第125話 閉じない逃がし口
空の槽は、観測所の裏にあった。
翌朝、タクミたちは係に案内され、蓋の割れた貯蔵槽を見下ろしていた。水は入っていない。内壁にだけ、銀色の線が何重にも巡っている。
「魔力を一時的に受ける槽です。以前は、炉の余りをこちらへ逃がしていました」
ヴェラが図面を広げた。外から調査室の受け取り設備へ続く線から、西の槽へ赤い線が枝分かれしている。分岐には閉鎖の印があった。
「昨年から、調査室へ優先して送るようになったんです」
「受け取り設備が限界に達したら?」
オルガが聞く。
「自動で止まるはずでした」
炉を扱う技師が、遮断板の焼けた裏を見せた。
黒い筋が何本も残っている。
「止めた後も、外から押されました」
タクミは黙って聞いていた。
オルガはシラスの測定値と、帝都の記録を重ねた。
「流入を止めるだけでは、手前に溜まる。古い槽へ逃がす方が先だったんだ」
「今から開けるのですか」
「一度には開けない。人のいない試験路を使う」
リディが周囲の退避を確認した。
技師たちは遮断板を二重に置き、槽が満ちる前に止める位置へ赤い印を付ける。
「この先で、別の土地へ押しつけることには?」
リディが放流路の末端を指した。
技師は施設の外まで続く断面図を広げる。
「昔、炉を動かしていた時の排出量を下回る範囲です。それを越えれば止めます。川や街の受け口へ、直接つなぐ管ではありません」
オルガはその欄へ線を引き、帝都宛ての紙にも『放流先の確認』と書き足した。
タクミたちは、槽を見渡せる観測室へ移った。
最初の弁が開いた。
銀の線を、淡い光が走った。
中央の針が下がる。
同時に、槽の針が上がった。
「止めろ」
オルガの声で、技師が弁を戻した。赤い印までは届いていない。
何も爆ぜなかった。
中央で減った分を、今は槽が抱えている。
「溜まった分は?」
技師が断面図の底を指した。槽から延びる細い溝は、建物の外でいくつもの放流路に分かれていた。
「ここから、土地へ戻せる量まで絞って流します」
「その出口まで、今も通るか」
「末端の班が見ています」
オルガは返答を待った。中央の針が下がっただけでは、次の弁を開けなかった。
末端から、放流路に詰まりはないと知らせが届いた。
もう一度だけ試す。
今度は受ける槽を切り替え、先に使った槽から少しずつ流した。
二つ目の槽の針が上がり、先に使った槽の針はゆっくり下がった。
先に使った槽の外壁で、光が薄くなる。窓の外で、末端に立つ技師が白い札を上げた。
放流先の針も、赤い線から離れたままだった。
「受けて、返せている」
ヴェラが小さく言った。
「今の量ならな」
オルガは時刻の横へ、弁を開いた幅を書き込む。
「流れ込む方だけ増やすな」
技師は古い取っ手に触れ、指へついた銀色の粉を見た。内壁の線も、使えば削れていく。
タクミは鍋の蓋をずらす時の手を思い出した。向きを誤れば、そばの人へ蒸気が当たる。
技師の一人が壁へ手をついた。タクミは水を差し出す。
「飲めますか」
「まだ、次が」
「次は俺が見る」
別の技師が椅子を引いた。
タクミは用意していた平焼きパンを割った。冷めても裂けやすいように薄く焼き、塩を少しだけ利かせてある。
技師は一口食べ、長く息を吐いた。
「戻らなくていいのか」
「今は、いいそうです」
オルガが通信鏡を机へ運んだ。
向こうは帝都。エレナと、封印を見ている術師が待っていた。
「同じ装置はあるか」
向こうの術師が図面を確認する。
「空の槽はありません。旧離宮への補助路に、使っていない受け石が三組あります」
「人のいる部屋へ流すな。放流先を先に確かめてくれ」
資料が一枚ずつ映されていく。
タクミは残りのパンを包んだ。帝都へは送れない。図と声だけが先に届く。
鏡の端に、セレスティアの姿が見えた。
「明朝、外側の一経路だけで試します」
地下での襲撃から、明日で七日目になる。
タクミは鏡から離れず、冷めた自分の分を食べた。
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