第137話 人を入れない実験
炒飯の皿を洗い終えると、イリスは実験台に小さな術式を描き、中央へ観測用の石を置いた。
人の代わりに使う石は、弱く光っていた。
今日確かめるのは、魔力を受け入れる印だけを外し、石を保つ印は働かせたままにできるか、ということだった。
エスペルは、器具をつなぐイリスの手元を見た。
「俺で試した方が、分かることは増えるんじゃないか?」
「増える。危険も増える」
トウマは石の位置を確かめた。
「今は、人を使わずに確かめられることが残っている」
エスペルは頷き、台から一歩離れた。
ノエルは、外から送る魔力を止めるための遮断紐を手に取った。
まず、イリスが二つの印を一つずつ試した。
最初の印では、周囲の器具から石へ魔力が流れた。その道筋に、細い光が走る。
もう一つの印では、石自身の光が一定の明るさに落ち着いた。石を保つ印の働きを測る針も、決まった目盛りで止まった。
イリスは、帝都から届いた写しへ結果を書き添えた。
『魔力を受け入れる印』
『石を保つ印』
次に、二つの印を同じ器具へ組み込んだ。
魔力を受け入れる印を外せば、石へ向かう光の筋は消える。その後も、石を保つ印の針が動かなければ、片方だけを外せたと分かる。
イリスは針の位置を記録してから、台の脇にある別の器具へ、魔力の逃がし先を開いた。
細い光が脇へ流れ始める。
トウマが頷いた。イリスは、魔力を受け入れる印の接続を外した。
石へ向かう光の筋が消えた。
石を保つ印の針は、同じ目盛りを指している。石自身の弱い光も、揺れなかった。
「保つ印は、働いたままです」
イリスの声を聞いて、ノエルが結果を書き留めた。
二度目は器具と、印を描く人を替えて試した。同じ手順で、受け入れる印だけを外せた。
三度目、石自身の光が揺れた。
ノエルは迷わず紐を引いた。
外からの魔力が止まり、石の光は落ち着いた。石を保つ印の針も、元の目盛りへ戻った。
「止めるのが早すぎましたか?」
ノエルが訊くと、トウマは首を振った。
「いや。あのまま続ける方が危なかった」
接続を調べると、つなぎ直した端子が緩んでいた。トウマは三度目の結果の欄へ、『端子の緩み』と書き込んだ。
「二度うまくいって、確認が甘くなった。私の見落としだ」
ノエルは、握っていた紐を緩めた。
「次も、私が止め役でいいですか?」
「いてくれ」
イリスが端子の緩んだ位置を写す。熱が引くのを待ち、接続を直した。
四度目も、ノエルは同じ位置で紐を持った。
イリスが魔力を脇へ逃がし、受け入れる印の接続を外す。今度は石の光も、保つ印の針も揺れなかった。
「保つ印まで、外さずに済むんですね」
イリスが顔を上げた。指には、描き直した印の墨がついていた。
「ああ。この石では、分けられた」
トウマは成功欄へ印をつけた。
エスペルは、その頁の端を押さえた。成功した手順の隣には、端子が緩んだ位置も残されていた。
◇◇◇
午後、召喚遺跡と森の分館の鏡が再びつながった。
オルガは報告を聞き終えると、実験の図と、帝都から届いた術式の写しを並べた。
「石では分けられた。次は、陛下につながる術式でも同じことができるか、だな」
「ああ。実物との照合が要る」
トウマは頷いた。
タクミは鏡越しに、実験台の石を見た。魔力を受け入れる印を外した後も、弱い光が残っている。
「陛下を傷つけずに済むか、確かめる手がかりができたんですね」
声に出すと、少し息がつけた。
それから、手元の図に描かれた、魔力の逃がし先へ目を移した。
「帝都では、この魔力をどこへ逃がしますか」
実験では、台の脇の器具で受け止められた。各地から届く魔力を引き受けるには、それよりずっと大きな余力が要る。
オルガが、帝都の受け石の記録を開いた。
「受け石はある。ただ、今の流れを受けるだけで精いっぱいなら、救命のために外す分までは引き受けられない」
「逃がし先が足りなければ、途中に溜まって逆流する」
トウマが続けた。
「別の人間に受けさせれば、器を取り替えるだけになる」
タクミは首を振った。
「別の誰かに、同じことはさせたくありません」
オルガは帝都への確認事項を書いた。
受け石が今どれだけの魔力を受けているか。そして、救命のためにどれだけ余力を空けられるか。
連絡が終わる前に、エスペルが鏡へ顔を寄せた。
「この実験の記録、持って帰る。誰かを代わりの器にするのは、俺も嫌だ」
その後ろで、イリスが実験台から石を取り上げた。
彼女の手の中で、弱い光はまだ消えずにいた。
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