第43話 国境の食卓
国境を越えると、空気の匂いが変わった。
雪の残る帝国側から半日進んだだけで、道端には低い緑が増えている。
夕方、宿の厨房から流れてきたのは、焼いた肉と香草の匂いだった。
「強い」
ミアが鼻を動かす。
「嫌?」
「お腹すく」
「じゃあ大丈夫そう」
王国側が用意した国境宿は、石壁に赤い屋根の大きな建物だった。
食堂も三つある。
一番奥は王侯と高位貴族。
中央は随員と官吏。
入口に近い小部屋は、従者と護衛用だった。
「同じ宿なのに、別なんですね」
タクミが言うと、案内役の役人が笑った。
「お立場にふさわしい食卓を用意しております」
悪意のない声だった。
シィルヴィアの前には、香草をまとわせて焼いた肉、白い平焼きパン、豆を潰した濃いペースト、乳酪が並んだ。
タクミにも同じ料理が出る。
一口食べる。
香草は強いが、肉の脂を軽くしている。豆には酸味があり、パンで掬うとちょうどよかった。
「おいしいです」
料理人らしい男が少しだけ胸を張る。
タクミは二口目を食べたあと、扉の向こうを見た。
従者用の食堂から盆が戻ってくる。
肉が半分残っていた。
「向こうも同じ料理ですか」
「いいえ」
案内役が答える。
「従者には煮込みを」
「見てもいいですか」
役人の笑顔が固まった。
「今、ですか」
「はい」
「お食事中ですが」
「食事を見るために来たので」
リディが額へ手を当てる。
シィルヴィアは匙を置いた。
「行く」
「陛下までですか」
「タクミが行く」
「はい」
「私も行く」
「そういう意味ではありません」
結局、リディが外交上の説明をして、タクミだけが従者用食堂へ入った。
鍋の中には、香草を利かせた豆と肉の煮込みがある。
味は悪くない。
ただ、ぬるかった。
「いつ配られました?」
「上の食事が始まってからです」
宿の料理人が言う。
従者たちは主人の給仕を終えてから食べる。
夜警に入る者も、長時間馬車を操った御者も、同じ量だった。
一人の若い御者が、脂の多い肉だけを残している。
「嫌いですか」
「いや。今から馬を見ます」
「食べると重い?」
男は少し迷い、頷いた。
タクミは自分の平焼きパンを半分ちぎった。
「これ、煮込みにつけると食べやすいです」
「それは上の卓のパンです」
案内役が小声で止める。
タクミの手が止まった。
「同じ厨房なのに?」
「身分が違います」
御者の方が困った顔をした。
タクミはパンを自分の盆へ戻した。
「じゃあ、向こうのパンをください」
「何をなさるおつもりで」
「僕が食べます」
硬い黒麦のパンが来た。
煮込みへ長く浸す。
香草の汁を吸わせると、少し食べやすい。
「これなら、夜の人には肉を減らして汁を多くした方がいいかも」
御者が自分の椀を見る。
「明日も、ここに泊まるのか」
「朝には出ます」
「じゃあ俺たちが言っておく」
その声に、宿の料理人が眉を上げた。
タクミは笑った。
「お願いします」
食堂を出ると、廊下に一人の男が立っていた。
濃い藍色の髪。金茶の瞳。
王国式の正装に、騎士の剣を帯びている。
男は手袋の指先を整え、タクミを上から下まで見た。
「レオン・レグナートです。王家外交局より迎えに参りました」
丁寧に一礼する。
顔を上げた時には、笑っていなかった。
「帝国の料理人は、礼儀を知らないようですね」
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