第7話 皇帝が待つ朝食
見慣れない天井を見上げ、タクミはしばらく瞬きをした。
隣の部屋へ続く扉は、昨夜のまま開いている。
ミアは大きな寝台の端で丸まり、枕元には布に包んだパンが置かれていた。
追い出されていない朝だった。
タクミが近づくと、ミアの目が開く。
「いる」
「いるよ」
「朝ごはんは?」
「作ろうか」
ミアは起き上がった。
昨日までなら、あるのかと聞いていた。
タクミは何も言わず、少しだけ笑った。
廊下にいた侍女へ、小厨房の場所を尋ねる。
「朝食でしたら、お部屋へお運びいたします」
「ミアが起きたので、すぐ食べられるものを作りたくて」
「タクミ様が、でございますか?」
「はい」
侍女は困ったように目を伏せた。
それでも、客室に近い小さな厨房まで案内してくれた。
棚には、固い黒パン。
乾燥肉。
玉ねぎに似た野菜。
卵と、少しの乳。
「鳥になる前のやつ」
ミアが卵を指した。
「覚えてたんだ」
「料理のことは大丈夫なんでしょ」
「うん。たぶん」
「たぶん?」
「大丈夫」
ミアは納得したように椀を並べた。
鍋へ薄く切った野菜と乾燥肉を入れ、ゆっくり火を通す。
固かった香りが、少しずつ甘くなる。
乳を加えると、鍋の中が白く曇った。
黒パンをちぎって落とす。
水分を吸い、小さく音を立てながら柔らかくなっていく。
最後に卵を流すと、黄色が細くほどけた。
湯気の向こうで、ミアが身を乗り出す。
「まだ?」
「もう少し」
「さっきも言った」
「じゃあ、あと少しだけ」
入口に、若い下働きの少女が立っていた。
香りに気づいたのか、鍋を見ている。
タクミと目が合うと、慌てて頭を下げ、廊下へ消えた。
「朝食」
背後から声がした。
振り返ると、シィルヴィアが立っていた。
「陛下、どうしたんですか」
「朝食」
「食堂にあるのでは?」
「ある」
「では、そちらへ」
「ここで食べる」
当然のように作業台の前へ座る。
タクミは鍋を見た。
「これはミアの分です」
「量は?」
「四人分くらい」
「なら足りる」
理由になっているような、いないような答えだった。
ミアは隣の椅子を引いた。
「ここ」
シィルヴィアは何も言わず、そこへ座った。
ほどなくして、リディが厨房へ入ってきた。
「陛下。朝の会議がございます」
「朝食後にする」
「朝食は食堂に」
「知っている」
「では、なぜこちらに」
「朝食がある」
リディが鍋を見る。
タクミは空いている椀を持ち上げた。
「リディさんも食べますか?」
「私は仕事中だ」
「昨日も仕事中って言って食べた」
ミアが言う。
「全部」
「……あれは食料を無駄にしないためだ」
「今日も無駄になる?」
鍋には、まだ十分残っていた。
リディは黙って椅子を引いた。
侍女が銀の器を運んできたが、シィルヴィアは首を振った。
「同じでいい」
四人の前に、同じ木の椀が並ぶ。
黒パンは崩れすぎず、匙で押すと柔らかくほどけた。
野菜の甘みと乾燥肉の塩気が、温かな乳の中へ溶けている。
ミアは昨日よりゆっくり食べた。
シィルヴィアは一口目から止まらなかった。
「味はどうですか?」
「温かい」
「味の感想です」
シィルヴィアの匙が止まる。
「……おいしい」
リディが、わずかに眉を上げた。
「陛下が食事を評価されるのは珍しいですね」
「事実を言っただけ」
そう答えながら、もう一口食べる。
「皇帝陛下ではなく、シィルヴィアでいい」
突然、シィルヴィアが言った。
「公の場ではお控えください」
リディがすぐに返す。
ミアは椀から顔を上げた。
「シィルヴィア」
「それでいい」
視線がタクミへ向く。
「シィルヴィア……陛下」
匙が、わずかに止まった。
「今の間は何ですか」
「何でもない」
シィルヴィアは、少しだけ速く食べ始めた。
「これほど作れるなら、厨房の者も興味を持つでしょう」
リディが言う。
「食べたい人がいるなら作ります」
「誰にでも?」
シィルヴィアが聞いた。
「材料と時間があれば」
「私が先」
「朝食の順番ですか?」
「そう」
「今、決められましたか」
「必要な規則」
「どの部署の規則ですか」
「私の」
「ずるい」
ミアが言った。
「ミアも一緒」
「ならいい」
ミアは食事へ戻った。
納得していないのは、リディだけだった。
椀の底が見え始める。
ミアは残していたパンの欠片を見た。
昨夜なら、布に包んでいた。
しばらく指で持ち、スープへ落とす。
「明日の分にしないの?」
「明日もある」
「うん」
タクミはそれ以上言わなかった。
会議へ向かう前、シィルヴィアが振り返る。
「昼も、ここで食べる」
「予定にはありません」
「今、入れた」
「厨房を使っていいなら作ります」
「使えるようにする」
リディが息を吐く。
「料理長への説明は、私が行います」
シィルヴィアは満足したように去っていった。
入口には、先ほどの下働きの少女がいた。
空になった鍋を見ている。
その腹が、小さく鳴った。
ミアが鍋の底を覗く。
一杯分だけ残っていた。
「まだある?」
タクミは頷き、もう一つ椀を取った。
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