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第5話-1 強者の摂理

「てい! とりゃ! うぉりゃ!」

 時刻は昼。

 気合いを口にしながらも、手作りの木刀をブンブンと振り回すリサ。

 それと同じく木刀を持ったレインは、その刀が眼の前で振られる中、右にゆっくりと歩く。

 手を伸ばせば届く距離だというのに、リサの剣は目標のレインに当たることなく、近くの空を何度も斬った。

 十回ほど振った後、リサは肩で息をしながらしゃがむ。

「はぁ、はぁ……全部、ギリギリで躱すとは、やるじゃん」

「躱してるんじゃない、横に移動してるだけだ」

 レインは木刀を前に出して構える。「ちゃんと目標を見ろ。お前は剣を振るときに、自分の剣しか見ていない」

「剣を見ないでどうやって相手に当てるのさ」

「手に持ってるなら、感覚で分かるだろう。スプーンを使って食べるとき、お前はスプーンしか見ないのか」

 リサはハッとしたように目を丸くする。

「あ、そか。なるほど」

「今度はちゃんと俺に当ててみろ。防御するから遠慮はするな」

「おっけー」

 リサの目と腕にぐっと力が入る。

 言われた通り、決して手元には視線を落とさない。ただまっすぐに、目前に立つレインの姿だけを瞳孔に焼き付ける。

 目標は頭。

「うぉりゃあああ!」

 その脳天めがけ両腕を振り下ろすも、肝心の木刀が手に握られていない。

「あれ、剣どこいった?」

 不思議そうに手のひらを交互に見つめるリサ。それを眠そうな顔でレインは眺める。

「後ろだ。すっぽ抜けて飛んでいった」

 リサが振り返ると地面に落ちた木刀が見えた。

「剣ってムズ――痛ッ!」

 前に向き直ったリサの額に、レインの突きが刺さる。「なにすんのさ!」

 涙目で額をさするリサ。レインは同情する様子もなく言う。

「振るのが無理なら、せめて避けられるようになれ。ほら行くぞ!」

 再度、突きを放つレイン。

 ヒュッ、と空気を裂く音。その切っ先を、リサは首を横に捻って紙一重で避ける。

 鼻先を木の先端が掠めていった。

「ちょ、怖い怖い!」

 ニヤリとレインは笑う。

「ほう、振るのは無理だが、避ける才能はあるな。ほらほら、避けろ。額に穴が開くぞ」

 凄まじい疾さの突きを、リサはぎこちなく動きながらも何度も避ける。

「いやぁ! やめてやめて! 誰か助けてぇ!」

 助けを求める少女の後方。

 そこでザイロは座りながらぐっと空中をにらんでいた。

 その宙に、ゆっくりと砂鉄が渦を描くように集まっていくと、徐々に形は手のように広がっていく。

「何をされているのですか?」

 隣にやってきたイリオが話しかけると、糸が切れたかのように砂鉄は地面に落ちた。

「あ! す、すいません」

 とっさに謝るイリオに、ははっとザイロは笑って見せる。

「いや、いいんだよ。これで落ちるようじゃまだまだだ。こんなの、話しながらでもできるようにならないと。だから気にせず話してよ。そっちのほうがいい」

 また宙に磁力を発生させ、砂鉄を浮かせていく。

 目の前の砂鉄を操るザイロ。

 しかしその目はまるで遠方を見ているかのように、焦点が奥へと向かっている。

「喋るようになったな、イリオ」

 魔法を維持しながらも、ザイロはそう聞く。

「え……そうでしょうか?」

「ああ、そうだよ。覚えてないか。俺達が旅を始めたとき、イリオはもぬけの殻みたいで。話しかけても、中身のない返事しかしなかった。枯れた木と喋ってるみたいだったよ」

「あ、あの」

 しょんぼりとイリオは下を向く。「すいませんでした」

「あ、いや。責めてるわけじゃない」

 ザイロの焦りを表すように、砂鉄は揺らぐ。「あのときは……まあ俺もちょっと辛かったけど、仕方ない。人間なんだから、そういうときもある。それよりも、今はちゃんと、こうやって心のこもった会話をできるようになった。俺はそれが嬉しい」

「皆さんのおかげです。一緒にいると、ちょっとずつ心が軽くなってる気がします」

「そうだろうな。でも、まだちゃんとした、笑顔を見れてない」

 ほんの束の間、イリオは考える。

「はい、そうかも知れません」

「思い返してみると、俺はイリオと出会ってから、それを見た記憶がない。微笑むことはあっても、心の底から笑った時がなかった。あの時から何かを抱えてたんだと思う」

 思い出すようにイリオは黙って俯いた。

 ちらりと隣を見た後、ザイロはまた砂鉄に集中した。

「でも、大丈夫。この調子なら、きっと笑えるようになる。俺は旅に出るときに思ってたんだよ。まずはイリオを笑顔にするのが、第一の目的だって。くだらない殺し合いのゲームを終わらせるのはそれからでいい……ほら」

