第3話-3 漆黒の証
「これで何匹目だ」
蜘蛛を二匹を切り裂いた後、肩で息をしたレインが頬に付いた血液を拭いながら聞くと、ザイロはため息混じりに返す。
「二十から数えてない」
そうか、とレインは疲れた様子で返事をした。
それなりに洞窟を進んだが、まだ先は見えない。
体力は徐々に奪われていくが、蜘蛛は次から次へと湧いてくる。
終わりのない疲労感が三人の精神をじわじわと追い詰めていく。
口数は減り、溜息のような呼吸だけが、洞窟内に響いていた。
それとザイロには罪悪感もあった。
自分が依頼を受けると言わなければ、こんなことには……。
そんなことは結果論だと分かっていても、どこかそう考えてしまう自分がいた。
落ち込み、視線を落としていると「おい、ザイロ」とレインが言った。
「見えるか……光だ」
ハッとして顔を上げて目を見開くと、洞窟の先にぼやっとした光が見えた。
一気に三人の空気に安堵感が湧いた。
少し足早になりながらそこに向かうが、レインが突然、ピタリと止まる。
「おい、隠れろ」
レインがさっと体をかがませたのを見て、二人も同じように体を隠した。
「なんだ、どうした」
ザイロが聞くと、しっ、と、レインは口の前に人差し指を見せた。
松明を置いてゆっくりと奥を覗き込むと、そこには広い空間があった。
空は見えないが、渓谷がつながっているのか、かすかな光が天井の隙間から入ってきている。
そして、その光を受ける全長4メートルはあろう、巨大な蜘蛛がいた。
周りの壁や地面には、先程から倒していた蜘蛛達がうようよといる。
信じがたい光景に青ざめた表情で、ザイロは息を飲んだ。
何も言わずレインと目を合わせた。
言葉を交わすまでもない、ここを通れる訳が無い。まだ暗闇の中で助けを待つほうがマシに思える。
ゆっくりと音を立てずに引き返そうとした時、三人は気がつく。
来た道。その先の暗闇が蠢いていた。
凄まじい数の蜘蛛の目。それが道を覆い尽くすほどに光っている。
すぐさまレインが前に出て、何度か剣を振るうが、もはや倒せる数ではない。
ゆっくりと迫りくる蜘蛛の大群から逃げるように、一歩、二歩と後ずさる。
「走り抜けるぞ! 付いてこい!」
踵を返しレインは広場の方へと駆け、その後を追う。
入ると蜘蛛達がすぐに飛びかかってきたが、それをレインはすべて斬り落とす。
ザイロ達が出た道からは大量の蜘蛛が後を追って出始める。
十メートル先に、別の洞窟へつながる道が見え、それめがけて走っていたが、三人の目の前に黒い柱のようなものが落ちてきて足を止めた。
見上げるとそれは巨大蜘蛛の足だと分かった。
規格外。生き物というより、建物に思える。よもや倒せるわけがない。
足を止めると一瞬にして、周りを蜘蛛に囲まれた。
ザイロは砂鉄を周りに散らし、両手を広げて空中で固定する。
それは蜘蛛たちが進もうとする動きを邪魔して止めた。
宙にあるのはただの粒。強く押せばどかせられるはずだが、昆虫の思考回路ではそれにいたらないようだ。
思いつきの一か八かだったがうまくいった。
しかし、いつ突破されるかわからないし、何よりこのボスらしい巨大蜘蛛の攻撃を防ぐことはできない。
「行けるか、レイン!」
「まかせーー」
刀を構え進もうとしたレインは、足を止める。「だめだ。あの道も蜘蛛で溢れてる。別の穴を探さないと」
レインの言う通り、目標の穴からはザイロ達が来た道と同じように蜘蛛が溢れ出していた。
どこか。どこかに道はーー
「いた!」
そう叫んだのはシェード。「彼女……ミレナだ!」
今はシェードの依頼を気にしている場合じゃなかったが、思わずその指さした先を見た。
そして、ザイロはレインと二人で眉を寄せる。
その指さした先にあったのは、装飾の施された銀のレイピア。それが一匹の蜘蛛に刺さっていた。
ミレナというのは、人じゃなくて……。
「あのレイピアのこと!?」
気がつけば叫んでいた。
「そうだ! 彼女はレイピアだが、僕が一生を誓った女性だ」
怒りなのか、はたまた度を越した呆れか、ザイロは強烈に顔を歪ませた。
恋人を失ったシェードを不憫に思って依頼を受けたが、それが物となると話がぜんぜん変わってくる。
「ザイロ。気持ちはわかるが、今はそれを考えてる場合じゃーー伏せろ」
レインに言われるがままに伏せると、糸が頭上を通っていった。
