第6話-3『千魔』
屋根は雨漏りばかりで、壁はところどころ崩れたこの家。
雨のときは濡れに濡れて、とても住めたものじゃない場所だが、利点はある。
朝になると日差しが入り込み、小鳥たちの声で目を覚ます。
自然とともに目が覚めていく感覚は、心地よい覚醒を促してくれる。
ベッド。という名の本が散乱したソファーから体を起き上がらせて、目をこすりながら外に出る。
すると門の前で最近見知った顔の男が立っていた。
「やあ、おはよう。君のその曇った表情と違って、とても快晴で、心地の良い朝だね。ザイロくん」
渋い顔をするザイロは、小さく頷いた。
「おはようございます」
「要件を聞く前に、まずは水浴びをさせてもらってもいいかな。毎朝、近くの川で泳ぐんだ。君もよかったらどうだい。気持ちがいいよ」
ザイロは表情そのままに「遠慮しておきます」と小さく返した。
「遠慮することはない。もしかして、僕が女性だからかな。安心してくれ、僕は性別という境界に興味がなくてね。誰に見られようがどうとも思わない。もしくは、ザイロくんは女体に耐性がないかな」
返事はない。返って来たのは怪訝そうな表情だけだった。
「おや、図星か?」
「俺の言いたいことなら、分かってるでしょう」
「ふむ。もしかしたら、弟子にしてほしい、という僕が断った要望のことかな」
小さく頷くザイロに、シェナドは続ける。
「一度、睡眠を挟めば考えが変わるとでも思ったかな。なら改めて言っておこう。昨日の僕と同じ意見で断る。明日も、明後日も、来月も、来年も先に断っておく。君たちを強くしてやることはない」
「どうしてでしょうか」
ザイロが問うが、シェナドは首を振った。
「答えてあげる義理もない。悪いが、僕も性根が腐っていてこんなふうに断るんじゃない。これは、僕個人だけの問題でもなくてね。説明はしないが、絶対に君たちの指南をするつもりはないよ」
眉間にシワを寄せて黙りこくるザイロ。
これ以上の進展はなさそうとみて、さっさと川へと向かおうとした、その時、
「俺は……転生者です」
転生者。
聞き馴染みのないが、興味の湧くワードに、シェナドは振り返って微笑んだ。
「ほう、転生者」
ザイロはこの世界に転生してから、ここに来るまでの話を、できる限りすべて話した。
転生者同士の殺し合いと、その報酬。オールとの殺し合いから、ハデム、ゼノンとの遭遇。
成り行きで仲間になったリサとレイン。そして、イリオが狙われていること。
そのすべてのことに、シェナドは興味深そうに頷いていた。
「転生っ、殺し合い。そして神の力。なるほどなるほど、非常に興味深い」
その表情は今までにないものだった。
信じてもらえるかわからなかったが、話してみて良かった。
説得の糸口はここかも知れない。
そう思い畳み掛ける。
「あなたは研究者ですよね。だったら、転生者ってものにも興味があるはずだ。取引しましょう。俺を好きなように、研究として使ってください。その代わり、ゼノンに対抗できる力をください。お願いします」
シェナドは渋い顔をして悩んでいた。
うーんとうなり、腐りかけのレモンを食べた直後のように、顔を強烈にしかめたが、
「だめだ! とっても興味深い話だが、やっぱりできない」
と心苦しそうに断った。
この気を逃さぬようにと「なんでですか」と食い下がろうとしたが、シェナドが人指し指を前に出して、それを止める。
「分かっている。君からしたら、理解不能な答えだろう。だが、僕にも僕の事情がある。情報料だ。僕が人を訓えない理由を答えよう。僕にも師匠がいた。二十年ぐらい前の赤獅子時代だ。今じゃクソジジイになってるだろうが、それでも今勝てるかどうか怪しいレベルで、とんでもなく強い人だ」
ザイロはシェナドとの戦いの様子を思い返していた。
あれだけ強い人が、老いてなお勝てるか怪しい人。
もはや怪物だ。
シェナドは続ける。
「その人に僕らは言われたんだ。決して人に訓えるようなことはするなと。力とは、どれだけ正しいことに使っても、視点を変えれば暴力だ。そんなものはこの世から無くすべきだというのが、師匠の考えらしい」
「だったら、その師匠はどうしてあなたに力を与えたんですか」
「そんなの知らないさ。なにせ、僕は師匠に恩がある。これは契約だ。君には悪いが、破ることはできない」
自然と全身にぐっと力が入った。
理由は分かった。それでも、やっぱり納得ができない。
「俺達はその暴力ってやつにさらされてるんです。力のない人間は、暴力を振るってくる奴らの言いなりになれってことですか。対抗する力すら、与えてくれないんですか!」
無意識のうちに、叫ぶように言っていた。
それにシェナドは嫌そうな顔をする。
「うるさいなぁ。そんなの師匠に聞いてくれよ。僕は言い分を守ってるだけなんだからさ。取り敢えず逃げればいいじゃないか。それにさ、君から聞いた話だと、今のターゲットは君たち転生者じゃなくて、イリオちゃんって子じゃないのかな」
「そうですけど、それがなんですか」
「彼女を渡せばいい」
無責任な発言に、思わず顔の筋肉が強張った。
リサを殺そうとしてまで、連れ去ろうとした連中だ。目的はわからないが、確実に彼女にとって不幸な結果になることだけは分かる。
「何を言ってるんですか、あなたは!」
その怒りに満ちた言葉と表情に、シェナドは肩を丸めながら一歩後ずさった。
「ちょっとちょっと、そんな睨まないでよ。怖いじゃないか」
その後、バツの悪そうに頭を掻く。「ちょっと無礼な言い方だった。悪かったよ。でも、これは事実だ。イリオちゃんを渡せば、一旦はこの話は収まるだろうし。何より、君がイリオ・ハイメインをそこまでして守る意味だってないだろう」
守る意味?
