第75話 女神の器
対象名のない一行は、翌日も空白のままだった。
オルガはそこへ推測を書かなかった。
「器の定義から先に聞く」
会議には、マルセルとユリウス、それにグレゴリウスも残った。
マルセルが古い記録を開く。
「女神の器とは、女神の力を一時的に降ろすための受容体です」
「人を、入れ物にする?」
タクミが聞く。
「古い制度上は、そう表現されます」
ミアの眉が寄る。
「嫌な言い方」
「同感だ」
オルガが答えた。
マルセルは続ける。
「適性は魔力量だけでは決まりません。大きな力を受けても、肉体と生命活動が崩れないこと。魔力循環が破綻しないこと。古い記録では、さらに『魂の安定』という項目があります」
「魂?」
タクミは聞き返した。
「言葉は知っているだろう」
オルガが言う。
「死者の魂、召喚術の魂。概念としてはな」
「測れるんですか」
「私は測れない」
「教団は?」
マルセルが首を振る。
「当時も、間接的な反応を適性と呼んでいただけです」
「じゃあ、分かってない」
「はい」
その返事だけは、早かった。
タクミは記録へ目を落とす。
生命。
魔力。
魂。
同じ欄に並んでいる。
けれど、自分が分かるのは最初の二つの境目までだ。
食べた人の身体が戻ろうとする動き。
本人の魔力と、外から混ざった負荷。
魂と言われても、何も見えない。
「僕の料理で、器になれたりします?」
「させない」
シィルヴィアの返事が早すぎた。
タクミが見る。
「僕が、じゃなくて」
「誰も」
「……はい」
リディが小さく息を吐く。
「話を戻しましょう」
グレゴリウスはシィルヴィアを見たが、何も言わなかった。
「では、私は?」
セレスティアが尋ねた。
「聖女は器候補ではないのですか」
マルセルは少し迷った。
「候補として観測された時期はあります」
セレスティアの指が重なる。
「結果は」
「完全な器ではありませんでした」
部屋の空気が止まる。
タクミは、彼女の顔を見る。
落胆なのか安心なのか、分からない。
「では、私の力は何なのです」
答えたのはユリウスだった。
「祈りを集め、治癒師へ渡す」
イレーネが続ける。
「他人の治癒を、自分一人で代わりにやる力じゃない」
オルガが昨日までの測定紙を並べる。
「一人に溜め続ければ負荷が残る。複数へ繋いで減らせるかは、これから確かめる」
セレスティアが紙を見る。
「私が、弱かったから器になれなかったのでは」
「逆かもしれません」
タクミが言った。
「違う役目を、同じ形にしようとしてた」
セレスティアの目が上がる。
マルセルは古い記録の末尾を開いた。
そこには、後年の注記があった。
――降臨適性、不十分。
――祈祷連結適性、極めて高い。
「あなたは、器ではありません」
マルセルが言う。
「少なくとも、記録上のあなたは」
一度、言葉を選ぶ。
「中継者に近い」
セレスティアは長くその字を見た。
失敗の記録だと思っていた欄が、初めて別の役割に見え始めていた。
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