第27話 兵士の鍋
軍の厨房には、鍋が六つ並んでいた。
どれも、タクミの胸ほどの高さがある。
「触るなよ」
軍の料理長ベルン・クラウスが言った。
「見に来ただけの皇城料理人に、五百人分を任せる余裕はない」
「はい」
タクミは鍋ではなく、返却口を見た。
麦と豆と肉の煮込みが半分以上残った椀。汁だけ飲まれた椀。パンがそのまま戻された盆。
「どの隊ですか」
「この椀は北門夜勤。こっちは魔術訓練隊。パンを残したのは負傷兵舎だ」
「全部同じ量ですか」
「兵士は同じだけ食う」
「勤務時間も?」
ベルンの眉が寄る。
「兵士は命令された時間に食う」
昼の鐘が鳴った。
訓練直後の兵は水差しへ殺到した。夜勤明けの兵は脂の浮いた鍋を見て顔を背ける。負傷兵も同じ量を配られ、監督兵から食べきれと命じられていた。
「多い人と、足りない人がいます」
ルッツが別の卓を指す。訓練前の兵はパンを追加でもらっていた。
午後、タクミたちは鍋を一つ借りた。
材料は変えない。豆、麦、肉、根菜。
夜勤明けには脂を少なくして汁を増やす。訓練前には麦と肉を足す。負傷兵には量を減らし、浅い器で少し冷ます。
「そんな分け方をしていたら三人では回らん」
「鍋は増やしません」
大鍋から取り分けたあと、仕上げだけを変える。
ルッツが『夜勤』『訓練前』『負傷』と札を作った。
「字、上手だね」
「今それを言うな」
夕食の返却口では、残った量が目に見えて減った。
ベルンは空に近い桶を見ても笑わない。
「一日だ。明日も同じとは限らん」
「記録します」
オルガは魔術訓練隊の前に計測板を置いていた。食事の前後で魔力量はほとんど変わらない。
けれど、一人の若い兵士が額を押さえていた手を下ろした。
「いつもの吐き気は?」
「少しだけです」
「休息は」
「同じです」
「水分は」
「今日は先に飲みました」
条件は一つではない。
それでも計測板の線は、食前より揺れが小さくなっていた。
オルガは結論を書かず、線だけを写した。
◇ ◇ ◇
その夜、同じ若い兵士が食堂の入口で立ち止まった。
椀を受け取ろうとせず、鍋から離れていく。
「食べないんですか」
「食べたら、また訓練だから」
声は小さかったが、鍋の近くにいた兵たちの手が止まった。
ベルンが振り返る。
「誰がそう決めた」
若い兵士は答えない。視線だけが教官のいる扉へ向いた。
タクミは追わなかった。
返却口には、同じ班の椀が三つ並んでいた。どれも肉だけが残っている。脂が冷えて、表面に白い膜を作っていた。
ルッツが一つを持ち上げる。
「嫌いだから残したんじゃないな」
「うん」
「食べたくないんじゃなくて、食べたあとが嫌なのか」
タクミは記録札へ、新しい欄を書き足した。
食べた量。
食後の予定。
食べる前の様子。
ベルンはその札を覗き込み、しばらく黙っていた。
「厨房の仕事じゃない」
「食べられない理由なら、厨房で見たいです」
「兵の弱音まで聞くつもりか」
「弱いかどうかは、まだ分かりません」
鍋から湯気が上がる。
五百人分の同じ煮込みの前で、一人だけが椀を怖がっていた。
タクミは、受け取られなかった一杯の理由を確かめることにした。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
今日の一皿はいかがでしたでしょうか。
少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価、感想で応援していただけると、とても励みになります。
また次の一皿で、お会いしましょう。