 ザイロはなんとか砂鉄を形作って、イリオの顔を見る。「花。どうだ」

 それは花と呼ぶにはあまりにもいびつで、ゆがんでいた。喩えるとすれば、ぶちまけた泥水に見える。

 かなり雑だがウケ狙いっていうやつだ。

 するとイリオは無理やり微笑んでいるように見えた。

「はい……きれいな花です」

 どうやら気を使わせたらしい。

「いや、悪い。無理して笑わなくていいんだよ。全然綺麗じゃないし」

「いえ、綺麗です」

 イリオの言葉からは嘘を感じなかった。見惚れる子どものように、じっと砂鉄の花を見つめていた。

「本当に綺麗です。ずっと見ていたいほどに」

 小首をかしげて考えたザイロ。

「そうか。それならもうちょっと、この形を保っとこう」

 本当に、これが綺麗なのか?

 疑問に思いながらも二人は、その花とも呼べぬ花をじっと見ていた。



「ヒィッ……ヒィイイ!」

 白ひげを蓄えた初老の男は、ぎこちなく走っていた。

 街の人間から搾り取った税金で作られた、自らの宮殿。

 高価な花瓶や絵の飾られた夜の廊下を、息を切らして駆ける。

 その首や腕に巻かれた、財力を誇示するための輝く装飾たちは、体を揺らす度にジャラジャラと音を鳴らした。

「誰か! 誰かいないのかぁ!」

 痰の絡んだ叫び声が廊下に響くも、見えたのは気を失い床に這いつくばった守衛が数名。

 絶望の中、怠惰ゆえに作られた貧弱な体はすぐに悲鳴を上げ、その場に手をついた。

 後ろからコツコツと、ゆっくりと近づく足音。それに逃げ出す力も残っていない。

「いい加減、分かっただろう」

 女の声だった。後ろを振り返ると白髪の、背の高い女が立っていた。

 手にはこの暗い廊下の、かすかな明かりを受けて美しく輝く、白剣が握られている。

「ここはすでに制圧している、逃げても無駄だ。立て。ゼノン様の元に連れて行く」

 息も絶え絶えの男は、言われるがままに廊下を歩いた。

 着いたのは絨毯の敷かれた客室。

 大きな長机には椅子がいくつも並べられている。

 数日前はここに客を呼んで、盛大に宴会を開いていたのだが、今はしんとしている。

 一番奥の席。本来、自分以外が座るはずのない豪華な椅子。そこに彼はいた。

 ゼノン、と呼ばれるその男は赤いマントを肩に羽織っていた。

 薄暗い部屋でも艶を感じるその濃い金髪は、輝く王冠にも見える。

 歩け、と女に背を押され、その王の前まで歩く。

 暗がりの中、男の顔がしっかりと見えてきた。

 ギラリとした、よく研がれた抜き身の刃のような、そんな雰囲気があった。

 体はそれほど大きくなく、立ち上がればゼノンのほうが小さいだろう。

 向こうは椅子に座っているのだから、視線はこちらのほうが高い。

 それでも、その目にじっと見られると、まるで見下されているかのような気分になった。

「貴様はこの街の長、ヴィッドだな。そこに座れ」

 若さゆえの粗暴さのある言い方と声だった。

 ヴィッドはゼノンの言う通り、この街、サルディの首長だった。

 十年ほど前から首長に任命され、他人に指示されたのはいつぶりか。

 若造の命令に従いたくないプライドはあれど、もはや反抗する気力はなかった。

 守衛たちを騒ぐ間もなく制圧する者たちだ。この場で一瞬のうちに命を取ることなど容易い。

 死にたくない。

 その気持ちに従うよう、言われるがまま近くの椅子に手をかけようとしたとき「何をするつもりだ」と止められる。

「何をとは……言われたとおりに座ろうと」

「俺は座れと言った。椅子を使っていいと命令した覚えはない」

 自然と、ウっと詰まるような声が漏れる。

 まるで奴隷か、もしくは家畜かと思っているような言葉だ。

「どうした、無理やり座らされたいか」

 ビクッと体を揺らしたヴィッドは、すぐに床に座り込んだ。

「ヴィッド、まずは先に、俺様を前に突然、狼狽して逃げ出した貴様に、謝罪することを許そう」

「謝罪を……許す?」

 震えるヴィッドは上目遣いにゼノンを見上げた。

 よもや、謝罪すら自由にする権利が自分にはないのか。

 その考えを見透かされたか、ゼノンは怒りをはらんだ目でヴィッドを見下ろす。

「なるほど、まだ貴様は分かっていないようだな」

「も、申し訳ありません!」

 次の瞬間には謝っていた。

 何が間違っているのかも、どうしてなのかも分からないが、額を床にこすりつけ、ただただ許しを請う。

 地位のなくなった自分はここまで弱いものなのかと、改めて痛感する。

