うように、ベルがそういった。

「そうだ、偶然かもしれない。でも……アイツを思い出した」

「よそうぜ」

 シャッジは額を掻きながら言う。「酒の席だ。そういう辛気臭い話は」

「でも……なんだか、もう一度、アイツに……会えたような」

 体が自然と前に倒れ、カウンターに頭を強く打った。

 痛みは無い。アルコールで麻痺している。

 だが視界は揺れ、音が反響する。

 心配するベルとシャッジの声と、降り出した雨音がおぼろげながら聞こえる。

 そんな時に、思い返していた。

 あの日もこんなふうに、雨が降っていた。

 僕は軍にいながらも王宮魔術師になるため、勉強に勤しんでいた。

 赤獅子候補生だったので大部屋ではなく、相部屋ながらも小部屋を提供されていたが、薄暗く、辛気臭いホコリまみれの部屋だった。

 まあ、勉強に差し支えなければ何でも良かった。

 一緒に住むやつは静かなやつを希望していたが、乱雑に開かれたドアの音を聞いて、それは叶わなかったと分かった。

「お! ここが俺の部屋か。綺麗でいい部屋じゃん」

 どうやら美的感覚にも違いがありそうだった。

 仲良くなれそうにない。

 そう思いながらペンを置いて、振り返った。

 見えたのは軍服姿の、短い髪の毛を刈り上げた、男が一人。

「お前がシェナドか! すげぇ奴って聞いてるぜ。俺はデント・エント。よろしくな!」



 パラパラという雨の音で目を覚ました。

 窓の外からは光が差し込み、朝だと分かる。

 いつの間にかカウンターに突っ伏して寝ていた。体には毛布が懸けられている。

 窓の隣でシャッジが椅子に座って、いびきをかきながら寝ている。

 どうやら酒屋で一晩を過ごしてしまったようだ。

「僕としたことが、らしくなーー雨!」

 大声とともに立ち上がると、シャッジが驚いて目を覚ました。

「デケェ声出すな、頭が痛てぇ」

 つらそうに頭を抱えるシャッジに、シェナドは詰め寄った。

「雨はいつから降っていた!」

「雨はお前がぶっ潰れた時から、ずっと降ってたよ」

 脳裏に浮かぶのはザイロの背中姿。

 それを考えたときには、家に向かって走り出していた。



 今は小雨程度の雨だ。特にフードも被る必要が感じられないぐらいの。

 だが、足元から跳ねる水や、土のぬかるみで分かる。

 夜はきっと大雨だった。

 走り、息を切らしながらも考える。

 そんな大雨の中、いつ帰るかわからない僕を、一晩中、あの姿勢で待っているか?

