第8話 捨てるはずの食材で
「まだある?」
ミアが鍋を覗いた。
下働きの少女は、慌てて首を振る。
「い、いけません。客人のお食事です」
もう一度、腹が鳴った。
少女は両手で前掛けを押さえた。
「余ってるから」
タクミは鍋の底をさらい、椀へよそう。
近くにいた料理人が眉を寄せた。
「それは皇帝陛下のために用意された食材です」
「陛下は食べ終わりました」
「そういう問題では――」
「捨てるの?」
ミアが聞いた。
料理人の口が止まる。
少女は差し出された椀を両手で受け取った。
「ありがとうございます」
ゆっくり飲み込む。
熱かったのか、少しだけ目を細めた。
それでも急がなかった。
最後まで、一匙ずつ食べた。
ミアは少女の手を見ていた。
指先が赤く荒れている。
靴底も薄く、片方は紐で縛ってあった。
「おいしかったです」
「明日も、ありますか?」
少女は空になった椀を抱えたまま、タクミを見た。
「作れるようにしてみる」
少女は何度も頭を下げた。
ミアは胸元に入れていた木のスプーンへ触れた。
取り出しかけて、やめる。
少女が空の椀を抱えて去っていくまで、何も言わなかった。
◇ ◇ ◇
朝食を食べた少女は、廊下で重い水桶を持つ年配の掃除係を手伝った。
掃除係は、ミアの歩き方を見て足を止めた。
「その靴、合ってないね」
しばらくすると、倉庫から古い子ども靴を持ってきた。
革は擦れていたが、丁寧に磨かれている。
夜勤明けの門番にも、残ったスープが回った。
椀を空にした門番は、交代に来た若い兵士へ自分の椅子を譲った。
「座って食え。冷めるぞ」
誰も、大きな声では話さなかった。
ただ、いつもより少しだけ、立ち止まる人が増えた。
昼前。
タクミは皇城の主厨房へ呼ばれた。
大きな竈の前で、料理長のガレスが腕を組んでいる。
「客用の食材を、下働きへ渡したそうだな」
「はい」
「厨房には規則がある」
「すみません」
タクミは素直に頭を下げた。
ガレスは怒鳴らなかった。
代わりに、隅へ積まれた籠を示す。
固くなったパン。
傷のついた根菜。
肉を切り分けた端。
「廃棄に回すものだ」
タクミは根菜を一つ手に取った。
傷んだ部分を避ければ、まだ使える。
「これならスープにできます」
「客人に在庫整理をさせるつもりはない」
「では、手伝うだけで」
「同じだ」
「でも、もう切ってる」
ミアが言った。
ガレスが見ると、タクミは包丁を持っていた。
「……いつからだ」
「話を聞きながらです」
ガレスは額を押さえた。
固いパンは小さく割る。
根菜は傷んだところを落とし、薄く切る。
肉の端からは、余分な脂を外した。
大鍋へ入れると、最初はばらばらだった香りが、湯気の中で一つになっていく。
働く人が短い時間でも食べられるよう、根菜は匙で切れる柔らかさまで煮た。
パンは形を少し残し、腹にたまるようにする。
「豪華ではないな」
ガレスが言う。
「働いたあとなら、こういう方が食べやすいかと」
下働き。
掃除係。
門番。
同じ鍋から、同じスープを受け取った。
シィルヴィアの分だけを別鍋にはしなかった。
一椀分を先に取り、蓋をして置いた。
ほどなく、厨房の空気が固くなった。
シィルヴィアが、リディを連れて入ってきた。
「厨房の規律が乱れていると聞いた」
料理人たちが一斉に頭を下げる。
シィルヴィアは、食事をしている人々を見た。
次に、廃棄予定の籠を見る。
「廃棄量を記録して」
ガレスが顔を上げた。
「処分ではなく、記録を?」
「食べられるものを捨てる理由を知りたい」
「承知しました」
タクミを庇う言葉はなかった。
けれど、誰かを罰する命令もなかった。
「望みは?」
シィルヴィアがタクミへ聞く。
「ミアの靴と、使っていい小さな厨房があれば」
「厨房棟を一つ」
「陛下。小さな、と申しております」
リディが言う。
「では半分」
「建物の単位で減らさないでください」
「靴が先」
ミアが口を挟んだ。
シィルヴィアはすぐに頷く。
「すぐ用意する」
今度は、リディも止めなかった。
新しい靴は、夕方までに届いた。
ミアは廊下を何度か歩いた。
踵が浮かない。
足を止め、もう一度歩く。
昼の食事が配られる頃、ミアはパンを一つ手にした。
いつものように、服の中へ入れかける。
朝の少女が、食事を取らずに水桶を運んでいた。
ミアの手が止まった。
パンを見る。
少女を見る。
ゆっくり、半分に割る。
「これ」
「でも、ミア様の分です」
「明日もある」
少女はすぐには受け取らなかった。
ミアは差し出したまま待つ。
やがて、少女の手が伸びた。
「ありがとう」
ミアは残った半分を、自分で食べた。
全部は渡さなかった。
少し離れた場所で見ていたタクミは、何も褒めなかった。
ただ、ほどけかけていた新しい靴の紐を結び直した。
同じ頃。
皇城の高い塔にある一室へ、二枚の報告書が運ばれていた。
一枚は、廃棄食材の記録。
もう一枚には、食事を取った夜勤兵が予定より早く眠り、交代後の身体の重さが少なかったと書かれている。
細い指が、その一文を押さえた。
「……料理?」
帝国最高賢者オルガは、同じ行をもう一度読み直した。
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