本体からの攻撃はなくても、糸は砂鉄を避けてくる。
一瞬だけ、砂鉄から魔法が途切れたがすぐに回復させた。
切羽詰まった様子で、レインは周りを警戒しながらザイロの肩に手を置く。
「早く別の出口を見つけるぞ」
「待て! 僕を彼女の元へ連れて行ってくれ! 僕がなんとかする」
シェードは荒唐無稽なことを言い出した。
この状況を打開できない男が、レイピア一本でどうにかできるとは思えない。
「ザイロ、無視しろ」
レインは耳元で言った。「アイツは……イかれてる。あのレイピアと心中したいだけだ。俺達が巻き込まれる必要はない」
「ザイロくん!」
シェードはザイロの目をじっと見た。
言葉は意味不明だ。信じられない。
しかし、その表情は力強く、説得力があった。
「ザイロ!」
レインは肩の服をぐっと握り込み、シェードに向いていた顔を無理やり自分の方に向けさせた。「耳を貸すな、死ぬかもしれないんだぞ! 冷静になれ」
「分かってるよ、俺は……俺は冷静だ」
また、シェードの顔を見る。
表情を変えず、じっとこちらを見つめている。
この世界に転生してきて、一つだけ自信のある能力がある。
それは嘘を見抜く能力だ。今のところ外れたことはない。
シェードは……嘘を……ついてない。
「嘘じゃない。あの人は嘘をついてない。本気だ」
「何がわかる!」
「俺にはわかんだよ!」
決死の覚悟を持って、ザイロはレインの目を見る。「レイン。分かってる、無謀だってことは。それでも、これしか道はない。俺はこの人を信じる。お前の協力がなければ、レイピアは取れない」
「俺にも信じろと言うのか」
「違う」
ザイロはぐっと顔を近づけた。「俺を信じろ。あの人を信じる、俺を信じろ。それが一番の選択だと思う……頼む」
深く、二度だけ深呼吸をしたレインは「あの世で会ったら、お前を殺すぞ!」とレイピアの方へと駆け出した。
「あの世があったらな!」
砂鉄の固定を解除。三人でレイピアの方へと走る。
レインは襲いかかる蜘蛛を切り捨て、ザイロは砂鉄の粒で若干ながら蜘蛛の動きを妨害する。
蜘蛛の糸は命中率がそこまで高くないのか、動き続けていれば当たらない。
かなりレイピアに近づいたが、巨大蜘蛛が足を上げるのが見えた。
「レイン、止まれ! あのデカいヤツの足がーー」
「お前を信じる!」
レインは言葉を遮ってそういうと、進み続けた。
あの足をどうにかしろだって? どうやって。
考えていると頭上から巨大蜘蛛の足が、三人に向かって構えられ、無慈悲に振り下ろされる。
「うおおぉ!」
魔力を右手に一点集中。
ザイロは手持ちの砂鉄を空中に展開し、極限まで圧縮。
頭上に鋭角に傾斜した、鉄の壁を一瞬で構築した。
狙うのは迎撃ではない。物理的な力の受け流しだ。
直後、巨大な足が斜めの鉄壁に激突する。
ガガッと、硬い甲殻と鉄が激しく削れ合う凄まじい音が響き渡った。
砂鉄の壁は重圧に耐えきれず即座に弾け飛んだが、ザイロの狙い通り、斜面に沿って叩きつけられる力が横へと逃げた。
勢いを逸らされた巨大な足は軌道を大きく右にズラし、三人のすぐ脇の地面を深く抉り込んだ。
「よし!」
レイピアまでもう数メートル。刺さった蜘蛛は壁を這っていた。
しかしその時、体力の限界か、レインの足に糸が着弾した。
地面とつなぎ合わされその場から動けなくなる。
「行け、ザイロ!」
言われた通り、その横をザイロは駆ける。
もう蜘蛛を迎撃はできない、砂鉄で妨害するだけ。
後十歩ほどで届く距離。だがその前を蜘蛛の壁が阻む。
問題ない、この距離なら。
右手を前に出して魔力を込めると、突き刺さっていたレイピアは蜘蛛から抜かれ、ザイロの元へと吸い込まれていく。
鉄が使われているなら、多少離れていても吸い寄せられる。
右手にレイピアが収まると、そのまま後ろのシェードへと流れるように投げる。
ほぼ同時、砂鉄の妨害がなくなった蜘蛛が飛びかかり、ザイロとレインは蜘蛛に組み付かれた。
その鋭利な歯が、皮膚を裂こうとした、刹那。
時が止まった。
そう思うほどにその場のすべての生命が、動きを止めた。
理由は恐怖。
圧倒的なまでの力を前にした生物は、思考を捨て、体を硬直させる。
この力の根源は、レイピアを手にしたシェード。
魔法を見せるまでもなかった。
この場で最も強いのは、この男。それをすべての生物が理解していた。
