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氷血の皇帝は俺の料理を手放せない ~追放された料理人ですが、幼い日に救った少女が皇帝になっていて離してくれません~   作者: ジモンヌ
第9章 帰ってきた料理人と、約束の朝食

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第144話 氷をほどく人たち

 シィルヴィアの胸へ、治癒の光が触れた。


 固定を解く前は、皮膚の上で止まっていた光だ。


 エレナは傷の周りを見つめ、オルガの返事を待った。


「この範囲だけ、解く」


 薄い霜が、傷の端からわずかに消えた。


 白いままだった皮膚に色が戻る。その内側から、赤いものが滲み始めた。


 出血が再開する。


 分かっていた。模型でも、何度も確かめた。


 それでもエレナは、添えていた布を一度、強く握った。


「解除は、そこで止めてください」


 オルガの手が止まった。


 セレスティアが光を重ねる。今度は、傷の浅い部分へ届いた。


 エレナは布を替え、傷口の変化を記録係へ伝えた。布についた赤さばかり見ていると、治癒が進んだ場所を見落としそうになった。


 目を戻す。


 傷の端が、少しだけ寄っていた。


「届いています。ここは、処置を続けられます」


 セレスティアが息を吐いた。光は強くせず、同じ場所に保った。


 表面の出血が収まると、今度は身体の奥に残る傷へ進む。


 胸を貫いた光の傷は、一度に治せない。オルガが固定の範囲を狭め、エレナたちが処置する。身体を支える術師は、その間も手を離さなかった。


 シィルヴィアの顔には、変化がない。


 頬は動かないまま、胸元には少しずつ血の色が戻っていた。


 エレナはそれを見続けた。


 自室へ移された日の夜、彼女の髪を整えた。返事のない相手へ、櫛が引っかかります、と声をかけた。


 次は痛いと言ってくれてもよかった。


 そのためにも、今は手元を間違えられない。


「次の範囲へ進めます」


 エレナが告げると、オルガは同じ位置を指して確かめた。


 それから、もう一度だけ霜がほどけた。



◇ ◇ ◇



 隣室へ届いた最初の知らせは、傷の浅い部分へ治癒が入った、というものだった。


 タクミは何度も聞き返さずに頷いた。知らせ役が戻った後で、自分の作業表を開く。


 食事相談の欄は、まだ空いたままだった。


 廊下では、交代の治癒師が手を洗っている。イレーネが、その人へ小さな杯を渡した。


 半分ほど飲んだところで、治療室の中から椅子を引く音がした。


「次の解除を止めてください」


 タクミは顔を上げた。


 リディが扉の前へ移る。けれど、開けなかった。


 部屋の中で、誰かが同じ言葉を繰り返した。続いて、処置を続ける声がする。


 待っているうちに、タクミの手が冷えた。


 廊下へ出たエレナは、先にリディと目を合わせ、それからタクミを見た。


「血の巡りを支える処置が、解除に追いついていません。今、解けたところを支えています」


「また、全部を止めるんですか」


「新しく解くのを止めています。治療した部分は、その状態を保っています」


 全部を、元へ戻したわけではない。


 タクミは聞いた言葉を、自分の中でもう一度確かめた。


「……彼女は、苦しくないんですか」


「痛みへの処置もしています。今の呼びかけには、まだ反応がありません」


 エレナの額に汗があった。


 タクミは、もっと詳しく聞きたかった。何が足りないのか。いつまで待てばいいのか。あと少しなら、進められないのか。


 リディが、扉の前から離れない。


 昨日、自分で頼んだ。危なければ止めてほしいと。


 タクミは作業表を握り込む前に、脇の台へ置いた。



「分かりました。お願いします」



 エレナが戻ると、交代を待っていた治癒師が入っていった。


 イレーネも空の杯を受け取ってから、その後へ続いた。


 タクミは、まだ半分残った水差しを見た。


 今、自分にできることを探し、隣室の空の杯へ水を注いだ。


 戻ってくる人が、すぐ手に取れる場所へ置く。


 それを済ませても、時間は長かった。



◇ ◇ ◇



 夕方、エレナは一度、窓の外へ目を向けた。


 光の色が変わっていた。昼から同じ場所へ立ち続けていた気がしたが、途中で二度、別の医官と交代している。


 休んだ間の記録も、すべて手元へ戻ってきた。


 出血は抑えられた。胸の深い傷にも、治癒が届いた。ただし、新しくつながった部分は弱く、身体を支える処置を外せる段階ではない。


 セレスティアは休憩用の椅子から立とうとして、エレナに止められた。


「今の担当者で足りています」


「……はい」


 セレスティアは座り直した。目だけは、寝台から離れなかった。


 その視線の先で、シィルヴィアの胸元がかすかに上がった。


 エレナは数値を見た。


 支える術式の動きと、同じではない。


「オルガ様」


「見ている」


 もう一度、胸が動いた。


 エレナは息を止めかけ、静かに吐いた。自分の呼吸まで数えれば、混同してしまいそうだった。


 記録係へ時刻を伝える。



「ご本人の呼吸が、出ています」



 誰も声を上げなかった。


 オルガは次の動きを待ち、セレスティアも椅子に座ったまま見守った。


 胸が、またゆっくりと上がる。


 エレナは濡れた布を替えた。さっきまでの赤い色が、少し薄くなっていた。


「ここからは、この呼吸を確かめながら進めます」


 言い終えてから、知らせ役へ隣室の二人に伝えるよう頼んだ。


 隣室で待つ二人にも、早く伝えたかった。


 扉へ向かう知らせ役の足音が、早くなった。


 エレナはその背へ、歩いて、と声をかけた。知らせ役は振り向き、呼吸を整えてから出ていく。


 自分も、急に足の力が抜けそうになっていた。


 寝台の端へつかまりかけ、手を作業台へ移す。


 セレスティアがそれに気づいた。


「少し、替わります」


「ご自身の休憩は」


「終えました。次の解除までは、今の担当で支えられます」


 エレナは記録係に確認し、空いた椅子へ座った。


 胸が動くのを、今度は離れた位置から見る。手を動かしていないと、途端に怖さが戻ってきた。


 もし、さっき止めるのが遅れていたら。


 もし、次の解除で同じことが起きたら。


 エレナは、その二つを口に出した。


 オルガが顔を上げる。


「次へ進む前に、支える術式を見直す。今の呼吸を保てる条件も、もう一度測る」


 返事を聞き、エレナは記録紙の空いている部分へ書き留めた。


 セレスティアはシィルヴィアの顔を見ていた。


「陛下に、叱られるかもしれませんね」


「何をですか」


「怖かったと、話したら」


 エレナもシィルヴィアの顔を見た。静かな眉と、閉じた瞼。明日には、この顔が不満そうに動くかもしれない。


「その時は、私も一緒に」


 答えると、セレスティアが短く笑った。


 呼吸を読む声に、二人ともすぐ顔を戻した。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。


今日の一皿はいかがでしたでしょうか。


少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価、感想で応援していただけると、とても励みになります。


また次の一皿で、お会いしましょう。

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