SS アンドロメダではよくある出来事
マリトの前世でコンサル会社からパーセプモーション・テクノロジーへ転職するまでの顛末を描くサイドストーリーです。後輩のコリーンに返しきれない恩義を感じることになった出来事です。
※サイドストーリー(SS)では、物語の大きな流れと直接関係しませんが、作品のテーマ、登場人物、世界観の深掘りをして伏線を張ったりします。
マリトが東京湾岸大学の大学院の修士課程を修了して就職したのは、アンドロメダ・コンサルティングというITに強みを持つコンサル会社だった。
当時、この会社は『大学生が就職したい企業ランキング』で、毎年上位に入ってくる人気企業だった。
マリトの所属していたAIイノベーション学科は古楠教授の活動などで、一部の研究者からは高く評価されていたが、学校自体は一流大学とは位置づけられておらず、アンドロメダに入社できるのは、毎年、一名いるかいないかである。
その年は二名が入社したということで学内でちょっとしたニュースとなった。
一人が修士課程を修了したマリト、もう一人が、三年生で早期卒業を果たしたコリーンだった。
コリーンは開校以来の天才であったため、周りからは、海外の著名な研究機関やプラットフォーマーの研究所に行くと思われていたので、普通すぎる選択にかえって驚きを呼んだ。
丸の内の一等地にあるオフィス、充実した福利厚生、名だたるコンサルタントの講話など、すべてに特別感があり、マリトには輝いて見えた。
入社できたことがひとつのステータスであり、入社当時に感じた誇らしさと晴れがましさは今でも思い出せる。
しかし、その多幸感は長くは続かなかった。
上司も同期も、そして後輩も、いわゆる一流大学を優秀な成績で卒業した面々と数カ国語を話せる帰国子女たちだった。
頭の回転が速く弁が立つ。
それまでマリトは周りと比べて、地頭が良く作業も早いという自信があったが、この会社では普通の理解力で、作業はむしろ遅いと気付くのに時間はかからなかった。
マリトが特に苦戦したのは、資料の作成だ。
AIを使うことで一定の体裁は整えられるが、クライアントに響く説明のポイントが捉えきれず、レビューでのダメ出しが繰り返された。
技術的な説明をごまかせない性格が災いして、クライアント目線からは煩雑でわかりにくい資料になりがちだった。
とはいえ、技術についての知見だけは周りの社員より頭一つ抜けていたので、頼りにされることもあった。
◇
マリトがメンタルの不調により出社できなくなったのは、入社して二年が過ぎたころだ。
きっかけは、ある大口の既存クライアントの案件から派生した開発案件だった。
データを変換する小さなツールの作成だったが、要件が特殊であったことから、マリトに技術的な検討が任された。
ツール開発の提案リーダーは、小堀コンサルティングマネージャーだった。
若手の筆頭株で、秀でた額からいかにも切れ者とわかる。
彼とマリト、そして一年後輩の女性社員の三名のチームで提案資料の作成を行うことになった。
小堀マネージャーは、マリトが作成した資料を一瞥すると言った。
「佐羽さん、このツールですがデータストレージがありませんよ」
「はい。永続的なデータ保存が必要ない変換ツールなので、データのストレージは不要です」
小堀マネージャーは眉間に皺を寄せて言った。
「あのね。このツールは小規模と言っても、信頼性を求められる企業システムです。データストレージが不要なわけがありません」
マリトには何を言っているのか全く理解できなかった。
――もしかして、ツールの仕組みが根本的に理解できていないのか?
