第113話 器の祭壇
白い線が、シィルヴィアの足元へ絡んだ。
触れてはいない。
それでも、石床の溝を走る光が靴の影に沿って上がろうとする。
「右の流れを留める。セレスティア、左を頼む」
「はい」
シィルヴィアが右手を上げた。
床を走っていた白い光の一部が、そこで動きを鈍らせる。
全部ではない。
止めるのも、外側だけ。
セレスティアが祈りの糸を伸ばし、左側の流れを隣の空いた溝へ逃がした。
「一つ、抜けます」
「そのまま外へ」
細い光が壁の紋へ流れていく。
オルガの測定針が揺れる。
「陛下の数値は上がっています。長くは保たせないでください」
「分かっている」
タクミは入口に近い石台へ小鍋を置いた。
携帯の火床へ炭を入れる。
火をつけ、雑炊を温め直す。
運ぶ間に寄った米を木杓子でゆっくりほどいた。
ここでも、急いで潰さない。
「内側の紋が動きます」
オルガの声に、全員が床を見る。
測定針が一斉に同じ方向へ傾いた。
「どこだ」
リディが問う。
「祭壇の内側です」
オルガが図を開く。
ミアが指摘した二つの印。
保つ印。
受け入れる印。
そのうち。
「受け入れる印の下です」
図にはない線が、床の下から浮かび上がった。
止めたはずの光がそこを回る。
「図にない!」
セレスティアが声を上げる。
白い線は、シィルヴィアの胸元へ向かった。
「降臨が始まれば、内側は機構が組み替える」
アベルが言う。
リディが振り返った。
「知っていたのか!」
「全てではない。記録には――」
「説明は外で聞く!」
リディが剣を抜く。
「退路を維持。引くぞ!」
合図だった。
シィルヴィアが一歩下がる。
約束通り、動いた。
けれど。
二歩目が出ない。
「シィルヴィア?」
タクミが呼ぶ。
彼女の唇がわずかに動いた。
声が出ない。
代わりに、幾つもの言葉が周囲へ滲むように聞こえた。
助けてほしい。
失いたくない。
守って。
帰りたい。
一つの声ではない。
祈りが、シィルヴィアの口を借りようとしている。
タクミは鍋を見る。
さっき、この雑炊を食べて、白い指が開いた。
火を弱める。
白い椀へ雑炊を移す。
今は鍋を見ない。
食べる人を見る。
「シィルヴィア」
返事はない。
「食べられますか」
瞳が椀を追った。
唇が、ほんの少し開く。
それで十分だった。
リディが間へ伸びた光を剣で払う。
「一人ぶんだけだ!」
タクミは前へ出る。
木のスプーンですくう。
熱い。
厨房でそう言った声を思い出す。
急いでいても、冷ます手順は省かない。
息を吹きかける。
シィルヴィアへ差し出す。
彼女が、自分で口を寄せた。
一口。
温かさに応えて、彼女の喉が動いた。
それを押さえ込もうとする流れがある。
一口ごとの反応を追うと、違いが見えた。
けれど、その流れをどこへ返せばいいのかは分からない。
白く染まりかけた瞳が、タクミを見た。
「……熱い」
声が戻った。
「はい」
タクミは笑わなかった。
今はそれでいい。
シィルヴィアの足が床から離れる。
自分で、一歩下がった。
リディは逃さない。
「今だ!」
エスペルが退路へ入る。
セレスティアが流れを外へ逃がす。
オルガがシィルヴィアの腕を支えた。
祭壇の外へ、一歩。
もう一歩。
三人が境界を越えた瞬間。
頭の内側へ、判定が落ちた。
――調律因子による固定器の破損を確認。
タクミの足が止まりかける。
「前を見ろ!」
エスペルの声が飛ぶ。
白い光が、シィルヴィアから外れた。
今度は。
タクミへ向き直った。
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