第51話 戦争前の厨房
第51話 戦争前の厨房
戦争は、まだ始まっていない。
それでも王宮厨房の鍋は増えた。
「三日分。国境守備隊と増援で八百」
マティアスが紙を読み上げる。
「生肉は半分まで減らします」
「保存性を優先か」
ガレスが腕を組む。
「はい。王国の乾燥庫は湿度が高い。帝国式の塩量では持ちません」
「なら、そっちに合わせる」
二人の料理長は、初日に顔を合わせた時より話が早くなっていた。
タクミは横で豆粉を練る。
「これ、水少ないですか」
「少ない」
マティアスが即答する。
「だが、それでよい。行軍中に崩れぬ」
豆粉へ小麦を少し混ぜ、薄く焼く。
水分を飛ばした保存パンだった。
肉は香辛料と塩で締め、細く切って乾燥させる。
王国でよく使う赤い香辛料は、辛さだけでなく肉の臭みを抑えた。
「これ、帝国だと高いです」
「こちらでは逆です」
マティアスが言う。
「胡椒より安い」
「国が変わると、保存食も変わるんですね」
「当たり前です」
一度言ってから、老人は少しだけ声を緩めた。
「だから、他国の料理をそのまま持ち込めばよいわけではない」
「はい」
「……そこは反論しないのですな」
「本当にそうなので」
ガレスが笑った。
「こいつは料理で喧嘩しに来てない」
「最初に従者の食卓へ入ったと聞きましたが」
「それはする」
「どちらなのです」
タクミは焼けたパンを裏返した。
試食は、兵士三人に頼んだ。
行軍役。
門の守備。
荷車を引く補給兵。
同じ保存食でも必要な量が違う。
「歩くなら、これじゃ足りない」
「門なら肉は半分でいい。喉が乾く」
「荷車だと噛む時間がない」
マティアスが一つずつ書く。
タクミは保存パンを薄く割った。
「荷車の人は、汁に浸せるように小さくします?」
「現場で湯があるとは限らない」
ガレスが返す。
「じゃあ、噛みやすい方だけ別に」
「種類を増やしすぎるな」
「二つまで」
「それなら回る」
戦う人へ、戦う力を与える料理ではない。
腹を壊さず、倒れる前に食べられるものを作る。
厨房にできるのは、そこまでだった。
昼過ぎ、リディが軍議から戻った。
「国境の部隊は停止したままです」
厨房の手が少しだけ緩む。
「ただし、交渉団を派遣します」
「セドリック卿も?」
「向こう側の代表として待つそうです」
タクミが次の肉を並べた時、厨房の入口で衣擦れがした。
エリアーヌだった。
昨日より顔色は戻っている。
隣にドロテアとレオン。
「殿下、厨房は」
マティアスが駆け寄る。
「見に来ただけです」
エリアーヌは乾燥肉の列を見る。
「これは、国境へ?」
「はい」
マティアスが答える。
王女は一本を手に取らない。
匂いだけ確かめた。
「交渉団の出発は、明後日ですね」
「その予定です」
レオンが言う。
「わたくしも行きます」
厨房の火が鳴った。
「殿下」
レオンの声が固くなる。
「国境です」
「知っています」
「お身体が」
「それも知っています」
エリアーヌは自分の手を見た。
「だから、行ける形を一緒に決めてください」
レオンは何も言えなかった。
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