 あり得ない。そんなの、バカを通り越して、もう神の領域だ。

 きっと、もう帰っている。そうだろう? 流石の君もそんなイカれた奴なわけがーー

「いや、そういう奴か君は」

 汗を流し、息を切らして見つめる我が家。

 その入口前に、全身を震わせながらも、頭を下げ続けるバカが一人。

「アイツは、一晩中ああしてたのか」

 突然、隣に現れて話しかけてきたのは、確かレインという名前の男だった。

「策があるとか言って、戻ってこなかったから来てみたが。あれが策とよく言えたものだ」

「そうだね。僕は外出していてね、いつまでやってたかは知らないよ」

 息を整えながらも、シェナドは答える。「ただ、どうも雨の中、ずっと僕を待ってたらしい。困ったものだよ。君、彼の友達だろ。連れて帰ってやってくれよ、死んでしまうよ」

 レインは困ったようなシェナドの顔を見た後、ザイロを見直す。

「なるほど。貴様が困っているということは、それなりに効果のある策みたいだな」

 にやりと、右の口角を少しだけ上げて、ザイロの元へと歩き出した。

「おい、話聞いてるのか。早く帰らせてくれ」

 その後ろにシェナドも続く。

 レインはザイロの隣まで歩き、刀を置くと、同じように額を泥水に付けた。

「おい、なにしてる……帰れよ」

 震える声でザイロが言った。もう息をするのもやっとの様子だ。

「バカか。一人でやってたらそのうち死ぬぞ。順番にやれば効率がいいだろう。お前は帰って寝ていろ」

「君たち、本気かい」

 頭に手をおいて困ったように眉を寄せるシェナド。

 その表情とは裏腹に、熱い何かが胸から溢れそうになる。

 一体何なのだろう。この感情は。

「あ! ちょっともう!」

 次にやってきたのはリサ。後ろにイリオもついてきている。「ザイロとレインに何させてんのさ! こんなとこで座らせて、頭おかしいよ! イッー!」

 敵意を剥き出しにして歯茎を見せてくるリサに、面倒ながら説明をする。

「僕がやらせてるんじゃない、彼らが勝手にやってるんだ! 君も彼らを止めてくれ」

「ん? ああ、なるほど」

 納得したかのように、右の拳を左の手のひらにぽんと打ち付けた。「そういう作戦ね。言ってくれればよかったのに」

 跳ねるようにザイロの隣まで行くと、勢いよく土下座した。

「おい、お前までやってどうする。順番にやるんだ」

「いいじゃん。みんなでやったほうが楽しいよ」

「楽しんでんじゃねぇ……これは俺の仕事だ。お前らは帰れ」

「死にそうじゃんザイロ。ねえ、泥パックってお肌にいいかな?」

 当たり前のように、地面に顔を付けながら会話をする三人。

 胸の奥が熱くなり、じわりと全身に広がる。

 これは、もうダメだ。

「お隣、失礼します」

 イリオがリサの隣で膝をつく。

「イリオちゃんはいいよ、鍛えてもらうのは私達だし」

 リサが止めるも、イリオは首を振る。

「いえ、そんな。皆さんだけにーー」

「いいよ、もう」

 気持ちを堪えられなくなり、そばまで来たシェナドはそう言って遮った。「頭なんて、下げなくてさ……認めるよ、僕の負けだ」

 三人は一斉に顔を上げた。

 驚いた顔は三者三様。しかし、同じように泥まみれだ。

 思わず、クスっと笑ってしまう。

「ザイロ。僕のことを今日から師匠って呼ぶといい。喜べ、君たちをとびきり強くしてやろう」

「イエーイ! やっーーちょ、うお」

 喜んだリサに、力なくザイロが倒れ込み、それを支える。「大丈夫? 息してる?」

「いや……ギリギリだ。息が……うまくできねぇ」

 それを見て、顔の泥をはらったレインが、フンと鼻を鳴らした。

「一人で勝手なことをするからだ。一度死んで頭を冷やせ」

「みんなびしょびしょでどろんこだ。お湯でも沸かそうか」

 シェナドがそう言って家に入ろうとしたとき、突然、イリオが地面に勢いよく顔をつけた。

 その長い髪が、泥水に浸る。

「あ! イリオちゃん。もー、いいって言ってるのに」

 リサがそういうも、イリオは地面に埋まりながらも首を振る。

「駄目です。私は皆さんに、守っていただくんです。皆さんだけに絶対させません。私は無能で、祈ることしかできません。ならせめて、泥を被るなら、同じだけ泥を」

 イリオは泥まみれの顔を上げて、シェナドを見上げた。「血を流すなら、同じだけ血を流します。どうか、皆さんをよろしくお願いします」

「熱いなぁ」

 シェナドは呟き、思い出していた。

 若く、熱い魂に、溶かせぬものはないということを。



「というわけで、頼む!」

 突然、酒場を飛び出したかと思えば、軽く濡れた状態で帰ってきたシェナドは、事の顛末をベルとシャッジに説明した。

 その顔は随分と爽快に見えた。

「頼むって、どういうことだよ」

 内容がうまく把握できず、シャッジは聞いた。

「そういうことだよ。僕一人じゃ三人も鍛えられないから、君たちにも頼む。僕らは三人、彼らも三人。うん、非常にちょうどいい」

「バカ言ってるって、自覚はある?」

 ベルが問うと、シェナドは頷いた。

「ああ、あるよ」

「殺されるぜ。師匠によ」

 シャッジが考え込むようにそう言うと、シェナドは右の口角だけを上げて、楽しそうに笑ってみせた。

「そうだね。死ぬときは、みんな一緒だ」

 はあ、っと重い溜息。

 奇しくもベルとシャッジは同じタイミングで放っていた。

「これは、どうも」

「言っても聞きそうにないね」

 諦めたようにそういう二人を差し置き、何かに気がついたシェナドは窓際まで走り出す。

「お、雨がやんだね。うん、いい天気、絶好の特訓日和だね」

「なあ、ベル」

 酒の入ったグラスを回しながら、シャッジは聞いた。「俺も昔は、あんな目をしてたのか」

「そうだよ。昔と、それと……」

 ベルは小さく笑ってみせた。「今もちょっとだけ」

 口に運ぼうとしたグラスをピタっととめ、それを目の前に持ってくる。

 反射した自分の目を見ながら、諦めたように鼻から息を吐いた。

「ハートに嘘はつけねぇよな。暫くの間、禁酒だ」

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