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氷血の皇帝は俺の料理を手放せない ~追放された料理人ですが、幼い日に救った少女が皇帝になっていて離してくれません~   作者: ジモンヌ
第1章:追放料理人と、待ち続けた皇帝

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第5話 皇帝が求めた、もう一杯

 馬車が止まった。


 扉の向こうから、人の声と、金属の触れ合う音が聞こえる。


「着いたぞ」


 リディが先に降りた。


 タクミも続こうとして、向かいに座るミアを見る。


「降りられそう?」


「うん」


 ミアは答えたものの、扉の外を見て動かなかった。


 タクミが先に地面へ降り、手を差し出す。


 ミアは少し迷ってから、その手をつかんだ。


 帝都北門。


 高い石壁の前に、兵士たちが並んでいた。


 町の門で見た衛兵よりも、鎧が揃っている。


「ずいぶん人が多いですね」


「予定になかった方が来られたからだ」


「待ってる人ですか?」


「そうだ」


「どんな人なんです?」


 リディは答えず、正面を見た。


「会えば分かる」


 その時、北門の詰所から一人の女性が出てきた。


 銀色の髪。


 風に揺れた髪が、日の光を細く返す。


 蒼い瞳が、まっすぐタクミを見ていた。


 タクミの胸の奥で、何かが小さく動いた。


 知らない人のはずなのに、どこかで見た気がする。


 けれど、いつ、どこで見たのかは思い出せなかった。


 女性が歩き出す。


 静かな歩調だった。


 それでも、後ろを歩く文官たちより、ほんの少しだけ速い。


「陛下」


 リディが片膝をついた。


 並んでいた兵士たちも、一斉に頭を下げる。


 タクミだけが立ったまま、周囲を見た。


「……陛下?」


 リディが小声で言う。


「ヴァルハイト帝国皇帝、シィルヴィア陛下だ」


 タクミは銀髪の女性を見た。


 もう一度、周囲を見る。


 全員が頭を下げている。


「皇帝……」


 慌てて膝をつこうとした。


「いい」


 シィルヴィアの声が止めた。


 タクミは中途半端に腰を曲げたまま止まる。


「そのままで」


「でも」


「いい」


 二度言われ、タクミはゆっくり姿勢を戻した。


 シィルヴィアは目の前まで来る。


 手を伸ばせば届くほど近い。


 皇帝と呼ばれた人が立つ距離ではない気がした。


「タクミ」


「はい」


 名前を呼ばれ、タクミは瞬きをした。


「お初にお目にかかります、陛下」


 シィルヴィアの指先が、わずかに動いた。


「……久しぶり」


「以前、会いましたか?」


 短い沈黙が落ちた。


 蒼い瞳が、タクミの顔を確かめるように見ている。


 やがて、シィルヴィアは小さく息を吐いた。



「おかえり、タクミ」


 胸の奥が、また小さく動いた。


 懐かしい。


 けれど、何に懐かしさを感じたのか分からない。


「……ただいま、でいいんでしょうか」


「いい」


 シィルヴィアの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


 リディが立ち上がる。


 その顔は、何か言いたそうだった。


「陛下」


「何」


「北門までお越しになる必要はなかったかと」


「視察」


「何の視察でしょうか」


「安全の」


 リディは目を閉じた。


「……またですか」


 シィルヴィアは聞こえなかったように、タクミだけを見ていた。


 その背後で、ミアがタクミの服をつかむ。


 シィルヴィアの視線が下がった。


「その子は?」


「ミアです。途中で会って、一緒に来ました」


 ミアは服をつかんだまま、シィルヴィアを見上げている。


「皇帝?」


「そうだ」


 リディが答えた。


「タクミを連れていくの?」


 空気が少しだけ固くなる。


 タクミが口を開くより先に、シィルヴィアが答えた。


「あなたも来ればいい」


「陛下。身元の確認がまだです」


「リディが確認した」


「私は護衛をしただけです」


「では、今確認した」


「何をですか」


「タクミが連れている」


 リディはしばらく黙った。


 それから、諦めたように息を吐く。


 ミアはタクミの服から手を離さなかったが、肩の力は少し抜けていた。



◇ ◇ ◇



