第20話 作れない朝
厨房の鐘が鳴り終わっても、タクミは寝台から起き上がれなかった。
「何をしている」
扉の前に、リディが立っていた。
「厨房へ」
「行かない」
「朝食が」
「ガレスが作る」
タクミはもう一度立とうとする。
リディは扉を開けるどころか、その前へ椅子を置いて座った。
「通しません」
「でも」
「立ててから言え」
シィルヴィアも部屋へ入ってくる。手には濡らした布と水差しがあった。
「今日は休む。皇帝命令」
「命令でも、仕事は残ります」
「残らない」
「僕が決めた献立が」
「ガレスがいる」
「量の調整が」
「記録がある」
タクミは黙った。
まだ納得していない顔をしている。
エレナが後ろから入り、額へ手を当てた。
「軽い熱です。過労と睡眠不足でしょう」
「軽いなら」
「患者が診断を都合よく短くしないでください」
エレナは布をシィルヴィアから受け取り、タクミの額へ置いた。
「今日厨房へ戻れば、明日はもっと長く休むことになります」
ミアが寝台の横へ立つ。
「タクミが倒れたら、明日のごはんがなくなる」
「今日だけなら」
「明日も作るんでしょ」
その言葉に、タクミは返せなかった。
扉がノックされる。
ガレスが厚い冊子を抱えて入ってきた。後ろにはルッツがいる。
「今日の飯は俺たちが作る」
「鶏肉は先に脂を」
「知っている」
「夜勤の人には」
「少なくする」
「豆は」
「煮崩れる前に火を落とす」
ガレスは冊子を開いた。
タクミの記録帳ではない。
厨房員たちが、それぞれ書き写してきた手順と気づきだった。ルッツの頁には、文字が何度も消されている。
「お前が見ていたものを、俺たちも見ていた」
ガレスは冊子を閉じる。
「だから今日は寝ろ」
「でも、僕と同じ味には」
「同じ味を作る必要があるのか?」
ガレスは厨房員たちの冊子を指で叩いた。
「お前にしか出せん結果はある。だが、それでお前一人に百人分を背負わせる厨房は失格だ」
ルッツが口を挟んだ。
タクミが彼を見る。
「昨日の百人分、全部違った。でも残らなかった」
「うん」
「今日は俺の鍋を作る。夜勤の人が食べられるやつを」
少し早口だった。
自信があるわけではない。それでも、タクミの代わりを演じようとはしていない。
「困ったら?」
「料理長に聞く」
「僕じゃなくて?」
「お前は寝る」
ガレスがルッツの背を押す。
「戻るぞ」
二人が出ていく。
タクミは、遠くの鐘を聞いた。
厨房へ行かない朝が始まる。
不安だった。
同時に、少しだけ肩の力が抜けた。
シィルヴィアが寝台の脇へ椅子を寄せる。
「私が見ている」
「陛下も仕事が」
「ここでする」
「書類を全部持ってくるおつもりですか」
リディが尋ねる。
「必要な分だけ」
廊下には、すでに三人の文官が書類の山を抱えていた。
「……必要な分だけ、ですね」
リディは深く息を吐いた。
◇ ◇ ◇
その頃、厨房ではガレスが包丁を作業台へ置いていた。
「タクミの味を作るな」
厨房員たちが顔を上げる。
「食べる奴を見ろ」
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