第93話 帰る方法
帰還術式の調査は、閉じた封印庫の外側から始めた。
離宮で写し取った文字。召喚時の記録。エスペルの紋が示した座標。
オルガとイリスは三日間、測定室の灯りを絶やさなかった。
三日目の朝、タクミは二人の前へ豆と卵のスープを置く。
「今は食べている場合では」
イリスが言う。
「三日で一食しか食べていない人の計算は信用しない」
オルガが先に匙を取った。
「食べました」
「いつ」
「二日前です」
「それで食べているとは言いません」
タクミに椅子を引かれ、イリスも座った。
温かな汁を半分飲んでから、彼女はエスペルへ向き直る。
「召喚は成功しました」
最初の言葉は、これまで何度も繰り返してきたものだった。
「だからこそ、成功の代償も記録します」
銀粉の残る指を卓の上へ置く。
「帰還術式が未完成であることを、召喚前に説明するべきでした」
「俺、召喚前はここにいなかったけど」
「だから説明できないと決めつけました。召喚後にも、十分には伝えていません」
謝罪は短い。
代わりに、危険を一つずつ並べた。
今すぐ起動すれば、魂が世界の境目で裂ける可能性がある。
帰還先の座標は、記憶だけでは足りない。
この世界の魔力循環が不安定なまま門を開けば、二つの世界を傷つける恐れがある。
「帰れる可能性は」
エスペルの声が震える。
「あります」
イリスは答えた。
「ただし、今ではありません」
希望は細い。
ゼロではないからこそ、失うのが怖い。
◇ ◇ ◇
会議のあと、エスペルは屋上の縁に座っていた。
タクミが持っていったのは、熱い茶ではなく、冷ました果実水だった。
「帰れるかもしれないって聞いて、嬉しかった」
「はい」
「今すぐは無理って聞いたら、前より怖くなった」
「そうだと思います」
「タクミは帰りたい?」
質問は急だった。
タクミは空を見る。
前の世界の記憶はある。けれど、今の自分を待つ人もいる。
自分の帰る場所がどこか、まだ言葉にできない。
「分かりません。でも、帰りたいと思うなら、帰る方法はあった方がいいです」
「シィルヴィア陛下が聞いたら、凍らせられない?」
「何をですか」
「帰還術式」
「どうして」
「……気づいてないなら、いい」
背後から声がした。
「聞いている」
シィルヴィアが屋上へ出てくる。
「凍らせない」
エスペルが目を丸くする。
「タクミが行く時は、私も行く」
「世界が違います」
「方法を探す」
タクミが困っていると、リディが伝令鳥を連れてきた。
「陛下。先に、こちらを」
封は各国連合のものだった。
文面を読んだリディの眉が寄る。
「各国連合評議会が、勇者の帰還研究を凍結したそうです」
エスペルの手から、器が少し滑った。
水滴が、石床に落ちた。
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