Ⅲ-06 彼女を守り抜く覚悟を見せてもらえますか?
【あらすじ】
ITの存在しない剣と魔法の世界に召喚され、少女ラミーシャの第二人格として転生したIT企業のコンサルタントのマリトが、力を合わせて世界を危機から救い、元の世界への帰還を目指す物語――
格闘術の学年代表選考に向けて、準備の仕上げにラミーシャはシノハとのスパーリングを行うのだが、マリトが一切手加減なしの本気モードで対戦することになってしまい――
シノハは改めて、左足を前にした半身の構えをとってマリトを見据えた。
マリトも腰を落とし、右足を引いて構えを作る。
ラミーシャは意識を失い、マリトだけでシノハに対峙している。
「良い機会です。ミーシャを守り抜くという、先生の覚悟を見せていただきます」
そう言うと同時に、シノハのモードが変わったのがわかった。
◇
学年代表選抜に向けて、ラミーシャがシノハとスパーリングをすることになったのは、選考会の本番の1週間前のことである。
彼女たち二人は、学園の中でも飛び抜けて高い身体能力を持っており、有数の実力者だ。
ラミーシャは体術の学年選抜、シノハは剣術の学年選抜を控えている。
朝食前にはそのための自主トレを行っている。
ラミーシャは、拉致未遂事件の怪我から回復して以来、毎朝、走り込みを続けている。
念入りな柔軟運動の後、マリトの学生時代の全力疾走くらいのスピードで走り始める。
おおよそそのまま、10キロくらいを平気で走っている。
シノハは当初は一緒にトレーニングをしていたが、魔導書盗難事件のあとからは、ゾンリーチャの道場でトレーニングをするようになった。
走り込みの後は、道場から戻ってくるシノハと合流し、徒手空拳の体術の練習へと進む。
打撃は突きも蹴りもありで、感覚としてはキックボクシングに近い。
さらに投げも認められているため、ルール全体としては総合格闘技に近いが、投げ技はほとんど練習していない。
マリトは、大学の修士の研究で、AIによる人体の動きの可能性を探るというテーマの下に、格闘技の新技発見に取り組んでいたことがある。
それもあって、格闘技の技について一定の知識は持っている。
調査もかねて、柔道や空手の道場にしばらく通ったこともあるが、基本の技や型を覚えた程度で初心者の域を出ない。
マリトは多くの現代日本の学生と同様、暴力には慣れていない。
組み手で強い相手と対峙すると、どうしても体が硬くなり足がすくんだ。
ラミーシャの体になって驚くのは、体が軽いということだ。
軽くジャンプしても自分の胸くらいまでの高さまで飛ぶことができる。
試しに宙返りをしてみると、いとも簡単に着地ができて驚いた。
飛び後ろ回し蹴りのような大技も簡単にできた。
どちらも学生の時にできなかったことだ。
自主トレでは、シノハと交互にミットを使った突きと蹴りの練習を行ってきた。
コンビネーションの練習も行った。
ラミーシャが終わるとマリトも練習をする。
基本動作は、脳のどこか共通の部分で学習しているようだ。
初めての技やコンビネーションであってもスムーズにこなせる。
◇
その日は学園は休日。学生はちらほら見かける程度だ。
学年代表選考の選手達は、お互いに手の内が知られないように、道場を貸し切って使う。
ラミーシャが道場の床に描かれた直径10メートルほどのサークルを指差しながらルールを説明してくれる。
「試合時間は10分間で、相手をこの丸いリングの外に出したら勝ちです」
「あと『決定打』が出るか、相手が試合継続不能になっても勝ちです」
「試合時間までで勝敗が決まらなければ、『有効打』の数が多い方が勝ちになります」
――決定打というのは、柔道で言う一本のことだな。
決定打かどうかの判定は、着用している特殊なアンダーウェアで、打撃の大きさを測っている。
アンダーウェアは、防護肌着と呼ばれていて、上下に分かれた伸縮性の高い肌着で通常の下着の下に着用する。
透明な樹脂の細い糸を織り込んだもので、少し離れると着用に気付かない存在感になる。
この肌着には、防塵性や耐衝撃性もあり、コンタクトスポーツの試合では、怪我の予防のために必ず着用する。
防護肌着は、打撃を受けると力に応じた魔力波動を出すので、それを打撃判定のための装置が捉えてレベルを知らせてくれる。
