第62話 ミアのいた場所
「ここ、知ってる」
昨夜の言葉の続きは、朝になってもすぐには出てこなかった。
タクミは小鍋で牛乳を温めていた。
甘味は入れない。
ミアが甘い香りを嫌がったからだ。
隣の鍋では、薄く切ったパンを湯でほどいている。
「食べられそう?」
「少し」
器を二つ置いた。
温めたミルクと、形がほとんど残らないほど柔らかなパン粥。
ミアは先にミルクへ口をつけた。
一口。
両手で杯を包む。
「白い部屋だった」
タクミは鍋をかき混ぜたまま待った。
「窓、なかった」
「うん」
「子どもが何人かいて」
そこで止まる。
パン粥を一匙。
「名前じゃなくて、数字で呼ばれてた」
匙の先が器の縁に触れた。
「ミアも?」
「たぶん」
「覚えてない?」
「呼ばれてた数字は、思い出したくない」
「じゃあ、言わなくていい」
ミアが顔を上げる。
「聞かないの?」
「嫌なら」
「……変なの」
「よく言われる」
「誰に?」
「リディさんとか」
廊下から声がした。
「聞こえています」
扉が開く。
リディは紙の束を持っていた。
「そして、否定はしません」
ミアが少しだけ笑った。
昨夜より呼吸は落ち着いていた。
リディが集めたのは、白い塔の外部公開記録だった。
保護児童。
治癒適性検査。
魔力反応の経過観察。
書類上の言葉はどれも穏やかだった。
「地下のことは?」
シィルヴィアが尋ねる。
「公開記録にはありません」
「子どもを番号で呼ぶ記録は」
「ありません」
ミアは机から少し離れた椅子に座っている。
オルガは紙ではなく、ミアを見た。
「確認する。続けていいか」
ミアは木のスプーンを握った。
「……うん」
「嫌になったら止める」
「うん」
リディが別の帳簿を開く。
「年齢と保護時期が一致する記録が一件あります。ただし名前はありません」
欄には、観測対象とだけ書かれていた。
出自は伏せられている。
身体特徴の項目に、小さな古傷の位置。
ミアの左膝と同じだった。
「これ」
ミアの声が細くなる。
次の頁には、検査終了日。
その下に、一行。
シィルヴィアの指が止まった。
「死亡?」
リディが頷く。
「三年前です」
部屋の音が消えたように感じた。
ミアは自分の手を見る。
指を曲げる。
木のスプーンを握り直す。
「私、生きてるよ」
「うん」
タクミは答えた。
「ちゃんと、ここにいる」
ミアは帳簿を見たまま、パン粥の器を自分の方へ引いた。
冷めかけた一匙を口へ入れる。
それから、もう一匙。
紙の上では三年前に死んでいる少女が、その朝の器を半分まで食べた。
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