「そう言われましても、保持する必要のあるデータがない以上、やはり不要です」
「わかっちゃいないな。もういい」
そう言うと、帰り支度をしていた後輩の女子社員に声をかけた。
「帰り際に申し訳ないのですが、この資料の修正をお願いします」
彼女がマリトに『自分の仕事じゃない』と言いたげな視線を向けながら答えた。
「承知しました。何をすれば良いですか?」
「このページのこのあたりに、データストレージを付け加えておいてください」
◇
翌日、クライアントのプロジェクト責任者である事業部長と小堀マネージャーによる提案に、マリトは同行した。
システム構成の説明はマリトの役割だった。
クライアントのシステム統括部長は、うなずきながら説明を聞いていたが、終わりがけに質問を投げてきた。
「この図にあるデータストレージは何に使うのですか?」
マリトが言葉に詰まると、小堀マネージャーが助け船を出した。
「変換に必要なデータを一時保存するために使用します」
「その必要なデータとは何のことですか?」
小堀マネージャーはマリトに視線を向けて、うなずいた。
事業部長も『早く答えろ』と言いたげな視線を向けた。
――くそ。なんなんだ?本当はいらないと言うわけにはいかないし……
仕方なくマリトは、変換に使用するデータの種類を並べ上げた。
「なるほど。で、このストレージの利用料も見積もりには入っているのですね」
◇
その後、この変換ツールの提案は失注となり、さらに既存の契約にまで見直しがかかり、数億円の売上げが吹き飛んでしまった。
クライアントが新たに使い始めた技術コンサルタントから『御社はアンドロメダにベンダーロックインされて不要なものまで買わされている』という理由で契約見直しを提言された結果だ。
マリトたちの提出した提案書もその根拠に使われた。
事業本部長は激怒し、小堀マネージャーは厳しく叱責された。
いつの間にか、取引縮小の原因はマリトが作成した資料ということになっていた。
小堀マネージャーは、マリトの失敗の責任を上司として被っているかのように振る舞っていた。
「私の責任であるかのようにお話しされていますが、私が不要と言っていたストレージを無理に加えたためじゃないですか」
そうマリトは抗議した。
「それが何か?」
そう言って一蹴されただけだった。
「妙な言い訳をして責任転嫁しないでほしい」
「君には技術の専門家としてジョインしてもらいました」
「誤りを正せなかったことを自責として捉えてください」
「プロは結果がすべてです」
「その自覚を持ってもらうために、これからは少し厳しめにレビューします」
そう宣言されてしまった。
この会社は、ITコンサルとして技術をウリにしていたが、案件の成功に不可欠な能力は、技術ではなくコミュニケーションスキルだった。
技術内容を理解できていなくても、クライアントの信頼を得て案件をまとめられれば、昇進していくことができる。
本当に技術知見が必要なときには、技術力のある部下や協力会社に対応を頼めば良いだけなのだ。
会社のネームバリューのおかげで、多くの場合はそれで問題は生じない。
万一、それでクレームが出たとしても、そこをうまく捌ききることを含めてのクライアント対応能力なのだ。
今回のように想定外の競合が出現するなど、不運な出来事が重なったとき、足元をすくわれることがあるが、そう珍しくもない出来事である。
◇
会社にとってはよくあるトラブルでも、数億円の損失の責任を問われる当人たちにとっては大きなストレスだ。
案件の損失を取り戻すべく、マリトと後輩の女子社員の提案チームは何件もの提案書の作成を行うことになった。
マリトが作成した資料に対しては、小堀マネージャーのレビューでダメ出しが繰り返され、徹夜になることも珍しくなかった。
後輩の女子社員は、最初のうちは一緒に愚痴を言っていたのだが、徐々に会話は減っていった。
彼女の中で、足を引っ張っているのはマリトなのだと結論づけたらしい。
コンサルティングの費用は高額だ。
それを支払える会社は大手企業であり、そうした会社のシステム部門、企画部門の人材のレベルは高い。
コンサルタントには、そうしたレベルの高いクライアントに対して、彼ら以上の知見を提供しなければならない。
そのため、客先に提出する資料の品質チェックは厳しい。
業績は良くとも企業文化が未成熟な会社では、そこがパワハラの温床となる。
パワハラと言っても、怒鳴り散らす怖い上司は登場しない。
システム開発のデスマーチのように集団で超過勤務をするわけでもない。
コンサル現場では、静かに、密かに、陰湿にメンタルがむしばまれていく。
