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氷血の皇帝は俺の料理を手放せない ~追放された料理人ですが、幼い日に救った少女が皇帝になっていて離してくれません~   作者: ジモンヌ
第8章 旅する料理人と、約束の帰り道

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第121話 残す人、行く人

 夜明け前から、皇城の鐘が鳴っていた。


 一度。


 間を置いて、二度。


 タクミは荷袋を閉じかけた手を止めた。


「地下ですか」


「いや」


 窓際で外を見ていたリディが答える。


「西街道だ。昨夜から魔力流が乱れている。避難の荷車が二台、まだ戻っていない」


 タクミは窓へ近づいた。


 空は白み始めている。


 けれど、城門前には夜のうちに着いた荷車が並んでいた。


 毛布。


 水桶。


 乾燥豆。


 治療用の薬草。


 戦うためのものより、生き延びるためのものの方が多い。


 シィルヴィアが倒れても、世界は元には戻らなかった。


「東部からも報告が来ている」


 机に書類を広げていたオルガが言った。


「井戸の水温が一晩で上がった村が二つ。南では、祈祷所の魔石が割れた。今のところ、人的被害の報告はない」


「今は、ですね」


「ああ」


 オルガは否定しなかった。


 タクミは荷袋へ視線を戻す。


 包丁、鍋、木のスプーン、ガレスが持たせた保存食。


 必要なものだけを入れたはずなのに、昨日までより重く感じた。


「行きましょう」


 荷袋を背負う。


「待て」


 リディが扉を開ける。


「その前に地下だ」


◇ ◇ ◇


 皇城地下へ続く石段には、三重の柵が置かれていた。


 その先に、厚い封鎖扉がある。


 扉の表面を、青白い術式が走っていた。


 四人の術師が床へ座り、封鎖扉の術式へ魔力を送り続けている。


 一人の手が震えていた。


「交代は」


 オルガが尋ねる。


「二刻後です」


 答えた術師の声は掠れている。


 壁際には、冷めた椀が置かれていた。


 半分も減っていない。


 タクミの目が、そこへ止まる。


「食べてないんですか」


「あとで」


「昨日も、そう言っていたそうです」


 後ろからガレスの声がした。


 大きな鍋を載せた台車を、厨房員と二人で押してくる。


「だから、こっちはこっちでやる」


 蓋を開ける。


 湯気と一緒に、炒った玉ねぎと豆の匂いが広がった。


 術師の一人が、わずかに顔を上げる。


「でも、持ち場を」


「椀はここへ持ってくる」


 ガレスは言った。


「匙を動かす手くらい残しておけ。扉より先にお前が倒れる」


 術師は苦笑して、それ以上は断らなかった。


 オルガが扉の前へしゃがむ。


 床へ埋め込まれた測定板には、細い針が七本並んでいた。


 そのうち五本が、赤い線の近くまで上がっている。


「昨日より、上がっている」


「どれくらいですか」


「このままなら、アベルの予測を否定できない」


 七日も保たない。


 あの言葉が、タクミの中に戻ってくる。


「扉を閉じても、止まらないんですね」


「止めたのは、扉の向こうから来る追撃だ」


 オルガは測定板の脇にある図を指した。扉を表す太い線とは別に、細い線が床の下から何本も伸びている。


「こちらの経路では、封鎖後も数値が上がっている」


「陛下が、ご自分を固定した後も?」


「ああ。何が起きているのかは、まだ分からない。扉を厚くするだけでは、この針は下がらなかった」


 針の一本が、小さく震えた。


 タクミは図から寝台のある上階へ目を向けた。彼女が止めているのは、自分の死だ。外では、まだ別のものが動いている。


「街道の異常も、この線からですか」


「それを確かめる資料も、向こうにある。今は、ここに来る量を減らしてもらう」


 隣の術師が作業表を上げた。不要な接続の閉鎖と、その手前にある施設の避難。確認済みの経路から一つずつ閉じ、手前の針が上がれば開き直す。


 昼からは別班が入る。施療院の移転はイレーネが、石と食料の手配はクラウスが受け持っていた。


 ガレスが椀を一つ、術師へ渡した。


「なら、こっちで持ちこたえている間に行ってこい」


 タクミが振り向く。


「でも」


「残る仕事まで持っていくな」


 ガレスは次の椀へスープを注いだ。