「イリオは友人であり、仲間です! 彼女に助けてもらえなかったら、俺だって死んでたかも知れない。そいつが狙われてるなら、守ってやりたいって普通は思うでしょう」
「ああ、わかるよ。気持ちは痛いほどわかる」
口ではそうは言っているが、話し方は呆れているような様子だ。「でもよく考えてよ。命を助けてもらったからって、その命をまるっと渡さなきゃいけないわけじゃないだろう。その騎士道精神は素晴らしいが、ちょっとやりすぎじゃないかな」
自然と、またシェナドを睨んでいた。
「彼女を……見捨てろってことですか」
「さっきからそう言ってるだろ。彼女は君の家族かい? それとも、実は恋人だったりするかな。どちらにせよ、他人だ。君には君の人生がある。ちょっと冷静に考えるべきだ。それと、彼女は君に助けてくれとお願いでもしたか」
ザイロは首を振る。
「いや、何も知らないので」
「一度聞いてみたらどうだね。流石の彼女も、他人が死ぬかも知れないことを天秤にかけたら、自らを差し出したほうがマシと思うかもしれないよ」
それから夜が一つ過ぎた。
眠れなかった。そしてそれは今までのどの夜よりも短く感じた。
気がつくと空は青がかり、小鳥がさえずる。
訓練を称して二人を街の外に連れ出した。
自分の心中を表しているかのように、昨日とは打って変わって、焦げた綿のような雲が空を覆っていた。
「ごめん。説得できなかった」
地面に座り込んだザイロは、開口一番にそういった。レインとリサに頭を下げる。「本当にごめん」
「ちょっと、やめてよ! ザイロは悪くないよ。仕方ないじゃん、向こうが嫌って言うならさ」
リサがそう言うと、レインも続く。
「リサの言う通りだ。お前で無理なら、もうそれはどうしようもないことだろう。終わったことはもう仕方がない。それよりも次をどうするかを考えるぞ」
「それなんだが……」
イリオを渡す。
その言葉をザイロは飲み込んだ。
それに賛同できる者など、ここにはいない。
それよりも、
「イリオに、話すべきかな」
レインとリサは、黙ってザイロの続きの言葉を待った。
「アイツも、ちょっと俺達の空気がおかしいことに感づいてる。どうにしたってもう納得のいく言い訳も考えられない」
「私は……あんまいいたくないかも」
リサは手を後ろに回し、下を見ながら言った。「だってさ、きっとイリオちゃん、自分のことなんていいから、皆んなだけ逃げてって、言いそうだもん。ちょっと色々あったから、心配かけちゃうよ」
「なら、どう説明するんだ」
レインが問うと、リサは「わかんない」と下を向いたまま口を尖らせた。
「リサ、お前が言ってることは正しい」
それを見て、ザイロが語りかける。「俺もレインも同じ気持ちだ。でもよ……」
ザイロは言葉をつまらせて、眉間をつまんだ。
「どうすれば……いいんだろうな」
一晩、考え続けても出なかったその問い。
それを二人に聞いても、答えは出なかった。
冷たく、無情な時間の流れが三人の間をゆっくりと過ぎていた、その時、
「あの」
不意の声に、全員の目が向く。
立っていたのはイリオだった。
「すいません、何かお話をしていましたか」
「外は危険かもしれないから、部屋で待機していろと、言っていたはずだぞ」
レインが咄嗟にそう返した。
「ごめんなさい。でも……あの。やっぱり知りたくて。皆さん、私に隠していること、ありませんか?」
「えぇ! いやいやいや! 全然ないよ! 隠し事なん、てそんな」
リサが強く否定するが、狼狽し、あからさまにおかしい様子だ。
「リサ、もういい」
それをみて、ザイロが言った。「もう無理だ。隠しきれない。話そう。もう、こうするしかない」
そういうと、目を閉じ、重い溜息を吐きながら「お前がそう言うなら」とレインは黙った。
意を決し、レインは説明をした。
サルディから、ここに来て起きたことすべてを。
イリオの表情は虚ろで、あの日、ザイロに罪を告白した時に似ていた。
それでも、一つ一つを、しっかりと、手を握りしめ、頷きながら聞いていた。
「なるほど。そんなことが、あったんですね」
全てを語り終えると、イリオは震える声でそういった。「本当にごめんなさい、皆さん。危険な目に合わせて」