 ゼノンは面倒そうに言った。

「能無しの貴様を教育してやろう。自分の立場と、この世界の摂理を。まず、貴様はなんだ」

 あまりにも掴みどころのない質問だった。どう答えても間違いな気がして、恐怖する子どものように震えてヴィッドは黙った。

「知恵のない男だ……答えは弱者だ。この俺様を前に頭を垂れて、許しを請う自由すら無いのは、貴様が弱いからだ。違うか?」

 そう問われ、反論などできるはずがない。

「はい、その通りでございます」

 そう言ってまた頭を下げた。

 今はただ生き残るためだけに、言われた通りに答えることしかできない。

「分かってきたな。貴様が弱者なら、俺様は一体何だ」

 恐る恐る、ヴィッドは頭を上げると、か細い声で答えた。

「強者……でしょうか?」

 満足気にゼノンが微笑みを作ったので、ヴィッドは少しホッとした。

「そのとおり。強者と弱者。この世の生き物にはこの区分がある」

 ゼノンが視線を横に向ける。

 そこにはいくつかのグラスと、ワインの入ったピッチャー。

 ヴィッドに視線を戻す。すぐにその視線の意味を察し、小走りでピッチャーを取りに行くと、彼の前に置いてワインを注いだ。

「そうだ、それでいい。弱者の役割は強者の顔色を窺い、そして従うことだ」

 グラスの半分ぐらいまでワインが注がれると、ゼノンはそれを手の平を見せて止めさせ、つかむと一気に飲み干した。「……では次、強者の役割は何だ」

 ゼノンがグラスをヴィッドの前に出したので、それを震える両手で受け取る。

 その後、ゼノンはピッチャーを手にし、傾けるとグラスはワインで満たされた。

 許容範囲を超えてなお注がれるワインは溢れ、手の震えによってそれは周りに散り、床にシミを作る。

 ヴィッドは恐怖のあまり、下げた頭を上げられず、その薄い頭頂が赤に染まる。

「それは利用価値のない弱者を貪り、ある者は利用してやり、おこぼれをやる。これが世界の摂理だ。どこも同じ、弱者は強者に従うか、貪られるか……もしくは処理されるか。違うか、ヴィッド」

「は、はい……そのとおりでございます」

「分かればいい」

 ゼノンはその手から強引にグラスを取り上げる。「では飲め。強者からの恵みを受けろ」

 飲めと言われてもグラスは取り上げられてしまった。

 普通に考えれば飲むことなど叶わないと分かる。

 あくまで、それは普通ならだ。

 強者と弱者の摂理。それを脳に叩き込まれたヴィッドは、その意図を即座にくみ、実行に移す。

「はい、ゼノン様。いただきます、ありがとうございます」

 思うままに、絨毯に染み込んだワインを、野良犬のように舐めだした。

「クッハッハ! そうだ、それでいい。それでこそ、弱者の正しい姿だ」

 ゼノンはグラスを傾け、ぐいっと一口ワインを飲み込んだ。「今日からこの家……いや、この街は俺様のものだ。いいな」

 ヴィッドは返事をしなかった。

 する必要ないと分かっていたから。

 弱者の持つ物。それはすべて、つまり強者の物。

 強者の摂理に飲み込まれるように、ただ黙って絨毯のワインを舐めていた。



「お、見えてきたな」

 日の光が頂点から少し傾き始めたころ、ザイロは視界に入ってきた次の街を見つけてそう言った。

「うへぇ、やっとミヘルドに着いたのぉ?」

 へろへろの声でそう言うリサに「違う、あれはサルディだ」とレインが訂正する。

「えぇ、まだ着かないのぉ。ほんとにミヘルドって街あるの?」

 後ろでぐったりと頭を落とすリサを、ザイロは肩越しに見た。

「何だよ、ドルバーンさんが嘘ついてるって言いたいのか?」

「違うよ、もー意地悪言わないでよぉ。いっぱい歩いたし、レインに虐められるしでくたくたなんだもん」

「お前がやりたいと言ってるから、俺は相手をしてるんだぞ」

 レインが睨みつけてそう言うと、ザイロはハハ、と笑って前に向き直る。

「悪い悪い、疲れてるんだよな。ちょっと大きめの部屋でも借りて、今日はゆっくりするか」

 幸いにもシェードの依頼のおかげか、カネにはそれなりに余裕がある。

 このサルディを越えれば、ミヘルドまではもうすぐだ。

 旅に出た当初と違い、ザイロの心にはかなり余裕ができていた。

 旅は順調に進み、仲間もできた。

 しかし、忘れていた。

 転生者は転生者を呼び寄せる。

 心地よい安寧の時は、そう長くは続かない。

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