第138話 四枚では足りない
遺跡から実験の報告を受けた、その日の午後。森の分館で、タクミは机に四枚の資料を並べていた。
流路図、固定解除の順序、聖堂の二つの印、遺跡での切り分けの結果。折り目も紙の色も違う。
それらを見ながら書き始めた救命の手順書には、まだ空欄があった。
シィルヴィアの固定を、どこから、どこまで解除するか。その具体的な手順だけは、旅先の記録から書き込めなかった。
「ここは、帝都の治療班に確かめてもらうんですね」
タクミが空欄を指すと、オルガは帝都から届いた観測図を隣へ並べた。彼女の胸の傷が描かれている。
「ああ。花や石でできた手順が、そのまま陛下に使えるとは限らない。傷と固定の状態を、実際の観測に合わせる必要がある」
タクミは空欄の脇に、『帝都で照合』と書いた。
そこへ、リエナが王国から届いた写しを持ってきた。
九日目に照会した女神の記録だった。アルディア王国のエリアーヌ王女が、絵の前後の頁も取り寄せてくれている。
タクミは、各地の光が女神へ集まる絵を開いた。
ユリウスの送った器制度の記録にも、この絵はあった。一人に魔力を集める根拠にされたものだ。
だが、次の頁では、女神から伸びる線がいくつにも分かれ、木と川と家へ戻っていた。
「続きが、あったんですね」
オルガは、器制度の記録と並べた。そちらには、魔力を集めた後の絵がない。
「この記録では、女神は集めた魔力を各地へ戻している。一人で抱え続けるためのものではなかったんだ」
タクミは、女神から各地へ伸びる線を指でたどった。
「魔力を集めるところだけが、器を作る根拠になったんですね」
「ああ。偏った流れを戻す。女神の働きは、世界の調律だったんだ」
帝都の流路図へ目を戻した。
各地から来る線の終わりには、シィルヴィアの名がある。その先へ戻す道は描かれていなかった。
「目を覚ましても、また魔力を受け続ける役には戻したくありません」
「ああ。今の受け石は一部を逃がすだけだ。魔力が各地を巡る道は、これから直していく必要がある」
タクミは、帝都で照合する手順書を一番上へ置いた。
四枚の資料だけでは埋められない欄がある。彼女を診ている治療班が、帝都で待っている。
「帰りましょう」
◇◇◇
異変から十三日目の夕方、リエナが閲覧の終了書を持ってきた。
「実験器具は持ち出せません。構造図と、今回の記録は渡せます」
タクミは署名をした。
最後の食事は、リエナが厨房へ持ってきた丸い根菜を使った。
人が食べられるものだと確かめ、真ん中を少しだけくり抜く。
戻した茸と、刻んだ中身を混ぜて詰めると、リエナが木の実の粉を少し足した。
「これも、私たちが食べる種類です。入れすぎると渋くなるので」
大きさが揃わない根菜を、蒸し鍋へ並べる。小さいものへ先に串を刺し、大きいものはもう少し待った。
リエナが小さい一つを皿へ移した時、皮の端が裂けた。
「これは、私の分に」
裂けた分を引き受けようとしていたリディが、手を戻した。
「先を越されたか」
リエナはもう、自分の皿へ載せていた。
裂け目から滲んだ茸の汁が、皿の底に溜まっていた。
タクミも別の一つを皿に取り、少し冷ましてから割った。一口食べると、外側の甘さの後に、木の実の香りが鼻へ抜けた。
「蒸すと、甘みが出ますね」
「いつも、煮ていました」
リエナは匙の先で詰め物を掬う。
「同じものでも、こんな食べ方があるのですね」
最後に残った大きい根菜へ、串がすっと通った。タクミは火を止め、それぞれの皿に残った量を見ながら、少しずつ取り分けた。
四人の皿から、新しい湯気が上がった。
タクミは匙を置きかけて、手を止めた。一つの皿に全部を載せず、空いている分だけ取り分けた。
昼に見た流路図が浮かんだ。いくつもの線が、シィルヴィア一人へ集まっていた。
隣でリエナが口を開き、タクミは顔を上げた。
「次に来る時は、六十二日前でなくても連絡をください」
「食事の予約ですか」
口にしてから、閲覧のことかと気づいた。
リエナは匙を置き、少し笑った。
「そちらも。食事の支度なら、私たちでも急げます」
食べ終えて、借りた厨房を洗った。鍋の裏の煤まで落とそうとすると、リエナが布を止める。
「それは、あなた方が来る前からです」
タクミは布を絞り、鍋を乾かす方へ回した。
帰り支度の途中、帝都の鏡がつながった。
治療班からは、持ち帰る記録の優先順位が届く。
受け石の班からは、予備を一基、救命試験用に空けるための作業計画が届いた。
タクミは、鏡の前へ身を寄せた。
「魔力の逃がし先を、複数の受け石に分けられませんか。それぞれ、あとどれくらい受けられるか確かめて、余裕のある方へ少しずつ流すんです」
隣のオルガが、作業計画から顔を上げた。
「食事を分けていて、思ったんです。一つに全部を載せなくてもいいんじゃないかって」
「複数の石へ道をつなげられるか、切り替える時に流れが乱れないか。そこは試す必要があるな」
オルガは鏡へ向き直り、複数の受け石を使う案も検証してほしいと頼んだ。
タクミは手順書の余白に、『複数の受け石へ流れを分けられるか』と書き添えた。
そしてミアの手紙が読み上げられた。
『わたしは食べています。』
タクミは洗い終えた皿へ目を向けた。最後の一つまで、四人で分けて食べた。
「僕も食べています、と伝えてください」
隣でオルガが、照合を待つ手順書を一番上へ置いた。
◇ ◇ ◇
翌朝の出発直前、街道の番人が駆けてきた。
昨日まで通れた橋に、通行止めの札が出たという。
リディが地図を広げる。
帝都への線の途中に、もう一度、小さな×がついた。
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