第119話 まず食え
翌朝、タクミは皇城厨房で鍋へ水を張っていた。
米の袋を開き、器へ量る。
一杯。
二杯。
三杯。
そこで手が止まった。
何杯入れたのか、分からない。
もう一度数える。
一。
二。
「もう作るな」
ガレスの手が、器を取り上げた。
「でも」
「お前、今何杯入れた」
答えられない。
ガレスは米を袋へ戻した。
「起きた時に」
「起きた時の飯は、俺が作る」
「僕が」
「今のお前に、人へ食わせる飯は作れん」
火口の前へ、大きな背中が立つ。
いつもなら邪魔だと言われる場所で、タクミは動けなかった。
「まず食え。それから泣け」
椅子を引かれた。
タクミは座る。
「泣いてません」
「顔を見てから言え」
返せない。
目の前へ椀が置かれた。
豆と根菜の煮込み。
昨日、ベルタたちが市場から運んでくれた豆が入っている。
煮汁へ溶けた根菜から、甘い匂いがした。
自分も昨日、似た鍋を作った。
椀を見たまま、手が動かない。
「持てる?」
向かいへ座ったミアが、木のスプーンを押してくる。
「……うん」
握る。落とさない。
ミアも自分の椀を取った。
エスペルがパンをちぎる。
リディは手袋を外して座った。
誰も、タクミの顔を覗き込まない。
匙が器へ触れる音。パンをちぎる音。火が弾ける音。
ミアのスプーンが動くのを見て、タクミも一口すくった。
一口目は、ほとんど味が分からなかった。
二口目で、温かさが喉へ下りる。
三口目。豆の皮が、少しだけ舌に残った。
噛む。飲み込む。
誰も急かさない。
「卵を」
声が出た。
ミアが顔を上げる。
「一緒に、焼くって」
続かない。
シィルヴィアの声を思い出す。
――最初の二枚は、二人で。
木のスプーンへ一滴落ちる。
自分の涙だった。
もう一滴。
止めようとする。
「止めるな」
ガレスは火の前で次の鍋を混ぜていた。
振り返らない。
「飯がしょっぱくなる」
「僕のです」
「なら構わん」
ミアが、ほんの少しだけ口元を緩めた。
エスペルは、ちぎったパンを手に持ったまま待っていた。
リディは何も言わない。
タクミは泣きながら食べた。
味が戻ったのが、いつだったかは分からない。
最後の根菜は、少し甘かった。
椀が空になる。
ガレスが新しい水を置く。
タクミは両手で杯を持った。
水を飲む。
まだ喉はつかえた。もう一口、ゆっくり飲んだ。
「卵を一緒に焼くなら」
ガレスが木杓子で鍋を混ぜながら言う。
「教える支度をしておけ」
タクミは袖で目元を拭いた。
「はい」
「焦げたのを陛下へ出すなよ」
「出しません」
「お前も食え」
返事が遅れる。
「……はい」
タクミは杯を置き、皆を見た。
「僕が戻るまで」
一度、言葉を選ぶ。
「あの人が目を覚ました時の食事を、お願いします」
ガレスの木杓子が止まる。
「任せろ」
短い返事。
ミアが記録板を抱え直す。
「私、残ってる記録を全部見る」
セレスティアは教団へ照会を出すと言った。
エスペルは、召喚遺跡の記録なら自分も確認できると答えた。
「私は同行する」
リディは、当たり前のように言った。
タクミは頷く。
立ち上がる。
鍋にも包丁にも、手を伸ばさなかった。
長卓のそばへ、もう一脚椅子を運んだ。
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