「気にしないで!」
リサは気丈に振る舞いながらも、ガッツポーズを取る。「ほら! 全然大丈夫だよ! 私がガッツリ生きてるし、心配しなくていいよ!」
「はい、本当に。死ななくて良かったです」
「ハハハ……そんな……大げさだよ」
落ち込んでいるイリオを見て、リサの声はどんどんと萎んでいった。
息を強く吸ったイリオは、向いていた視線を上げた。
その目は、何か強い意思を持ったものに変わっていた。
「でも、良かったです。理由はわかりませんが。私が目的なら、私を差し出せばすべてが解決します」
「イリオちゃん」
心配そうに声をかけるリサ。
レインは横目でザイロを見たが、黙ったまま何も言わない。
「本当に皆さん、今までありがとうございました。短い間でしたが、皆さんと旅ができて、本当に……本当に楽しかったです。こんなに楽しいのは初めてでした。確かに、離れ離れになるのは寂しいですけど、私は行きます。またどこかで会えたら、仲良くしてくれると嬉しいです」
パチパチと瞬きをしながらも、その目はまっすぐと前を向いていた。
「イリオ」
問いかけたのはレインだった。「本当にそれでいいのか」
「いいに決まってるじゃないですか。それよりも、私のせいで皆さんに何かがあったらと思うと、そっちの方が本当に苦しいです」
「目的は定かじゃない。だが、人殺しも問わない連中だ。お前も死ぬかも知れないぞ、イリオ」
レインの声は静かだが、鬼気迫るような雰囲気があった。
「それでも、いいんです。皆さんと楽しい時間を、少しだけでも過ごせた。それだけで、私は十分です」
瞬きをした後、すぐに明るい声に変わった。「それよりも、皆さんアップルパイを食べませんか? リサさんが作るのが得意だって。私、最後にリサさんのお料理を、みんなで食べたいです」
「イリオちゃん」
涙ぐみ、震える声でリサが呟いた。
「泣かないでくださいよ。私なら大丈夫ですから。後、何日かわからないけど。皆さんで楽しく過ごしましょうよ。どうか笑顔で見送ってほしいです」
すうっと、息を吸うザイロ。
湿った空気が体に入り込み、しっけた匂いがよくわかった。
「イリオ」
そして静かに彼女に語りかける。「やめてくれ」
イリオはわざとらしく首をかしげてみせた。
「やめるって、何のことでしょうか。私は何もしてませんよ」
「嘘はいい」
ザイロは両手を握り、イリオを見つめる。「今は本当のことを言ってくれ、頼む」
「ちょっと、何言ってるんですか、ザイロさん。私は何も……嘘なんて」
素早く、瞬く目。
そこには微かに水がたまり、光が反射する。
震え、揺れる吐息には、彼女が内側に強く、何かを隠しているのを示していた。
それを悟っているザイロは言った。
「知ってるだろ……俺には、嘘はつけない」
「そんな……それは、たまたま……」
一筋、彼女の頬に涙が伝う。
「みんな、戻りましょうよ……リサさんの、アップルパイを、皆で……最後に……」
顔を下にして、それを止めようとしたか、それでも一筋、また一筋とイリオの顔を濡らす涙。
もはや、留めることなど不可能な量、それと同時、栓をしていた感情が流れ出す。
「あのっ!……こんなこと言ったら、皆さんに迷惑がかかるって! 何もできない私が、こんなこと言っちゃだめだって、分かっています! 分かってるんですけどっ! ごめんなさい。やっぱり嫌です!」
膝をつき、イリオは泣き、叫んだ。「もっとみんなと、一緒にいたいです! 離れたくないです!……ごめんなさい……ごめんなさい……私なんかが、ごめんなさい」
地面にうずくまり、ひたすら、ごめんなさい、と呟くイリオを、顔をぐちゃぐちゃにしたリサが抱きしめる。
「大丈夫だよ。ずっといっしょだよ……だから、泣かないで。私が絶対にイリオちゃんを守るよ」
目を閉じ、心を決めたザイロ。
「分かった……ありがとう、イリオ。」
立ち上がった彼の瞳は澄、まっすぐ前を見ていた。「みんな気持ちは一緒だ。なんとかする。だから、ちょっと待っててくれ」
振り返り歩き出そうとするザイロを「待て」とレインが止めた。
「どうする気だ。何か策はあるのか」
そう問うと、ザイロは人差し指を立てた。
「一日、時間をくれ。任せとけ、策なら一応ある」




