第104話 皇帝を隔離せよ
会議は昼まで続いた。
窓の外では、地下封印区画へ続く回廊が閉鎖されている。
衛兵の交代だけが、一定の間隔で通り過ぎていった。
会議卓の上には、条件を書いた紙が増え続けている。
帝都の外の離宮に、監視付きで滞在する。
各国から選んだ術師を受け入れる。
地下封印へ近づかない。
移動経路は事前に共有する。
体調と魔力の変化を毎日記録する。
書記が一つ読むたび、リディが線を引き、クラウスが別の文言を書き足した。
「多いな」
エスペルが小声で言う。
「勇者隊の規定を笑えませんね」
リディが返した。
「俺は笑ってない」
「顔が笑っています」
短いやり取りのあと、誰も続けなかった。
紙の中心にいるのは、シィルヴィアだった。
「調査が済むまで、私が離宮へ移ればよいのだな」
シィルヴィアが言う。
クラウスは頷いた。
「その間に、陛下の能力と地下封印の関係を調べます。帝国皇帝としての権限は維持されます」
「受け入れよう」
早すぎた。
タクミは思わず顔を上げる。
「受け入れる前に、聞いてもらえますか」
会議卓の視線が集まる。
シィルヴィアだけが、少し眉を寄せた。
「帝国の決定だ」
「シィルヴィアの身体のことです」
「帝国の民も、国境の外の民も関わる」
「はい」
否定はしない。
タクミにも、地下で何が起きたかは分からない。
隔離が不要だと言い切るつもりもなかった。
「でも、どこへ行くかだけ決めても足りません」
クラウスが書面から顔を上げる。
タクミは指を折った。
「誰を連れていくか」
一つ。
「誰に診てもらうか」
二つ。
「何を食べるか」
三つ。
エスペルが少しだけこちらを見る。
「眠れない時、誰を呼ぶか。嫌になった時、誰に言うか」
指が足りなくなった。
タクミは手を下ろす。
「決めることは、まだあります」
誰も笑わなかった。
クラウスはしばらく黙り、紙へ目を戻す。
「国際的な監視条件としては、食事内容まで指定する必要はありません」
「だからです」
「だから?」
「必要ない人が決めると、必要なことが抜けます」
言ってから、少し強かったかもしれないと思う。
けれどクラウスは怒らなかった。
シィルヴィアの方を見る。
「陛下は、何か希望がありますか」
「特にない」
タクミがすぐにそちらを見る。
「あります」
「なぜあなたが答える」
「朝、手を離せって言いました」
「それは希望に入らない」
「入ります」
「入れなくていい」
エスペルが咳払いをした。
リディは羽根筆を止めたまま、こちらを見ない。
クラウスだけが真面目な顔で書き留めようとしたので、シィルヴィアが低く言った。
「それは書くな」
「承知しました」
少しだけ空気が緩んだ。
タクミはそこで止めなかった。
「こういうことです」
シィルヴィアを見る。
「困ることも、嫌なことも、本人に聞いてからにしてください」
瞳がわずかに細くなる。
「あなたを巻き込みたくない」
「それも、一人で決めるんですか」
返事はなかった。
冷えた指が、卓上の書状を押さえている。
エスペルの前にも、こんな紙が積まれていた。
タクミは、冷えた指先へ目を戻した。
「離宮へ行かないで、とは言いません」
ゆっくり言う。
「僕が全部決めたいわけでもないです」
「では何が言いたい」
「一緒に決めたいです」
シィルヴィアの指が止まった。
その時、書記が昼食を運んできた。
薄い根菜のスープ。
黒パン。
冷めにくいよう蓋がされている。
誰もすぐには手を伸ばさない。
蓋を開けると、細い湯気が上がった。
タクミはその湯気を見てから、会議卓へ視線を戻す。
クラウスが羽根筆を取った。
「提案があります」
新しい紙を一枚出す。
「監視と地下への接近禁止は維持します」
一行目を書く。
「生活と検査の詳細は、陛下ご本人を含めて決める」
もう一行。
タクミが挙げた希望にも、印がついた。
タクミは息を吐いた。
リディが文面を読む。
「拒否権は」
「医学的、術式的な危険が明確な場合を除き、本人の意思を優先する、としましょう」
「曖昧だ」
シィルヴィアが言う。
「だから双方で記録します」
クラウスは羽根筆を置いた。
「私も、これで十分だとは思っていません」
七つの封蝋を見下ろす。
シィルヴィアは書面を読む。
長かった。
やがて、自分の前へ紙を引いた。
「離宮への移動は、地下との接続状況を再確認してから」
「異論ありません」
「同行者は私が選ぶ」
「安全確認の範囲で」
「食事も」
そこで、ほんの少しだけタクミを見る。
クラウスも視線を追った。
「……それは、最初から陛下にお任せします」
「そうか」
署名はまだしなかった。
タクミは、シィルヴィアの指先を見た。
会議が一度途切れる。
気づけば、昼食の湯気はほとんど消えていた。
シィルヴィアの前のスープだけ、手つかずのままだった。
タクミが匙を取ろうとすると、シィルヴィアの右手が先に器へ触れた。
けれど、その指は、匙を取らなかった。
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