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第5.5話-3 魔法殺し

 三年の月日が経った。

 出会うのは月が綺麗に光る日。週に多くて五日。少なくとも二日は会っていたのではないだろうか。

 合図や約束などもなかった。僕が行けば、彼女はいつもそこで、張り付いた笑顔で立っていた。

 ナイフの扱いを教わり、動き方を教わり、戦い方を教わった。

 滾る気持ちを抑える儀式は、いつの間にか彼女との訓練に変わっていた。

 このときの集中力は凄まじいものだった。

 というより、それ以外に夢中になれるものなどなかったというべきか。

 ナイフを持っていない日中でも、目を閉じれば動きの練習をしていた。

 その日は調子が良かった。

 自分の動きが速いのがわかり、相手の動きもよく見えた。

 いつもの模擬戦の時、女に隙が見えた。

 手に持っているナイフを、首にあてがうと二人の動きはピタリと止まる。

「私の負けだね」

 女がそう言うと、僕は黙ってナイフを首から離した。

 初めての勝利だ。だが、喜びはなかった。

 別に勝つため、強くなるためにやっていたのではない。気持ちを落ち着かせるためだ。

「まさか練習とはいえガキに負けるとは。私も老いたかな」

 ふうと、女は一息ついた。「もう十分かね。あんたに教えることはないよ」

 その言葉を聞いても、悲しさや寂しさはなかった。

 ただ、眠れない時間をどう過ごそうかと考えていた。

 それを見て、女は鼻を鳴らして笑った。

「ちょっとは寂しそうな顔しなさいよ。本当に可愛げのないやつ……それでも、あんたが心配だよ。これも歳かね」

「心配なら、これからもずっと、こうやって教えてくれてればいい」

「それはダメさ……これ以上あんたといると、離れられなくなりそう」

「僕は別にそれで構わない」

 フーっと女はため息交じりに息を落とす。

「あんたはそうだろうね。でも私はダメ。技を見てたらわかるだろう。碌な人生送ってないのさ。それで死に場所を探してたら、あんたの手紙を見つけた。技を教えたのは気まぐれ。死ぬまでのほんの些細な暇つぶしさ」