決定打の場合は赤色の光、そこまでではないが強い打撃である有効打の場合は黄色の光を放つ。
防護肌着を着ていない状態で決定打を受けると致命傷、有効打でも戦闘不能になるとのことだ。
パンチミットやキックミットも同じ仕組みで、打撃の力を計測できる。
ラミーシャの蹴りも突きも決定打を示す赤色がまぶしく点灯し、シノハがよろめく。
マリトでは、いくら打ち込んでも、有効打の黄色が弱々しく光る程度で、シノハもびくともしない。
――同じ体を使っていても、これだけ威力の差があるのか……
現実を突きつけられた気がした。
◇
一連の動きの確認の後、スパーリングが始まった。
シノハは体術の代表選考にエントリーはしていないが、学内でもトップレベルの実力を持っている。
試合を想定した真剣勝負のモードで行う。
安全のため防護肌着を着け、その上からスポーツブラとTシャツ、ショートパンツを身につける。
さらに、指の出る軽量のグローブとマウスピースをつけて準備完了だ。
サークルの中央で双方が向かい合って構える。
戦闘モードに入ったシノハの強力な圧に、ラミーシャは気迫で応える。
全力の攻防が始まった。
◇参考挿絵:学年選抜に向けてスパーリングをする
ラミーシャが前へ前へと出る直線的な突き主体の攻めに対し、シノハはリーチを活かしたカウンターと上段蹴りを主体とする間合いを取るスタイルである。
強い打撃の時は、どちらのチョーカーもかすかに黄色く光る。
土属性の魔法で足と地面の摩擦抵抗をコントロールしているためだ。
お互い、クリーンヒットは避けてはいるものの、かなりの数の打撃をもらっている。
プロの格闘家は痛みをどの程度感じているのか、ずっと気になっていたが、いま答えが出た。
死ぬほど痛い。頭も激しく揺れ、何も考えられなくなる。
それでも前に向かっていく胆力は、自分にはなかったものだ。
彼女の気迫が伝染してくる。
嵐のような10分が過ぎた。
その間、双方に決定打はなく、有効打はラミーシャが上段と中段の突きがそれぞれ1本ずつと、中段の蹴りが1本、シノハは上段の蹴り1本と中段の突き1本という結果に終わった。
試合は立ち技での打撃を主軸にしたキックボクシングやフルコンタクト空手に近い内容だった。
様々な突きや蹴りの攻防が中心で、タックルなどの倒し技はほとんど出さなかった。
――投げ技や寝技についての知識は少ないのかもしれない……覚えておこう。
◇
「次はお父さんの番です」
「試合をするのは私ですが、今後何があるかわからないので、経験しておいて欲しいです」
「シノハ、お父さん初めてなので、手加減しないとだめだからね」
「もちろん。そんな無茶しないわよ」
お互いに向かい合って対峙する。
シノハの顔面への拳打と上段への蹴りがテンポよく飛んでくる。
何発も打ち込まれるが、ラミーシャの時の衝撃の違いから、手加減してくれていることがわかる。
何よりラミーシャのときのような圧を感じない。
マリトの方からも打ち返してみるが、すべてブロックされる。
さすがに打たれるのには慣れてきた。
徐々にパターンがわかってきたので、ラミーシャのときに、思いついたことを試してみることにした。
大きめの上段への拳打を、左の手のひらでかわし、右腕を下から回して首を極める。
足を掛けて、引きずるようにして仰向けに倒した。
通っていた道場のひとつで覚えた型だ。
思った通り、倒し技や投げ技には慣れていないらしく、マリトの技量でも技が決まった。
シノハの驚いた表情が目に入る。
ラミーシャの驚いた感覚も伝わる。
次に、倒れたシノハの胸の上に被さり、寝技に持ち込もうと試みる。
動きを封じた状態でサークルの外に出すのが狙いだ。
シノハがかすかに笑って、逆に抱きついてくる。
チョーカーの光に青と緑色が混ざる。
――まずい!何かの魔法が発動されている!
「離れて!早く!」
ラミーシャが心の中で叫ぶ。
同時に視野の端に魔法陣を描いて発動しようとするが……。
少し頭がぼうっとして、力が抜ける。
魔法陣が消え、ラミーシャの気配も消える。
◇参考挿絵:押さえ込みに対抗して魔法を発動する
――またか……
――投げや寝技をしない理由はこれか!
