第47話 毒ではない毒
「菓子を下げて!」
ドロテアの声で、部屋が動いた。
侍女が皿を遠ざける。
エリアーヌの背を支え、首元の飾りを外す。
オルガは計測板を寝台へ寄せた。
「魔力量は落ちていない。循環が乱れている」
「脈が速い」
ドロテアが薬箱を開く。
「呼吸はできますか」
エリアーヌが小さく頷く。
タクミは床へ落ちた焼き菓子を拾った。
小麦。
蜂蜜。
柑橘。
どれも確認した。
「僕が使ったもの、全部ここにあります」
「触らず置いて」
「はい」
ドロテアは処置を続けた。
解毒薬ではない。
まず呼吸を確保し、魔力の過剰な流れを抑える薬を少量。
水分。
身体を締めつける衣服を外す。
タクミは何も作らなかった。
今、鍋を出す時ではない。
半刻ほどして、青かった唇へ少し色が戻った。
エリアーヌは眠った。
ドロテアがようやく椅子へ座る。
「材料を、もう一度」
タクミは答えた。
オルガが横で薬の一覧を並べる。
一枚。
二枚。
三枚。
処方元が違った。
「これは誰が」
「三年前、魔力の濁りが強くなった時に王宮魔術医が」
ドロテアが指す。
「こちらは?」
「食欲不振に対して私が」
「この薬草は」
「婚姻準備中の睡眠障害へ、別の医師が」
オルガの指が止まった。
「魔力安定薬の基剤を持ってこい」
侍女が小瓶を運ぶ。
オルガは一滴を水へ落とし、別の皿で柑橘の皮を絞った。
触れさせた瞬間、淡い光が濁る。
ドロテアが立ち上がった。
「そんな」
「単独では弱い」
オルガは二つを離した。
「だが、長く体内へ残った安定薬の魔力式と、柑橘の成分が重なると流れを狭める可能性がある」
「既知の禁忌表にはありません」
「王国の薬理表にはな」
オルガは自分の手帳を開いた。
「帝国北部でも、似た薬と香油で二例ある。食材としての記録ではない」
誰もすぐに話さなかった。
暗殺ではなかった。
毒を入れた人もいない。
治そうとして増やしたものが、身体の中で重なっていた。
「私です」
ドロテアが言った。
「処方を統合できなかった」
「一人で全部出したわけじゃない」
タクミが言う。
「だからです」
ドロテアは眠る王女を見る。
「誰かが止めなければならなかった」
夕方、エリアーヌが目を覚ました。
まだ食事は出さない。
口を湿らせる水だけ。
しばらくして、本人が腹部へ手を置いた。
「少し、何か」
ドロテアがタクミを見る。
「薬を飲むためです。治療食として、刺激のないものを一口だけ」
「分かりました」
米に似た白穀を長く煮た。
塩もほとんど入れない。
油は使わない。
作っている途中、妙な感覚があった。
いつものように、材料の水分と火の入り方が揃う。
けれど、それだけではない。
エリアーヌのために濃さを決めようとすると、足してはいけないものだけが、妙に浮いて見えた。
香草。
乳。
果汁。
どれも、今は入れたくない。
材料へ手を伸ばすたび、身体の奥で小さく引っかかる。
「何を見ている」
オルガが聞く。
「分かりません」
「成分を知っているのか」
「いいえ」
タクミは鍋を混ぜた。
「ただ、今の殿下には合わない感じがします」
「何を入れればいいかは?」
「そこまでは分かりません」
オルガの目が細くなった。
「……軍と施療院で見た調整作用だけでは、説明しきれないな」
一匙。
エリアーヌはゆっくり飲み込んだ。
すぐに治るものは何もない。
ただ、計測板の乱れがそれ以上広がらなかった。
ドロテアが時間を確認し、必要な薬を飲ませる。
今度は拒む反応が出なかった。
「料理が薬を消したわけではない」
オルガが低く言う。
「本人の身体が戻ろうとする邪魔が、少し減った可能性がある」
オルガはタクミを見る。
「お前は、戻すものより先に――戻るのを邪魔するものを避け始めているのかもしれない」
「分かるのは、料理してる時だけです」
「それで十分だ。今はな」
タクミは空にならない小さな器を見た。
「じゃあ、治したのは」
「医師と、本人だ」
ドロテアが目を閉じた。
翌朝には、処方元ごとの記録が一つの机へ集められた。
同時に、別の会議も始まっていた。
王家の失態として外へ出せば、婚姻交渉へ影響する。
ならば、異国の料理人が持ち込んだ柑橘による事故として処理してはどうか。
そんな声が上がったと、レオンが伝えに来た。
シィルヴィアは最後まで聞いた。
「誰が言った?」
声は冷たくなかった。
だからこそ、レオンは一度だけ言葉を選んだ。
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