「ずっとそうやって、暇つぶししてればいい」

「そうはいかない」

 物悲しげな間の後、女は続ける。「これは殺人術。本当はこんなの、知らないほうがいい。でも可哀想なあんたに教えてしまった。私が伝えられるのは、これしかなかったから」

 女は背を向けて歩き出す。

 これが最後の時。僕はそれを感じていた。

「一つ忠告しておく。あんたには人を殺す技術がある。だが、手当たり次第に周りを切り刻めば、それはやがて自分に返ってくる。使い時は考えろ。いいな」

 数秒考える。

「わかった、覚えておく」

「それとあんた、ちょっと表情が硬いよ。笑顔は相手を油断させる。作ってでもいいから笑いな」

 そう言われて、久々に笑ってみせようとした。

 自分でもわかる。こわばった筋肉を無理やり使ったかのように引きつった笑いになった。

 それを肩越しに見ていた女は、笑っていた。

 張り付いて作ったものじゃない。心からの笑み。それが闇に消えようとしていた。

「ちょっと待って。最後に……名前くらい教えてよ」

「私の名前はシャディ・ヘイルナート。あんたがもう二度と、聞くことの無い名さ」

「シャディ…ヘイルナート」

 初めて彼女の名を呼んだときには、もう姿は見えなかった。

 それからの人生は、おおよそ説明しなくとも、察しがつくだろう。

 ある日、なんとなく家を出て、傭兵となった。

 その日からキルト・ヘイルナートと名乗った。

 キルトはシャディからもらった、ナイフに刻まれていた名前だ。

 姓も名も、彼女からもらったことになる。

 前の名前は忘れた。知りたいなら父に聞いてみるといい。覚えていたら、教えてくれるかもしれない。

 傭兵の仕事をしている内に、魔法使いの手配犯を殺した。特にやりがいもなく、簡単な作業だった。

 だが、代えがたい多幸感があった。

 魔法への怒りか、名家への苛立ちか。誰かが僕の目的を魔法への嫉妬と言っていたが、それもあながち間違いではないだろう。

 なにせ、その時、その瞬間だけは、心の底から笑えた。

 そして、それが僕の生きがいになった。

 力の使い時は考えろ。

 シャディのその言葉がなかったら、僕は無差別の快楽殺人者になっていたかもしれない。

 まあ、快楽殺人者に間違いはない。僕は愉悦と快楽のために、魔法使いを殺している節がある。

 それでも、相手は選ぶ。

 それが僕なりの、シャディに対する礼儀だ。

 僕は今日も探す。

 できるだけ合法に。できるだけ残虐に殺せる魔法使いを。

 それが、僕の生きてる理由だ。



 まだ日も落ちきっていない。だが、早くも月が顔を出していた。

 街を出たことがなかった少年は初めて塀の外へ出て、南へと向かって歩き始める。

 なんとなく、丘のような場所に出た。

 そこにキルトはいなかった。だが、

「やあ」

 後ろから声がして振り返ると、いつの間にかそこにいた。

「本当に来たんだね」

 そう言って、彼は作った笑顔を向けてきた。「命をもらうと言ったんだ。素直に逃げればいいのに」

「あいつを見つけて殺せたんだ。逃げたって無駄だろ」

 ぶっきらぼうにそう言うと、キルトはフフっと笑った。

「賢い子供だ。死ぬには惜しい」

「別に、惜しくなんてない……生きてる理由なんてないし」

 家族もなく、行く当てもない。

 たとえどこにいっても、それが変わることはない。

 少年に、生きる希望はもうなかった。

 キルトの表情は、少しも揺るがない。

「そうかい、そう言うなら」

 キルトは懐から一本、ナイフを取り出すと、それを少年に向かって突き出した。

 恐怖に体を強張らせたが、キルトの持っているナイフは、刃の方ではなく、柄の方をこちらに向けていた。

 戸惑いの表情を向けると、彼は首をかしげる。

「どうしたんだい、持ってよ。もしかして、殺されるとでも思った? 僕は相応のものをかけて、と言ったんだよ。殺すなんて言ってない」

「あぁ……そっか」

 今日、ここで死ぬと思っていた。その覚悟をしていた。

 その緊張から解放された少年は、ほっとして、寝起きの一言目のようにそう言った。

 この世に絶望していても、やはり命は惜しい。

 まだ震えた手でナイフを取ると、キルトは二歩離れる。

「見ての通り、僕は友達が少なくてね。夜な夜な、一人で戦闘の練習をしてるんだけど、一人でできることなんてたかが知れてる。練習相手になってよ。ナイフを使ったことは?」

 黙って首を横に振る。

「なら教えよう。親指を刃の反対に沿うように押し付けるんだ。そうすれば、深く突き刺せて殺傷能力が上がる。半身になって相手に軌道を読ませるな。それと、しっかり重心を落として。いつでも踏み込めるように。突き刺すときは、切っ先と相手の最短の線を意識して」