資料の提出が遅れると『まだできないのですか』と急かされる。
提出すると『時間を掛けてこれですか』と言われながらダメ出しされる。
やってもやらなくても罰を受けるダブルバインドの構造の完成だ。
ひとつひとつのダメージは軽微でも、繰り返されると精神が摩耗する。
◇
マリトが最後に出社した週は、後輩の女子社員と共に重要案件の提案書の作成を行っていた。
小堀マネージャーからは、すぐに赤入れができるように、資料を紙に印刷しておくように指示されていた。
前日に遅くまでかかってまとめた資料を印刷し、会議室のテーブルに置いて、レビューを待った。
小堀マネージャーは赤ペンを右手に持ちながら資料をめくっていったが、徐々に能面のような表情に変わっていった。
舌打ちをしてため息をついて言った。
「これはゴミですね」
そう無表情に告げると、目の前でゆっくりと資料を二つに引き裂いて机の上に置いた。
腕時計を一瞥して言った。
「ここからは私が巻き取ります」
「佐羽さんはあとで、資料の最終チェックをお願いするので、それまで待機していてください」
そして後輩の女子社員に向かって言った。
「君には手伝ってほしいことがあるので私の席まで来てください」
提案資料の最終版ができたのはその日の深夜だった。
マリトが作った部分は、一ページも残っていなかった。
そして……提案書の品質は、彼にもはっきりと理解できるほどに、はるかに高かった。
翌日の提案には彼ではなく、後輩の女子社員が同行した。
仕事がなくなった彼は自宅でリモート待機となった。
◇参考挿絵:資料を破り捨てるリーダー
その翌朝、マリトは出勤のために部屋を出ることができなかった。
会社のパソコンを開くことなく、自分のパソコンでネット動画を眺めて過ごした。
夕方になって、無断欠勤の理由を問うメールやメッセージが来ているだろうと恐る恐るパソコンを立ち上げたが、そうしたものは一切来ていなかった。
――いてもいなくても良い存在というわけか……
何をどうすれば良かったのか、自分の何がいけなかったのか、いくら考えてもわからなかった。
――これも変えられない運命だったと思えるのか?
不条理を肯定してしまうと未来が見えなくなる。
ことここに至るまでに、転職の選択肢を探るべきだったと振り返るとわかる。
不条理と戦うための土俵を探すべきだったと思う。
しかし、自信と希望に満ちて入社した会社から逃げるように辞めることは、負けることのように感じられ、彼のプライドが邪魔をしたのだった。
そして時機を逸した。
すでにマリトには別の道を前向きに考える気力はなくなっていた。
翌日、翌々日と、会社にはどんどん行きづらくなっていった。
実家にも連絡を取ることなく、コンビニまで食料を調達しに行く以外、外出はしなくなった。
パソコンを開いても、チームからのメッセージは届いていなかった。
コリーンからの心配そうなメールとメッセージが何通も届いていたが、マリトは返信する気力も失っていた。
スマートフォンにも彼女からのメッセージや着信があったが無視を決め込んだ。
◇
コリーンのほうはといえば、アンドロメダへの入社直後から、高い技術力を背景に圧倒的な価値を見せつけた。
二年足らずの間に複数の重要案件で、システム基盤の設計を担うアーキテクトとして、国内はおろか米国本社の技術陣にまで一目置かれる存在になっていた。
実年齢の20歳とは思えない落ち着きと、知性の高さが一見して伝わってくる、近寄りがたい雰囲気のクールビューティとなっていた。
ただ、空気を読まずに相手構わずやり込めてしまう癖は、学生の頃から相変わらずで、仕事以外では男女とも距離を置かれていた。
マリトとは親しげに話をしているので、当初は二人の関係を怪しむ社員もいたが、マリト自身が腐れ縁くらいにしか思っていなかったこともあって、大学時代からの『ただの知り合い』というところに落ち着いていた。
◇
二週間が経った頃、マリトの部屋のインターフォンが鳴った。
コリーンだった。
ドア越しに声が聞こえた。
「先輩。大丈夫ですか?」
「ドアを開けてください」
心配している気持ちがマリトには伝わってきた。
しかし、古くからの馴染みだからこそ、惨めな自分を見てほしくないという気持ちを抑えることができなかった。
「今はだれにも会いたくないんだ」
「オレは大丈夫だから、帰ってくれないか」
「心配しているんです。力になりたいんです」
「何があったのか、教えてください」
「オレの気持ちは君みたいなエリートにはわからない……」
いくら優秀とはいえ、5歳も年下の彼女に頼るのが情けなくも感じられた。