「寂しかったね、ごめんね……もう離さないよ」
シェードが付着していた血液を、ハンカチで拭って立ち上がると、蜘蛛たちは文字通り、蜘蛛の子を散らすように三人の周りから散っていった。
「『セナド』」
シェードがレイピアを胸の前に構えながらそう唱えると、その体を風が纏った。
「二人共、ありがとう。彼女を助けてくれて、そして僕を信じてくれて。感謝してもしきれない」
ゆっくりと、自宅の居間を歩くようにレインの下へ歩くと、素手で糸を引きちぎって捨てた。
「より強力な魔力を込めれば、糸は簡単に取れるんだ」
完全にシェードがこの場を制していた。だが、ここを仕切っていた巨大蜘蛛はそれを良しとしなかった。
これまでよりも素早い動きで、シェードの脳天めがけて足が振り下ろされる。
シェードはレイピアを振った。
軽い動きだった。それでも、蜘蛛の足は放たれた風の力で弾かれた。
再度、レイピアを振るうと、風の刃が蜘蛛の足を切断する。
巨大な足が落ち、土煙を上げ、ドボドボと血液が吹き出る。そして不愉快な蜘蛛のうめき声。
それに対しシェードは静かに、レイピアの先端を向けた。
「恨みはない。だが、人に仇なすなら、悪いが死んでもらうよ……『ギルラト』」
聞き覚えのある魔法だった。
『ギルラト』
真空を作り物体をねじ切る魔法。
何度か見た。だが目の前で起きたそれは桁違いのものだった。
吹き荒れる風と、耳をつんざく暴風音。まるで落雷が目の前で起きたかのよう。
風が収まり顔を上げると、そこにあったのはぶった切られ、亡骸となった巨大蜘蛛。
先程までいた蜘蛛の大群は、その面影もなく消え去っていた。
ザイロはレインと顔を合わせる。
そして、疲れた顔をしながらハハっと笑った。
「な、言っただろ?」
「うん、そうなんだ。やはり変わっただろう。雰囲気というか、息づかいというか。まあそういうものさ。完璧とは僕達のためにある言葉だ。僕と彼女。二人合わせて完璧になるってことなんだよ。それぞれ一人じゃだめなんだ。二人で、完璧、なんだ」
疲れ切ったザイロとレインは特に返事をしていないが、まるでタガが外れたかのように、シェードは自分たちがいかに美しいかを語っている。
変な人、だとは思っていたが、武器を手にするとそれに拍車がかかった。
道を塞いでいた蜘蛛の糸は、シェードが簡単に切り裂いた。
「ここまで強いならレイピアなんてなくても、普通に糸を切れたんじゃないですか」
「それがだめなんだ。僕はね、彼女がそばにいないと力が出ないんだ」
もう呆れて言葉が出なかったので、それ以上は聞かなかった。
しかし、仮傭兵というのにあの力は驚いた。
等級など所詮目安で、関係なく強い人間もいるということだろうか。
洞窟の外に出ると、シェードは両手を広げ、全身に太陽の光を浴びた。
「ああ、やはりいい。彼女と一緒に浴びる光こそが、本当の光だ」
その後、手を胸に添えて振り返る。「ありがとう、ザイロくん、レインくん。この恩は一生忘れないよ」
「どういたしまして。もう危険な場所でダンスなんてしないでくださいよ」
そもそもレイピアとダンスって、どういうことだよ。
「もういいだろ、ザイロ。早く行くぞ」
何かに迫られるように足早にその場を去るレイン。ザイロはシェードに別れを告げた後、その後をついていく。
「おいおい、どうした。怒ってんのか。悪かったよ、あんな変な依頼に同行させて」
「そんな事はいい、同行は俺の意思だ……それよりもだ、ザイロ」
足を止め、振り返ったレインの表情は真剣だった。「お前は何も思わなかったのか、あのシェードの力を見て」
「そりゃ、すごいって思ったよ」
そう言うと、レインはハンっと鼻で笑ってみせた。
「呑気なもんだな……俺は……ハッキリ言って悔しかったよ。自分は魔法使いの中でも、上の方にいるとうぬぼれてた。だがどうだ。俺はあの蜘蛛の巣ごときで死にかけた。最近は自分の弱さを知ってばかりだ。ハデムには殺されかけ、ドルバーンはそれを足だけで倒し……あんなイービルスパイダーを一瞬で殺せるやつも現れた」
憤慨する自分の気持ちを吐き出すように、レインは鼻から吸った息を、思い切り吐いた。
「鍛える。俺はもっと強くなる。アイツらよりも」
そう言って、ずんずんと先へと進んでいく。
それを見て、ザイロは反省していた。
あいつが力に固執する理由はわからないが、考えは正しい。