 言われるがまま、少年は構えをとる。

 我ながらぎこちない構えだったと思う、それでもキルトはうなずいてみせた。

「うん、筋がいいね。僕に向かって刺してきな」

 その言葉に戸惑ったが、キルトはおどけたように首をかしげた。

「僕はプロだよ。キミの攻撃なんて当たらないさ……さあ、力を抜いて、自分の中で、リズムを刻むんだ。最高のタイミングで刺してきな」

 リズム。

 その言葉を頭の中で考えていると、自分の心臓の音が聞こえた。

 ナイフを持ったこともないし、こんな異次元な状態だ。心臓も高鳴っている。

 それに合わせて、かすかに体を揺らしてみると、なんだか動きやすい気がした。

 細く長い息を吐き、精神を研ぎ澄ませる。

 足を踏み込み、言われた通り、最短距離でキルトへとナイフを突き出した。

 不思議な感覚だった。

 躱された。

 いや、というよりも、まるで落ちる木の葉を思わせるように、無駄な力なく脱力して避けるさまは、舞った、という方が正しいような気がした。

 そしてキルトは笑ってみせた。

 張り付いたものじゃない。心から湧き出たもののような気がした。

「楽しい夜になりそうだね」



 何時間やっていたのだろうか。

 キルトの表情が暗くて見えにくくなると、やっと日が落ち始めていることに気がついた。

「そろそろ、頃合いかな。楽しかったよ」

 服に滲むほどの汗をかく少年と違い、涼しい顔をしているキルトはそう言った。

「シェード君が言っていた孤児院に行くといい。彼のツテだ。きっと立派な場所だよ」

 強くうなずき、手に握られたナイフに視線を落とす。

「あげるよ、それ」

 それを見て、キルトが言った。「僕のものじゃないんだ。貰い物でね。でも、大事な人からもらったから大切に使ってほしいな」

「そんなの……どうして」

 キルトは顔を横にやった。

 遠くを見つめ、昔を思い起こしているようだった。

「さあ、どうしてだろうね。きっとこのナイフは、こうやって色んな人の手を渡り歩いたんじゃないかな。そんな気がするんだ。だから、次はキミの番ってことかな」

 キルトはそっと、自分の胸に手を当てる。「僕の名前はキルト・ヘイルナート。もしキミがもっと強くなりたいなら、僕の元へ訪ねて来るといい。しっかりと教え込んであげよう」

 少年の表情はぱっと明るくなる。

「本当に!」

「ああ。ただ約束してほしい。これは人を殺める技術だ。手当たり次第に周りを切り刻めば、それはやがて自分に返ってくる。使い時は考えないといけないよ」

「うん、わかった」

 その返事を聞いて、キルトの表情は柔らかくなった。

「もう夜になる。街に戻るといい。そのうちキミの元に人を遣わすよ」

 強くうなずき、振り返って走り出す少年。

 最後、キルトから見えなくなりそうになると、少年は振り返り、大きな声で「ありがとう! キルトさん!」と叫んだ。

 それに手を振り返すと、少年は街へと走っていった。

 少年が通り過ぎた木の一つ。

 その影に隠れていたシェードが顔を出す。

「もう少し、誤解のない誘い方があったんじゃないかな」

 キルトに向かって歩きながら、そう話しかけた。

「誤解? さて、何のことだろう」

「少年に生きる目的を持たせたかったんだろう? 最初からそう言えばよかった。命をかけろだの、どうしてそんなことを言う必要がある」

「どうだろう。僕は君に殺されるのが嫌になったから、行動を変えただけかもしれないよ」

 のらりくらり。

 本心を言うつもりがないことを悟ったシェードは、目を閉じて息を落とす。

「君がもう少し素直なら、僕らとの摩擦も生まれないだろうに」

 キルトはフフッと笑って首を振る。

「それはないね。僕はどうあがいても僕。歩けばそこが血に染まる、みんなの嫌われ者。魔法殺しのキルトさ」

「その魔法殺しが、どうして少年に技術を授けた」

「さあ、どうしてだろうね」

 キルトは少年が消えた方を見つめた。「僕は気まぐれだからね。偶然じゃないかな」

「そうか。まあ、これで君の目的は達したんだ。次の街に行こう」

「うん、そうだね」

 いつもの雰囲気とは、違うものを感じる返答だった。

 キルトの目は未だ、じっと少年が消えた街の方へと向いている。

「どうかしたのかい。まだ残る理由でも」

「いや、大丈夫だよ。シェード君の言うとおりだ。早くイリオさんを助けに行こう」

 そう言って歩き出し、シェードもそれに続く。

 キルト・ヘイルナート。

 彼の本心は誰にもわからない。本人も、うまく理解していないのかもしれない。

 ただ、心の何処かに、家族を失った少年を思う気持ちがあるのは確かだった。

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