第123話 取り残された食器
翌日の昼、観測所でタクミが見せられたのは、研究者ではなく空の椅子だった。
「ここで倒れていたんです」
案内の係が窓際を指した。
卓には古い匙と蓋付きの食器が残っている。紙片が一枚、皿の下に挟まっていた。
『西の分岐を閉じるな。』
「倒れていた方が、シラスさんで間違いないんですね」
「療養棟で所持品と署名を照合しました。シラスさんで間違いありません」
オルガが窓辺の外套へ目を留めた。
袖口に、二度、継ぎが当たっている。
「昔から、自分で繕う男だった」
触れようとした手を下ろし、先に搬送時刻を確認した。
「搬送先は」
「共同厨房に併設された療養棟です。もう連絡は入れました」
オルガは記録棚へ向かう前に、係から立入記録を受け取った。記録棚には封がしてある。許可された引き出しだけを開き、紙を一枚ずつ並べていく。
タクミは食器へ手を伸ばしかけ、止めた。
「これも、そのままですか」
「食事も調査対象だそうです」
「匂いを確かめても?」
係が蓋を開けた。灰白色の練り物が、匙で押された形のまま残っている。
酸敗した匂いはない。保存用の術式で、冷たく保たれていた。
「これは何ですか」
「標準食です。計量してあります」
タクミは食べなかった。誰かの食べ残しだ。代わりに隣の受領票を見る。
『一日三食』とある。署名もある。
「食べた量の記録は?」
「受け取った量なら、ここに」
もう一度、匙の跡を見る。
端を浅くすくったきり、中央は平らなままだった。
オルガが一枚の図面を広げる。何本もの細い黒線が、一つの円へ集まっていた。
「帝都の図と、似ています」
「似ている。だから照合する」
円へ届く手前で、二本の赤い線が黒線から枝分かれし、別の場所へ延びていた。後から書き足された線だった。
一方の赤線の脇には、食器の下の紙片と同じ筆跡で書かれていた。
『閉じるな。』
もう一方の赤線には、別の書き込みがあった。
『人へ戻すな。』
円の横には、古い記録が綴じられていた。受け取った魔力の量。その下に、同じ筆圧で書かれた、人の体温と脈。
数枚先から、魔力の欄ばかりが細かくなっている。
タクミは頁を戻した。
「受けた人の記録は、ここまでですか」
「別冊があるか、目録を見よう」
オルガが目録を探す。見つかった表題は『候補者交換』だった。
リディが、その文字の上へ指を置く。
「道具の取り替えみたいに書くな」
案内の係は答えなかった。余白にはシラスの字で線が引かれ、同じ箇所に『氏名を省くな』と書き足してあった。
リディが扉の外を見る。
「本人に聞けるか」
「会話が続かないそうです」
案内の係は、少し声を落とした。
「自分の名前も言えたり、言えなかったりで。面会では、返事を急かさないでほしいとのことです」
タクミは食器へ蓋を戻した。
研究室へ帰らない人。
知識を隠した人。
そう聞いていた。
今は、食事を残した椅子が一つある。
「療養棟へ行ってもいいですか」
「記録を読み終えてからではなく?」
オルガが顔を上げた。
「食べられてないなら、今日の分も残してるかもしれません」
オルガは図面を畳み、係へ写しの申請をした。
「原本はここに置く。君たちの観測記録も借りたい」
外へ出ると、療養棟へ向かう荷車が目の前を通った。
蓋付きの食器が、仕切りに沿ってきれいに並んでいる。
どの蓋にも同じ番号があった。
料理の名は、一つも書かれていなかった。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
今日の一皿はいかがでしたでしょうか。
少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価、感想で応援していただけると、とても励みになります。
また次の一皿で、お会いしましょう。