頭を軽く振り、残った力を振り絞って飛び起きる。
シノハが驚いたような目を向ける。
彼女も気を取り直して構え直す。
「ふーん。ミーシャが落ちて、今はサワ先生だけということですね」
シノハが使ったのは、血液中のヘモグロビンの酸素保持力を低下させる水属性の魔法である。
これにより脳へ供給される酸素が低下して、柔道の絞め技同様、数秒で意識を失う。
これまでも何度かあったように、マリトはこうした意識喪失への耐性がラミーシャよりも強い。
体が密着したために、水属性の魔法が発動可能になったのだ。
精霊の力で起きる魔法効果は、発動者自身にも影響がある。
そのため、シノハは自分の肺の中で血中の酸素濃度を高める風属性の魔法を使うことで効果を打ち消している。
魔法発動速度の遅いラミーシャは、この対抗魔法を発動する前に意識を失ったのだ。
◇
「いい機会です。ミーシャを守り抜くという、先生の覚悟を見せていただきます」
そう言うと同時に、シノハのモードが変わったのがわかった。
先刻までラミーシャに向けていたのと同じ圧を感じる。
――手加減なしの本気で来るということか……
上段と中段への突きと蹴りの猛攻が始まる。
手も足も出ないまま、あっという間にサークルの端まで追い詰められた。
――くそ、一歩も前に出ることができない……
前世でコリーンを守るために、踏み出すことができなかった。
そのときのことをどうしても、思い出す。
――また負けるのか……悔しい……
悔し涙が溢れてくる。
涙でゆがむ視界の中で、シノハの顔に一瞬、諦めたような表情が浮かんだ。
『期待外れか』マリトにはそう言っているように思えた。
次に決定打を狙った顔面への横薙ぎの拳打がくると直感した。
マリトの脳裏に、前世で銃を向けてきた傭兵、そしてパワハラを受けたかつての上司の顔が浮かんだ……
――ふざけんな!どいつもこいつもばかにしやがって!
続いて、飛行船での攻防、そしてラミーシャとの毎日の走り込みとトレーニング……
――オレだって、いろいろと乗り越えてきてるんだ!
――なめられて、たまるか!
吹っ飛ばされることはわかっていた。
――だとしても、ここは逃げない。
目をつぶって足を踏み出した。
そのとき、なんとなくしゃがみ込んだ方が良い気がして、しゃがみこんだ。
マリトは何が起きたのかわからなかった。
頭上、すれすれのところを拳が切り裂いていく風を感じた。
驚いて目を開けると、相手も驚いた顔をしながら、下からの拳打を繰り出すのが見えた。
そして、なんとなく、上体を後ろに逸らすと、目の前ぎりぎりを強力な拳打が素通りする。
さらに、上段蹴りが飛んでくるのを前に倒れ込むようにして避けて背後に入る。
なぜそうしたのか自分でもわからない。
目の前にシノハの無防備なボディが見える。
そこに渾身の右の拳を打ち込んだ。
◇
しかし……それはまるで、車のタイヤを殴ったような感触だった。
びくともしない。
計測器のぼんやりした黄色い光が有効打の判定を告げる。
シノハの黒髪の先端が赤く染まったことに、意識の端で気付いた。
それが何を意味するのか、考える余裕はない。
しかし、それを契機に、それまでよりもさらに速く強烈な打撃が連打される。
――クロックアップ?
そんな単語が頭をよぎる。
一発でももらったら終わりだ。それだけはわかる。
全ての突きと蹴りを、ぎりぎりで交わし続け、押し返す。
――だんだん腹が立ってきた。
――こんな打撃はミーシャのときだって打ってなかっただろ!
――くそ、もう猛烈に頭にきた!
左の拳打を避けた反動で、少し体が右に逸れる。
その隙をねらって、後ろ回し蹴りが飛んできた。
全く予想できなかった攻撃。
しかし、攻撃は空を切った。
なんとなく、そうした方がよいと思ってしゃがみ込んだのだった。
そして立ち上がると同時に踏み込み、シノハのボディに右の拳を叩き込む。
チョーカーが黄色く光る。
右足の摩擦係数が最大化され、強化された脚、腕、胴回りの筋力が連動して最大の力を出す。
計測器からは、決定打を示す赤い光が強烈に放たれる。
打ち込まれた拳はシノハの体を宙に浮かせて、サークルの外のはるか先へと弾き出した。
「お父さんをいじめるな!」
その言葉が、口からマウスピースと共に飛び出した。
いつどこから人格が入れ替わったのか、マリト自身にもわからなかったが、渾身の拳を打ち込んだのはラミーシャだった。
シノハは驚きで目を見開き、地面に尻餅をつき、腹を押さえて動けなくなった。
先端が赤くなっていた髪色が黒に戻っていく。
制止するように手を伸ばしながら、うめくように言葉を発した。
「覚悟は……よく……わかりました……」
【次回予告】
アクシデントで発生したシノハとの対戦の中で、マリトには、常識では考えられない回避スキルがあることが明らかになりました。次回は学年対抗戦に臨む前に、市庁舎での理事長との面談に向かいます――




