第2話 追い出さないスープ
村を出てから、半日ほど歩いた。
「帝都って、こっちで合ってるよな」
右にも左にも、同じような木が続いている。
「……まあ、道は続いてるし」
足の裏も、腹も痛かった。
荷物の中には、食べかけの黒パンが一つ。
「夜まで我慢するか」
その時、街道脇の茂みで枝が鳴った。
タクミは足を止める。
「……誰かいる?」
もう一度、枝が折れた。
草をかき分ける。
木の根元に、小さな少女がいた。
栗色の髪。
泥のついた上着。
片足の靴は大きすぎて、踵が浮いている。
首元だけ、細い糸で模様が縫われていた。
「大丈夫?」
少女はタクミではなく、街道の奥を見た。
それから、木の幹へ背を押しつける。
「……来ないで」
「分かった」
タクミは止まった。
少し離れた場所にしゃがむ。
「怪我してる?」
「……してない」
「そうか」
少女は木の幹に手をつき、立ち上がろうとした。
遠くで鳥が一斉に飛び立つ。
少女の肩が跳ねた。
一歩。
膝が折れる。
「危ない」
タクミが腰を浮かせる。
「来ないで!」
少女は地面に手をついたまま、荒い息を吐いた。
タクミは動きを止める。
「分かった。行かない」
少女の指が、土をつかんだ。
「……白い塔、いや」
「分かった」
少女が顔を上げる。
「……何が」
「ここにはないよ」
少女は何も言わなかった。
その時。
ぐう、と音が鳴った。
静かな森に、はっきり響いた。
少女が腹を押さえる。
タクミも、自分の腹へ手を当てた。
「……今の、どっちだろう」
「私」
「そっか」
タクミは荷物を下ろした。
「……何してるの」
「火を起こそうかなって」
「来ないでって言った」
「うん」
タクミはその場に鍋を置いた。
「だから、ここで作る」
少女は黙った。
近くの小川で水を汲み、食べられる野草と小さな根菜を集めた。
戻ると、少女は木の根元に座り直していた。
上着の中へ手を入れる。
指の間で、銀色のものが一瞬だけ光った。
タクミは鍋を地面へ置く。
「聞こえる?」
「……聞こえてる」
「よかった」
石を組み、火を起こす。
鍋に水を入れた。
やがて、底から小さく音が鳴り始める。
タクミは野草を刻んだ。
苦い茎は外す。
根菜は薄く切った。
最後の黒パンを手に取る。
半分に割る。
少し止まり、残りも鍋へ落とした。
固かったパンが水を吸い、少しずつ崩れていく。
青かった野草の香りも、火が通ると柔らかくなった。
薄く切った根菜から、ほのかな甘い匂いが立つ。
少女は鍋を見ていた。
ぐう、ともう一度鳴る。
少女がタクミを見る。
タクミは木のスプーンで鍋を混ぜた。
小さな塩袋から、ほんの少し加える。
一口すくう。
「うん」
黒パンが溶け、スープには薄いとろみがついていた。
タクミは木の椀へよそう。
湯気が立ち上った。
少女の手が届く場所へ置き、自分は離れる。
「食べられそう?」
少女は椀を見つめた。
「……お金、ない」
「俺もないよ」
少女が顔を上げる。
「……大丈夫なの?」
「何とかなるかな」
少女は上着の中へ手を入れかけた。
けれど、すぐに引っ込める。
タクミは何も言わなかった。
代わりに木のスプーンを差し出す。
少女は首を振った。
上着の内側から、小さな木製スプーンを取り出す。
柄の先が少し欠け、何度も使われた跡があった。
「それ、持ってたんだ」
「……これは、だめ」
「使わない方がいい?」
「違う。なくしたら、だめ」
「そうか」
タクミは椀を少し近づけた。
「じゃあ、落とさないようにね」
少女はしばらく椀を見ていた。
やがて両手で持ち、小さく口をつける。
湯気が頬に触れた。
一口飲むと、少女の肩から少し力が抜けた。
「……あったかい」
「うん」
「草なのに、苦くない」
「固いところを取ったから」
薄い塩味の中に、わずかな甘みが残る。
木のスプーンを持つ手が、少しずつ速くなった。
最後には椀を傾け、一滴も残さず飲みきる。
空の椀と鍋を見比べる。
「……もうないの?」
「さっきまで、食べないって顔してたけど」
「してない」
「そうかも」
タクミは残っていたスープを椀へ入れた。
鍋の底が見えた。
少女は椀を受け取る前に、タクミの手元を見る。
「あなたのは?」
「味見したよ」
「それだけ?」
「うん」
少女は椀を見つめた。
それから、タクミの方へ少し押す。
「半分」
タクミは目を瞬いた。
「いいの?」
「……冷めるよ」
さっき言われた言葉を返し、少女は少しだけ眉を寄せた。
「そうかも」
タクミは別の椀へ半分移した。
二人の間に、湯気が二つ並んだ。
食べ終える頃には、少女の呼吸はゆっくりになっていた。
木の幹に手をつく。
立ち上がる。
一歩。
今度は、膝が折れなかった。
もう一歩進む。さっきより、足が前へ出ていた。
「歩けそう?」
「……さっきは、立てなかった」
「お腹が空いてたからかな」
少女は自分の足を見た。
タクミは鍋を持ち、小川へ向かう。
「名前、聞いてもいい?」
少女は少し黙った。
「……ミア」
「ミアか」
「あなたは?」
「タクミ」
ミアは、小さく繰り返した。
「……タクミ」
「うん」
ミアは空になった椀を見つめた。
木製スプーンを、上着の中へ戻す。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
タクミは荷物を背負った。
木々の向こうに、街道が続いている。
「町まで一緒に行こう」
ミアはすぐには動かなかった。
「……追い出さない?」
タクミは、ミアの靴を見た。
踵の皮が剥け、薄く血がにじんでいる。
荷物から布を取り出した。
「靴ずれしてる。先に巻こうか」
ミアは答えなかった。
木製スプーンを握ったまま、差し出された布を見つめていた。
◇ ◇ ◇
帝都では、シィルヴィアが一枚の報告書を読んでいた。
「少年は街道を外れました」
「理由は」
「倒れていた少女を見つけたようです」
紙を押さえていた指が止まる。
「少女は」
「詳細は、まだ」
「二人とも見て」
報告役が頭を下げ、部屋を出ていく。
閉じた扉を見つめたまま、シィルヴィアは小さく息を吐いた。
「……変わっていない」
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