第81話 勇者の食事
白い塔を発って数日後。
帝都の皇城厨房では、勇者を迎える料理が次々と仕上がっていた。
――召喚勇者エスペル・アストレア。肉体に明確な異常なし。魔力量、循環とも許容範囲。魂反応のみ不安定。
出発前に読んだ報告の写しを、タクミは作業台へ置いた。
焼いた鶏肉。根菜の煮込み。魚の香草焼き。蜂蜜を塗った焼き菓子。
どれも、ガレスが選んだ帝国の自慢だった。
「紙を見ても、魂の腹具合は分からん」
ガレスが鶏肉へ最後の塩を振る。
「まず食わせろ。ただし、皿だけを見るな」
「はい」
大食堂の長卓には、端が見えないほど皿が並んだ。
その中心で、エスペルはよく笑っていた。
黒に近い焦げ茶の髪。白銀の鎧は椅子の背に掛け、簡素な上着のまま座っている。それでも周囲は、彼が匙を取るたびに息を止めた。
「帝国の料理はいかがですかな」
「うまいです。すごく」
鶏肉を食べる。
「うまい」
根菜の煮込みを口へ運ぶ。
「これもうまい」
魚にも、焼き菓子にも、同じ言葉を返した。
皿は空になる。杯が上がり、使者たちが満足そうに笑う。
タクミは配膳台の陰で、持っていた盆を置いた。
食べる前に、エスペルの指が必ず一度止まる。
味を待っているのではない。
周りが望む答えを探しているように見えた。
「食わせるのが早すぎる」
隣でガレスが低く言う。
「でも、全部食べてます」
「食えることと、食わせていいことは別だ」
次の大皿が運ばれようとした時、小柄な治癒師が椅子の横へ立った。
「ここまでです」
勇者隊専属の治癒師、ノエル・バースだった。
「まだ平気だよ」
「平気かどうかを、あなたの笑顔だけで決めるのはやめました」
「怖いな、帝国の治癒師は」
「私は教団から来ました」
「もっと怖い」
周囲に小さな笑いが起きた。
けれどエスペルは、止められたことに安堵したように匙を置いた。
向かいに座るシィルヴィアが、その手を見ていた。
「タクミ」
「はい」
「勇者の食事は、終わり?」
「今日は、たぶん」
「では、残りは私が食べる」
リディがすぐに口を挟む。
「陛下。残りは十二皿あります」
「タクミの料理」
「量の問題です」
エスペルが初めて、相手を安心させるためではない笑い方をした。
「皇帝陛下も大変なんだな」
「何が」
「いや。何でも」
宴が散り始めたあと、タクミはほとんど減っていない薄い汁の椀に気づいた。
肉もパンも空なのに、それだけが残っている。
脂も香辛料も少ない。これなら少しは飲みやすいかと思って、用意したものだった。
報告書には、肉体も魔力も正常とある。
それでも何かが届いていない。
タクミが椀を持ち上げた時、食堂の外から急いだ足音が来た。
「タクミさん」
ノエルだった。白い外套の裾が濡れている。
「来てください。今すぐ」
案内されたのは、客室へ続く回廊の突き当たりだった。
扉の向こうで、水を吐く音がする。
ノエルが握っていた記録板には、時刻と皿の数が細かく書かれていた。
「毒も、食材の相性も調べます。でも、その前に」
苦しげな咳が響く。
「宴で食べたものを、全部吐きました」
空になったはずの皿だけが、タクミの頭に残った。
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