「君はオレの彼女でもなんでもないだろ!」
「放っておいてくれないか!」
そう言うと、ドアから離れた。
せっかく心配して来てくれているのに、酷い言いようだというのはマリトにもわかっていたが、つい口をついて出てしまった。
15分ほど経っただろうか。
自己嫌悪を感じてますます落ち込みながら、彼女が帰ったのを確認するためにドアスコープを覗いた。
驚いたことに彼女はまだそこにいた。
月明かりが彼女を照らす。
考えに集中するときの癖で、右手の指先を額に当てる形で軽く腕を組んで固まっていた。
月光に照らされた彼女の顔は彫像のように美しかった。
マリトはぞくりとした。
彼女はしばらく、そうしていたが、軽くうなずくと歩き去っていった。
その後、彼女が現れることも、メッセージが来ることもなくなった。
――さすがに、コリーンにも見限られたな、オレは……
◇参考挿絵:ドア越しに会話をする
数カ月後、マリトが社会復帰したのは、パーセプモーション・テクノロジーの友田社長から技術コンサル部門の立ち上げに協力してほしいという連絡をもらったことがきっかけだった。
アンドロメダ・コンサルティングは欠勤による解雇となり、生活費の貯金も残り少なくなり、さすがに、そろそろ仕事を探さないといけないと思い始めたタイミングだった。
マリトは、友田社長が大学の准教授であったときから指導を受けており、研究遂行の能力を高く評価してもらっていたという自負があった。
自信を失っていたマリトだったが、友田社長の下なら力を発揮できるかもしれないという気持ちもあった。
何より、彼の『世界を変える仕事を一緒にやろう』という言葉に心を揺さぶられた。
入社初日、広めの社長室に通されると、友田社長がいつもの机の上に足を載せた姿勢で出迎えた。
服装もラフで、大学にいたころとあまり変わらない。
足を下ろしてマリトに近づくと、握手を求めてきた。
「これからよろしく」
「前の会社では大変だったみたいだな。急がず自分のペースで準備をしてくれればいい」
「君の力はよく知っているからね」
「それに君を支えてくれる心強い味方もいる」
マリトが怪訝そうな顔をすると、友田社長は続けた。
「聞いていなかったのか。うちのチーフアーキテクトを紹介するよ」
そして、後ろのドアが開いて入ってきたのが、コリーンだった。
驚愕で言葉が出ない。
――オレが休んでいる間にアンドロメダを辞めてこっちに移っていたのか……
当時、友田社長は事業拡大のために大学時代の教え子を集めていた。
筆頭はコリーンだが、そこからの繋がりでマリトに声をかけたという流れだったらしい。
――おそらく、彼女がいなければ、この会社に入ることはなかったはずだ。
もう構わないでほしいという態度をとったにもかかわらず、諦めることなく社会復帰の道を開いてくれたのだった。
◇
社長からは死角となる位置から、コリーンが自分の目をじっと見つめているのに気付いた。
いつもと変わらない冷静な表情だったが、かすかにゆるんだ目元からは、ほっとしていることがうかがえる。
そして、唇がゆっくりと動いた。
『おかえりなさい』
マリトは目頭が熱くなるのを感じた。
――だめだ……抑えられそうにない……
「すみません。少し失礼します」
そう言うのが精一杯だった。
社長が答える間もなく、社長室を出て早足でトイレのほうに向かった。
洗面台の鏡の前に手を突いて自分の顔を見る。
とめどなく涙が溢れてくる。
――この恩はいつか必ず返そう
そう心に強く誓ったのだった。
◇
「そんなわけで、彼女のおかげで社会復帰ができたんだ。感謝してもしきれない」
ラミーシャが何やらブツブツつぶやいている。
あまり機嫌が良くない。
「……弱っているところを狙って距離を縮めるとか……あざとい……」
「お父さん、後輩さんと学校も会社も同じなのって、偶然が重なりすぎてると思いませんか?」
「偶然じゃないかもとか考えたことないですか?」
「どういう意味?運命とか、そういう意味?」
「いえ、それは絶対違います」
慌てて答える。
「アンドロメダはみんなが入りたい憧れの会社だったし……」
「パーセプモーションは社長が昔のメンバーを集めていたわけだし……、確かに偶然とは言えないかもな」
「あのー、他には思いつかないんですか?」探るように聞いてくる。
「いや、別に。オレ、何か見落としているかな?」
「あ、いえ、見落として……ないです。全然……心当たりがないならそれが一番……忘れてください!」
明るく答えた。
――ミーシャは何を言っているんだ?機嫌が良くなったり、悪くなったり、忙しいな……