 北門の待機室には、簡素な机と椅子が置かれていた。


 タクミたちが入ると、文官が温かい茶を用意する。


 シィルヴィアは椅子へ座ったが、茶には手をつけなかった。


 タクミは向かいに座り、改めて顔を見る。


 近くで見ると、肌が白い。


 白いというより、少し血の気が薄いように見えた。


「何か食べましたか?」


 リディがタクミを見る。


 文官も見る。


 シィルヴィアだけが、表情を変えなかった。


「必要ない」


「お腹、空いてませんか?」


「問題ない」


 タクミは机の上の茶を見た。


 湯気はもう細くなっている。


「朝から何も口にされていません」


 リディが言った。


 シィルヴィアがゆっくり顔を向ける。


 リディは視線を逸らした。


「北門へ向かうと決められてから、ずっとです」


「余計な報告」


「護衛対象の健康管理です」


 シィルヴィアが黙る。


 タクミは立ち上がった。


「何か作りましょうか」


「タクミ」


「簡単なものなら、すぐできます」


 シィルヴィアはすぐには答えなかった。


 蒼い瞳が、タクミの手元を見る。


「……任せる」



◇ ◇ ◇



 詰所の奥に、小さな厨房があった。


 鍋と竈。


 袋に入った穀物。


 卵と、少しの根菜。


 タクミは穀物を水で洗い、鍋へ入れた。


 火を起こす。


 水が温まり、やがて小さく音を立て始める。


 薄く切った根菜を加えると、固かった白い粒が少しずつほどけていった。


「何を作ってるの?」


 入口からミアが覗いている。


「雑炊」


「ぞうすい」


「柔らかく煮たご飯みたいなもの」


「卵も入れる?」


「入れるよ」


 ミアが一歩近づいた。


 その後ろには、シィルヴィアが立っている。


 タクミは卵を割り、椀で溶いた。


 沸きすぎないよう火を弱め、黄色い卵を細く流す。


 鍋の中で、卵がゆっくりほどけた。


 湯気に、穀物の甘い匂いが混じる。


 塩を少し。


 味を確かめる。


「うん」


 白い椀によそい、木の匙を添える。


 シィルヴィアの前へ置いた。


「熱いので、気をつけてください」


 シィルヴィアは椀を見つめた。


 立ち上る湯気。


 白い椀。


 黄色い卵。


 木の匙。


 しばらく、手が動かなかった。


「口に合わなさそうですか?」


 シィルヴィアは首を振る。


 木の匙を取った。


 指先が、ほんの少し震えている。


 一口すくう。


 息を吹きかけ、口へ運んだ。


 動きが止まった。


 タクミは鍋の前で待つ。


 シィルヴィアは何も言わない。


「味、薄かったですか?」


 もう一度、首を振った。


 二口目。


 三口目。


 少しずつ、匙を運ぶ間が短くなっていく。


 リディも文官も、黙って見ていた。


 ミアは空の椀を持って、鍋のそばに座っている。


「ミアも食べる?」


「食べる」


 タクミがミアの分をよそっている間に、シィルヴィアの椀は空になっていた。


 リディは、その指先を見た。


 先ほどまで白かった手に、わずかに血の色が戻っている。


 椀を支えていた震えも、止まっていた。


 宮廷料理人が何を出しても、食後の手は冷たいままだった。


 リディの視線が、空の椀からタクミへ移る。


 それでも、シィルヴィアは椀を机へ置かなかった。


 両手で持ったまま、タクミを見る。


「どうでした?」


「……変わっていない」


「味ですか?」


 シィルヴィアは答えなかった。


 空の椀を差し出す。


「もう一杯」


 タクミは少し驚いた。


 それから笑う。


「はい」


 鍋へ向き直る。


 背中に、シィルヴィアの視線を感じた。


 けれど振り返らず、もう一杯をよそう。


「……今度は、いなくならないで」


 小さな声だった。


 鍋の音に紛れ、タクミには届かなかった。


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。


今日の一皿はいかがでしたでしょうか。


少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価、感想で応援していただけると、とても励みになります。


また次の一皿で、お会いしましょう。

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