第5.5話-2 魔法殺し
地位や名誉を多く求めない祖母は、エドニール家でも少し変わった人間として見られていた。
葬儀に人は少なかった。近い親等の者や、祖母の友人たちのみで行われた。
僕は笑わなくなった。笑みに意味などないと、悟ったから。
心の支えがなくなったからか、夜が長く感じられた。
体の内側から、別の自分が抜け出そうとしているかのように、全身が疼いた。
ベッドに座り込み、闇を凝視する。
祖母は外にいるとき、盗人に襲われたようだった。
盗人は魔法使いで、抵抗する祖母に、火の魔法を浴びせた。
そいつは逃げおおせ、まだ見つかっていない。父も忙しいのか、探そうともしない。
そんなことを考えても、僕は何も感じなかった。
本当は怒りたかった。悔しく、涙を流したかった。
しかし、失意の中、ただ笑うことを強いていた心は、もはやそれらを感じることすらできず、なんの反応も示さなくなっていた。
闇を見つめる虚無の瞳。その奥に、黒い、滾る何かだけがあった。
夜。滾る感情を、こっそりと外に抜け出させた。
森を抜け、高い丘に立つ。
そこはよく風の通る場所だった。
手に持っていたボロボロの紙を、両手で持って掲げる。
それは家にある、くたびれた本からちぎり取ったもの。
そこにはこう書かれていた。
殺して。
理由も、目的も、名前も書かれていない、ただ文字にされた殺意を、風に流した。
すると、胸の中の滾りが収まり、すぐに眠ることができた。
それを定期的に続けた。
別に復讐が目的ではない。
言葉にするならそれは儀式。
滾る気持ちを抑え、早く、深く眠りにつくためのルーティーンのようなものだった。
二年の月日が経った。
あの時よりも少しだけ凛々しくなった僕は、まだその儀式を続けていた。
というより、まだ辞めることができない、という方が正しいだろう。
いつもと同じように崖に来た。
空には半月。いつもより強く輝いて見えた夜だった。
風は僕の殺意を連れ去っていった。
平静を取り戻していく感情。
それを実感して振り返ると、不思議な感覚があった。
夜の木々。いつもは何の感情もなく通れていた。
だが、今日は恐怖を感じていた。
「ほう、私が見えるのか」
闇がこちらに語りかけてきた。
声があったのは目の前。それでも、人の形は見えない。
「見えている……わけじゃなさそうだね」
近づく足音。目の前にそれが来た時、はじめからそこにいたかのように、人間が出現していた。
全身が黒の布で隠れている。
輪郭は揺らめいていて、集中していなければまた影の中に溶け入ってしまいそうだ。
「紙を見たよ。あれは願い事って感じかしら」
女の声だ。少し年季を感じる、力強さを覚えるような。「こんな夜更けに、あんなのを飛ばしてどうしたのさ。話だけでも聞いてやろう。どうした。誰をどう殺したいんだ」
考える。
だが、考えれば考えるほど、分からなくなる。
「分からない」
この殺意。いったいどうすればいいのだろうか。誰にぶつけたいのだろうか。それとも、本当は自殺でもしたいのか。何も、分からない。
「でも……殺したい」
荒唐無稽すぎたか、闇の女が笑った気がした。
「おもしろいガキだね」
女が何かを投げると、足元に突き刺さる。
それはナイフ。
夜だというのに、自ら発光しているかのように銀に輝いて見える。
「何かの縁だ。殺し方なら教えてあげる」
そう言って、女は顔に巻かれていた黒い布を下げる。
笑顔だった。しかし、それは固く、仮面のように思えた。
王都や、規模の大きな街には街灯があり、夜も常にロウソクで照らされているらしい。
だが、サルディはそれに該当しない。
夜は暗闇。定期的に衛兵が徘徊するが、それも本当にやってるかどうか。
そっちのほうがいい。とってもやりやすい。
そんなことを思いながら、ギックは路地で身を屈めながら唇を舐めた。
最初は偶然だった。
夜、寂しくなり、光が恋しくなり、手元に小さな火を付けた。
それが、たまたま近くの家に着火。結果として放火となった。
怖くなってすぐに逃げたが、どうなったか気になって野次馬が集まっている中、こっそりと見物に行った。
美しかった。
美というものを体感したのはいつぶりか。
家をなくし、物乞いとして落ちぶれてからは、一切ないのは確かだ。
そして、それを囲む野次馬たち。
まるで、自分が描いた芸術作品に、人々が心奪われているかのように錯覚した。
ずっと胸の中にあった破壊欲や、自己顕示欲が一気に満たされた気がした。
それからというもの、火のことばかり考える。
何度か試みて失敗もした。だが、その分、成功した時は世界が揺れるほど快楽を感じられた。
今日もまた、内なる衝動を抑えきれず、火打ち石を懐に、家の裏に潜む。
目星を付けていた家だ。幸せそうに、家族で出かけていた。
こういう理想的な幸福像を見ると、燃やす衝動を抑えることができなくなる。
カチッ、カチッ。
油をかけた壁に二度、三度と石を打ち鳴らす。
クソ、今日はツキが悪い。
「こんばんは」
突然、隣から声。
驚きのあまり苦しむ獣のような声を上げながら、飛び上がり、目を向ける。
「あれ、驚かせちゃいましたか」
見えたのは黒髪の、ヒョロリとした印象のある笑顔の男だった。
衛兵には見えない。手元に小さな光のランタンを持っている。