転生者はいつ襲ってくるかわからないし、強くなると自分に誓ったはずだ。
なのに、シェードの力を見て、すごいなんて言ってる場合じゃない。
力に対し、もっと貪欲にならなくては。
「帰ったらまた特訓だな」
ザイロはレインの隣に駆けて言った。「まあ、お前が疲れてるってなら、無理は言わないけど」
「バカをいうな。帰ったらさっさと始めるぞ」
「もーなんだよ、検査で忙しいんだけど」
検査官のジャネイは面倒くさそうにそう言って、メガネのブリッジを押し上げた。
気だるそうな彼に対し、書類まみれの部屋に押しかけたアイネとローネの表情は険しい。
「忙しいのは分かるけどね。これ! この依頼」
アイネは書類を前に出して言った。「これ、対象の洞窟名間違ってんのよ! さっき帰還報告があったからいいものの、受理者が死んでたかもしれなかったんだよ!」
書類を手に取ったジャネイは、面倒くさそうにため息をついた。
「ああ、確かに。北の洞窟って内容がアバウトすぎたからね。でもいいじゃん、これ依頼者同行でしょ」
「だから何なのよ」
ローネが食ってかかって言うと、ジャネイはポリポリと額をかく。
「まあこんな小さな村に来るって思わないか」
と言ってトントンと書類の下の部分を叩いた。
「シェード・ハナイ……聞いたことないのか?」
風はいつもより心地よかった。薄い羽衣が優しく頬を撫でているかのようだ。
心は満たされ、肺を巡る空気は澄んでいる。
腰に携えたミレナを撫でる。
彼女がそばにいるだけで、こんなにも世界が美しく感じるのか。
やはり、愛とはすべてを凌駕する。
「何ぼやっとしてんのさ」
後ろから声がして振り向くと、洞窟からミネルが出てきた。
「監視していたんだよ。僕がここのボスを倒したから、きっと混乱して蜘蛛が出てくるんじゃないかって……その様子を見ると、君がやったのかい?」
ほほについた血を手で拭くと、はあ、っと面倒くさそうにミネルは目を閉じた。
「やっぱあんたらか。なんか私を攻撃してきたからさ。とりあえず片っ端から倒しといたけど、もうめんどくさ、やめてよね」
「ありがとう、迷惑をかけたね。それよりミネル、エクスさんから召集令があったんだ。一緒に行くかい」
「あー、いくいく。そんなのあったんだ」
二人は並んで歩き出した。
「地質調査もいいけど、ちゃんと連絡は取るべきだよ。こういうこともあるからね」
「そんときゃそん時でしょ」
三〇分ほど歩くと街の入口に着く。
ちょうどタイミングよく馬車が停車していた。
「失礼、レイドルまで行ってくれるかな。二人だ」
そう伺うと、運転手はぎょっとした。
「レイドルって……普通に行ったら一週間以上はかかるぞ」
「急ぎなんだ。悪いけど、休憩は最低限で、急ぎ進めてくれるかな?」
「俺はいいがカネがかかるぞ。そんだけあるのかい」
「カネなら……ミネル」
なかったのでミネルの方を見た。
「アンタさぁ、そんぐらいのカネ……」
ミネルも腰の袋をいくつかまさぐるが、あっ、と言いながら顔を上げた。「そういや、ほとんどアイツらにあげちゃった」
「そうか……あまりこの手は使いたくなかったんだが」
そう言って、懐を探ると傭兵の羽バッジを取り出してみせた。「僕らはこういうものだ」
運転手はそのバッジをまじまじと見つめた。
「仮傭兵かい。そんなの、ここいらじゃ珍しくないぞ。傭兵だからタダで運べってのか」
「あー! もうあんたねぇ」
ミネルが少し怒った様子で、そのバッジを取り上げた。「これ氷生黒霊石なんだよ。ちゃんと綺麗に持ってよ。もったいない」
「すまない。最近は彼女のことばかり考えていて、手入れが行き届いていなかった」
ミネルが布でそれを磨き上げると、澄んだ黒色のバッジに変わった。
その色はとても深く、無限に続く穴の奥のように見えた。
それでいて艷やかで、透き通っており美しい。
初めて見る色に運転手は見惚れていたが、すぐにハッとして二人の顔を見た。
噂には聞いていた。漆黒の傭兵バッジ。
それは決して他の色に染まらないという、意思を表現したもの。
「あんたら、もしや」
事情を察した運転手に、シェードは語る。
「シェード・ハナイ。傭兵協会で一等級傭兵をやっている。彼女はミネル・アーランス。同じく一等級傭兵だ……カネは到着後に払う、悪いが乗せていってくれないか。集会があるんだ」