「お前は、お前の仕事をしろ」


 タクミはしばらく、湯気の向こうにいる術師たちを見ていた。


 それから頭を下げる。


「お願いします」


「ああ」


 それだけだった。


◇ ◇ ◇


 シィルヴィアの部屋には、朝の光が入っていた。


 暖炉の火は消えていない。


 寝台の上で、銀色の髪だけが淡く光っている。


 昨夜と何も変わっていなかった。


 それが、今は怖かった。


 良くもならない。


 悪くもならない。


 死の直前だけが、そこに残されている。


 エレナが測定器を確認していた。


「状態に変化はありません」


「解除したら」


「傷も動き始めます」


 分かっていた答えだった。


 それでもタクミは、もう一度聞いた。


「治療しながら解除するのは?」


「今の私たちには、どこから解除すればいいのかさえ分かりません」


 エレナは測定器を置いた。


「だから、調べてきてください」


 タクミはシィルヴィアのそばへ行く。


 机には、昨日置いた返事がそのまま残っていた。


 ――必ず戻ります。


 ――最初の二枚は、二人で。


 その紙の横に、小さな皿が置かれている。


「ガレスさんが?」


「はい。朝食です」


「食べられないのに」


「毎朝置くそうです」


 タクミは少しだけ笑った。


「そうですか」


 シィルヴィアの手には触れなかった。


 昨夜も、握れない手の隣へ自分の手を置いた。


 今日は戻ってくるために、離れる日だった。


「行ってきます」


 返事はない。


「また一緒に、朝ごはんにしましょう」


 扉へ向かう。


 今度は、振り返らなかった。


◇ ◇ ◇


 城門には、三台の馬車が待っていた。タクミたちの一台と、国境まで物資を運ぶ二台だった。


 リディが荷物を積み、オルガが書類箱を確認している。


 その少し離れたところで、ミアが帳面を抱えていた。


「ミア」


「うん」


「本当に、残れる?」


「残る」


 即答だった。


「イレーネと、ユリウスが調べる。私も、知ってることを話す」


 抱えた帳面を少し持ち上げる。


「見つけたら、送る」


「ありがとう」


「タクミも送って」


「何を?」


「食べたもの」


 タクミは瞬きをした。


「それ、必要?」


「必要」


 ミアは真顔だった。


「食べてないって分かったら、ガレスに言う」


「……分かった」


 リディが荷台から顔を出した。


「私にも送れ。こいつは信用ならん」


「同じ馬車ですよね?」


「だから監視する」


「それ、手紙いらなくないですか」


 ミアが少し笑った。


 ほんの少しだけ、いつもの朝に戻った。


 城門が開く。


 その向こうには、魔法国家へ続く街道が伸びていた。


 タクミが馬車へ乗ろうとした時、後ろから文官が走ってきた。


「オルガ殿!」


 オルガが振り返る。


「魔法国家から、追加の返答です!」


 封書を受け取る。


 オルガはその場で封を切った。


 目が、止まった。


「どうしました」


 タクミが尋ねる。


 オルガは紙を握ったまま、しばらく答えなかった。


「研究室の立入記録が届いた」


「研究者は?」


「戻っていない」


 昨夜聞いた話と同じだった。


 だが、続きがあった。


「三日前に観測所へ入った男がいる」


 オルガが顔を上げる。


「研究室ではなく、そちらへ食事が運ばれていた。倒れて、療養棟へ移されたそうだ」


 タクミは馬車へ掛けた足を戻した。


「その人が、研究者ですか」


「まだ本人の確認が取れていない。会話が続かないらしい」


 オルガは封書を折る。


「観測所には、探している研究者と同じ筆跡の図面がある」


 その視線が、街道の先へ向いた。


「食器と、食べ残したものも、そのままだそうだ」


 馬車が動き出した。


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。


今日の一皿はいかがでしたでしょうか。


少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価、感想で応援していただけると、とても励みになります。


また次の一皿で、お会いしましょう。

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