第92話 女神の声
翌朝、白い塔で、セレスティアは祈りの間へ入った。
以前なら、一人で扉を閉じただろう。
今はイレーネたち治癒師と時間を分け、扉の外には休憩を知らせる札が掛かっている。
「声を追いすぎないでください」
皇城厨房の通信鏡越しに、タクミが言う。
「はい。聞こえたことだけを持って帰ります」
「疲れたら?」
「止めます」
「倒れたら?」
「その前に、イレーネが扉を開けます」
扉の横で待つイレーネが頷いた。
夕方、祈りの鏡にセレスティアが戻ってきた。
疲れきった顔ではない。答えを急がず、考えている顔だった。
「女神様の声だと断言はできません」
鏡の向こうで、ゆっくり言葉を選ぶ。
「たくさんの祈りの奥に、一つだけ、押しつぶされそうな声がありました」
「何と」
「助けて、と」
エスペルの記憶と重なる。
オルガは教団の古い記録を開いた。
「伝承では、女神は世界を導き、命じる存在だ。だが最初の声が救援だったなら、後世の祈りが意味を変えた可能性がある」
「助けを求めた人が、助ける役割にされた?」
ミアが言った。
セレスティアの手が止まる。
白い塔で、彼女自身がされたことだった。
「仮説だ」
オルガがすぐ釘を刺す。
「似ているからといって、同じ穴へ押し込むな」
その時、エスペルが胸を押さえた。
召喚紋が薄く光り、床へ円を描く。
これまでの戦闘命令とは違う。
赤い線は北部国境へ向かわず、空へ伸びるように消えていった。
イリスが片眼鏡を下ろす。
「座標探索……帰還側の式です」
「帰れるのか」
エスペルが立ち上がる。
誰も、すぐには頷かなかった。
希望だけが、答えより先に生まれてしまう。
「今の反応だけでは無理です」
イリスは言葉を濁さない。
「ですが、帰還のための式が召喚紋に含まれている可能性はあります」
エスペルの手が拳になる。
「調べてくれ」
「危険です」
「それでも」
タクミが、握られた手を見る。
「調べましょう」
「帰れないって分かるかもしれないぞ」
「帰りたいって言ったことを、なかったことにしないために」
エスペルは目を閉じた。
胸元の光が消えたあとも、そこから手を離さなかった。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
今日の一皿はいかがでしたでしょうか。
少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価、感想で応援していただけると、とても励みになります。
また次の一皿で、お会いしましょう。




