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氷血の皇帝は俺の料理を手放せない ~追放された料理人ですが、幼い日に救った少女が皇帝になっていて離してくれません~   作者: ジモンヌ
第5章 異端の料理人と、名前を失った聖女

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第64話 聖女ではない名前

「聖女セレスティア・ルーメンと申します」


 名乗った本人へ、最初に返したのはリディだった。


「聖女様。こちらへ」


 護衛神官も言う。


「聖女様、お足元を」


 宿の主人は廊下の端で膝をついていた。


「聖女様」


 同じ呼び方が重なる。


 タクミは一度、机の上の書状を見た。


 最後に署名がある。


 セレスティア・ルーメン。


「セレスティアさん、座りますか」


 返事がなかった。


「……駄目でした?」


 薄紫の瞳が、ゆっくりタクミへ向く。


「いいえ」


 一拍遅れて、椅子へ座った。


「そのように呼ばれたのが、久しぶりで」


 護衛神官――ラウルがわずかに眉を動かした。


 シィルヴィアは何も訂正しない。


 自分も椅子へ座る。


「書状の話を」


「はい」


 セレスティアの背筋が伸びた。


 聖女の顔に戻る。


「アルディア王国で起きた干渉について、教団にも類似の記録があります。また、それは古く『器』の観測で生じた事例と一部が似ています」


「女神の器とは何だ」


 オルガが聞く。


「今夜、すべてをお話しすることはできません」


「知らないのか」


「知っている範囲と、知らされていない範囲があります」


 言葉は整っていた。


 けれど、膝の上の手が震えている。


 タクミはそこを見た。


 長旅をした人の疲れ方ではない。


「夕食、食べました?」


 ラウルがこちらを見た。


「今は器の話を」


「食べてないですよね」


 セレスティアの視線が、一瞬だけ下がる。


「問題ありません」


「それ、よく聞く言葉です」


 向かいでミアが小さく言った。


「だいたい問題ある時に言う」


 リディが咳払いをした。


「誰から学んだのですか」


「みんな」


 セレスティアの口元が、少しだけ緩んだ。


 すぐに戻る。


 タクミは宿の主人へ頼み、湯と少量のパンを借りた。


 香りの強いものは避ける。


「食べられないなら、無理には出しません」


「……いえ」


「嫌いなものはあります?」


「好き嫌いは、ありません」


「じゃあ、今嫌なものは?」


 また返事が遅れる。


「油の匂い」


「分かりました」


 それなら薄いパン粥にできる。


 鍋を火へかけると、セレスティアの肩がわずかに下がった。


 ミアはずっと木のスプーンを握っている。


 セレスティアは何度か、その匙へ視線を落としていた。


 けれど、何も言わない。


 出来上がった器を前へ置く。


 湯気は弱い。


 塩もまだ入れていない。


「まず一口だけでも」


 セレスティアの手が匙へ伸びた。


 触れる直前で止まる。


「どうしました?」


「食べると」


 指先が震える。


「祈れなくなるから」


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

今日の一皿はいかがでしたでしょうか。

少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価、感想で応援していただけると、とても励みになります。

また次の一皿で、お会いしましょう。

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