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氷血の皇帝は俺の料理を手放せない ~追放された料理人ですが、幼い日に救った少女が皇帝になっていて離してくれません~   作者: ジモンヌ
第9章 帰ってきた料理人と、約束の朝食

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第143話 扉の向こうの朝

 朝の鐘が鳴る前に、タクミは目を覚ました。


 寝台の脇に置いた調理着へ手を伸ばす。昨夜、直しておいた袖へ腕を通した。



 今日は、彼女の固定を解き始める。



 靴紐を結ぼうとして、指が滑った。もう一度結び、今度は両端を確かめてから立つ。


 厨房では、ルッツが豆と穀物の焼き物を籠へ並べていた。タクミが昨夜、書き留めた紙も、同じ場所にある。


「少し大きくなりました」


 ルッツが一枚を割る。中まで火が通り、縁を持っても崩れなかった。


「これなら食べやすそうです」


「そう思って」


 二人で頷き合った。その間に、ガレスがタクミの前へ椀を置く。


「座れ。お前の分だ」


 根菜の汁と、焼き物が一枚。


 食べ始めると、豆の甘さが分かった。次の一口を飲み込んだところで、廊下の足音に顔を上げる。


 通り過ぎたのは、洗い布を抱えた厨房員だった。


「呼びに来る奴には、ここにいると伝えてある」


 ガレスは鍋の蓋を少しずらした。


「聞こえなかったら、俺が呼ぶ」


「……お願いします」


 タクミは椀へ匙を入れた。汁の中で柔らかくなった根菜を、今度は噛んで食べた。


 食後の皿を運ぼうとすると、ルッツが受け取った。


「あとは、こっちで」


 タクミは空になった手を見て、頷いた。


 厨房を出る前に、もう一度だけ振り返った。ルッツは配る先を確かめ、籠の脇へ行き先を書いた札を挟んでいた。


「治療室の分は、先にします」


「急がなくて大丈夫です。交代の時刻に間に合えば」


「……そっか」


 ルッツは持ち上げかけた籠を置き、札を読み直した。


 タクミも、すぐに歩き出せなかった。


 ガレスが二人を見て、台の上の布を畳む。


「こっちは、いつもの時刻に出す。呼ばれたら、お前は向こうへ行け」


 タクミは、ようやく扉へ手をかけた。


 後ろで、ガレスがルッツを呼んだ。


「陛下の明日の分は、今は決めるな。今日の話を聞いてからだ」


 明日、という言葉を聞いて、タクミは振り返らずに息を吐いた。


 その先の食事を考えている人が、自分のほかにもいた。



◇ ◇ ◇



 異変から十七日目の朝。シィルヴィアの部屋の前には、昨日までなかった作業台が置かれていた。


 水差し、洗い布、記録紙。部屋から出てきた治癒師が、胸の前で一度、手を握って開く。


 セレスティアだった。


 タクミは、彼女へ声をかけた。


「朝食は、召し上がりましたか」


「はい。焼いたものも、半分」


 答えた後で、彼女は自分の指先を見た。


「何度も確かめたのに、次に何をするのか、分からなくなりそうで」


 タクミも懐の作業表へ触れた。待つ場所は、何度読み直しても同じだった。


「僕も、見てしまいます」


 セレスティアが小さく頷いた。そこへエレナが出てきて、治療班を呼ぶ。


 名前を呼ばれた人から、部屋へ入っていく。


 オルガが扉の前でタクミを見た。


「先に、外から来る道を分ける。まだ固定には触れない」


「はい」


「陛下への接続を外せた時点で、知らせる」


 扉の向こうに、寝台の端だけが見えた。タクミはもう少し見ようとして、足を止めた。


 運び込まれる器具へ道を空ける。


「お願いします」


 オルガは短く頷き、部屋へ戻った。


 タクミは隣室の椅子へ座る。リディは扉から少し離れた位置で、治療室と廊下の両方を見ていた。


 椅子を寝台へ寄せることは、今日はできない。


 膝の上へ手を置いた。すぐに指を組み直し、それにも気づいて、両手を離した。


 壁の向こうで、数値を読む声がした。


「第一の受け石へ」


 別の声が復唱する。


 間が空いて、もう一度。


 タクミには、その間がどれほど長いのか分からなかった。廊下の台車が通る音だけ、妙にはっきり聞こえた。


 やがて、扉が開いた。


 知らせに来た医務室の者は、タクミが立つより先に言った。


「陛下の固定に変化はありません。受け石の一つで、流れの偏りが出ました。次へ進まず、確認しています」


「彼女に、戻っているんですか」


「陛下へは戻していません。今は、ほかの受け石へ流しています」


 タクミは椅子の背へ手を置いた。


 止めれば、朝のうちに彼女の声を聞けないかもしれない。昨夜から、その声ばかり考えていた。


 それでも、部屋の中を急かす言葉は出せなかった。



「……分かりました。ここにいます」



 知らせ役が戻ると、リディが同じ椅子の方を向いた。


「座って待て」


「リディさんも」


 リディは一度、治療室の扉を見た。廊下の衛兵へ目で合図をし、タクミの隣の椅子へ腰を下ろす。


 膝の上で、手袋の縫い目を押していた。


「陛下は、待たされるのが嫌いなんだ」


「知っています」


「食事の時は、特に」


 タクミは頷きかけ、止まった。


 シィルヴィアは、食堂へ早く来る。けれど、自分が席に着くまでは、匙を取らなかった。


 リディも続きを言わなかった。


 しばらく二人で、扉の向こうの声を聞いた。



◇ ◇ ◇



 昼前、オルガが隣室へ来た。


 袖口が濡れていた。作業中に冷却用の水がかかったのだと、聞かれる前に答える。


「偏りのあった道は外した。残る受け石の余力を確かめ、切り分けを終えた」


 タクミは椅子から立った。


「彼女には、もう」


「外からの流入は止まっている。時間を置き、もう一度測った。本人を保つ固定は、そのままだ」


 受け入れる道だけを外す。


 遺跡の石で確かめたことが、彼女につながる術式でもできた。


 タクミは口を開きかけ、息を吐いた。何を言おうとしたのか、自分でも分からなくなった。


 オルガが手に持っていた記録紙を見せる。陛下への流入、という欄に、確認した二人の署名があった。


 タクミは、その文字を一つずつ読んだ。



「ありがとうございます」



 声にすると、ようやく肩が下がった。


「これから、治療班が傷の周囲を解く。呼ばれるまでは、ここで」


「はい」


 オルガは立ち去ろうとして、タクミの椅子に置かれた小さな包みに目を留めた。厨房から届いた昼食だった。


「食べておけ」


「オルガさんは?」


 少しだけ間があった。


 タクミは包みを開き、二枚ある焼き物の一枚を差し出した。


 オルガは断らずに受け取った。隣の椅子へ腰を下ろす。


 タクミも座り、残った一枚を口へ運んだ。


 飲み込むまで、誰も次の話をしなかった。


 部屋へ戻る時、オルガは空いた包みを畳んで置いた。



「次は、陛下の身体に触れる」



 ついていこうとした足を止め、タクミは椅子へ座り直した。


 扉が閉まるまで見送った。



 ただいま、と伝える時、彼女はどんな顔をするだろう。


 タクミは閉じた扉を見つめ、膝の上で組んだ指を、ゆっくりほどいた。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。


今日の一皿はいかがでしたでしょうか。


少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価、感想で応援していただけると、とても励みになります。


また次の一皿で、お会いしましょう。

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