驚きのあまりまだ呼吸もままならないギックに、男は話し続けた。
「いや、申し訳ない。驚かせる気はなかったんですよ。ただ聞きたいことがありましてね」
その男の笑顔が、更に強くなる感じがした。その吊り上がった口は、ちょうど空で光る三日月と同じに見えた。「ここ最近、火を使った事件が増えてまして。わけあって犯人を探しているんですよ」
ざわざわと、うなじが蠢くような感じがあった。
こんな場所で、火打ち石を手に持った男に、そんな質問をするのか。
おちょくってきている。
そう思うと、ぐっと奥歯を噛みしめる。
「そう言えば、僕の名前を伝えてませんでしたね。僕はキルト・ヘイルナート。傭兵をやっていてね。依頼内容は放火犯の殺害。このあたりで怪しい男はいなかったかな」
キルトの言葉はほとんど聞こえていない。
目的が明確になるにつれて、迷いが消える。
ギックは魔力を右手に込めると、それは風を纏っていく。
手に風を纏わせ、貫通力を上げる魔法、『キルギス』
手刀の形にして突けば、人体を貫ける。
すぐさまキルトへと一歩近づき、手刀を突き出すも、「おっと」と声を出しながらキルトは後ろに避ける。
ランタンに当たり、それが落ちる。
ぶちまけられた油に火が移り、二人の間で燃え盛った。
殺すことは難しいと悟り、次は逃走のための攻撃を繰り出そうとする。
『ファルト』
風を纏った手から風の弾丸を放つ魔法。
ギック程度の使い手では殺傷能力はない。それほどの力があれば職に困っていない。
だが、足を止めることは十分にできる威力。
火が近づくのを遮っている今、魔法の使えない相手に対しては、安全かつ効率的な攻撃となる。
『キルギス』によってまとわれた風を、そのまま発射するために前に突き出した次の瞬間、パンッ、と聞き馴染みのない乾いた破裂音が響く。
音の出どころは自分の手首。
『ファルト』を放つために前に出したそれから、血管が破裂し噴水のように出血していた。
何が起きたかわからず、口を開けたまま呆ける。
キルトは跳躍し、火を避けてギックの前に降り立った。
「魔力は血管を通して各所に運ばれていくんだけどね、その血管の中に魔力点と呼ばれる、ツボのような場所があるんだ。そこを刺激すると、魔力が乱れたり、逆に安定したりする。そこにこれを突き刺す」
キルトが懐から取り出したのは、緋色の針。それはいつの間にか、ギックの二の腕に刺さっていた。「ガラリア鉱石と呼ばれるものからできる、脆い針。この石は魔力を乱す効果があって、魔力点を突いて魔法を使おうとすると異常が起こる。血液の逆流や、魔力の暴走。血管の破裂は運がいいほうだよ」
嬉々とした様子で語るキルトに、もう一方の手を突き刺そうとしたが、瞬時にキルトの懐から振り上げられたナイフによって、手首から先が切断される。
宙を舞った手が、血を散らしながらギックの傍らに落ちる。
両手から血を吹き出しながら、膝を突くギック。
「た、たす……助けて」
逃げることも、倒すことも不可能と悟り、ただ慈悲を求めた。
今のギックにはそれ以外にできなかった。
「うーん、助けて、か」
瞬間、キルトはギックの喉にナイフを突き刺す。
「ぬぐッーー」
咄嗟のことに叫びそうになったが、その口をキルトの手によって塞がれた。
「ちょっと、こんな時間に大きな声を出さないでよ。近所迷惑でしょ。それと、助けてっていうのはちょっと無理だね。依頼はキミの殺害だから」
まだある方の手で、キルトのナイフを持った手首を掴むも、一切動く気配はない。
「あんまり触らないほうがいいよ。頸動脈を切っちゃうから」
フフっとキルトは笑う。「難しいんだよ。なるべく殺さないように首を切断するのは。出血がないように、血が肺の方にいかないように、慎重に切断するんだ。僕の数少ない、人に誇れる特技さ」
頸動脈を切っていないとはいえ、喉の中で大量に出血し、強烈な血の匂いが鼻腔を刺激する。
もう運命を受け入れるほかないと悟ったギックは、涙を流しながらキルトを見上げる。
その顔は、まるでお気に入りの玩具を与えられた子供のような、無邪気で、純粋で、これ以上ないほどの歓喜に満ちた笑顔だった。
「ところでさ、最近起きたスラムの放火事件って、あれさ、キミがやったの?」
スラム? 放火?
こんな状況で記憶を整理して回答など、できるはずがない。
「まあ、いいか。その時はその時だ……不幸は誰にも均等に訪れる。あの少年にも、そしてキミにも。明日はこの僕かもしれないし、知らない誰かかもしれない。だから、安心していいよ。キミはひとりじゃない」
もうキルトの言葉など、聞こえてはいなかった。
ただ、神と天国の存在を願っていた。
翌朝。サルディの広場の真ん中に、生首が置かれていた。
その前には血の文字で「火遊び人」と書かれていた。
街は騒然としていた。
愉快犯か。それとも、誰かが正義の心で彼を裁いたか。
裏の組織に手を出して、消されたというのが一番有力な噂だった。
どれも違う。それを知るのはこの街の住人で、少年ただ一人。
その手には朝起きた時に、頭の辺りに落ちていた手紙が強く握られていた。
今晩。南の丘にて待っている。
青白く、ハエのたかりだしたそれを、純真なる瞳で見つめていた。




