第103話 器と決めるな
「私は、器ではない」
シィルヴィアの声は静かだった。
強く否定したわけではない。
けれど、部屋の空気は一瞬で整った。
セレスティアが白い塔から持ち出した記録を閉じる。
「私には、陛下を器だと認定する権限も、根拠もありません」
「条件が一致すると言った」
「一部だけです」
セレスティアは紙の端を指で押さえた。
「固定された状態に耐えられることと、何かを受け入れられることは違います」
「何か、とは」
エスペルが聞く。
「それも、まだ分かりません」
答えは早かった。
「白い塔の記録には、意図的に抜かれた部分があります。器という言葉だけを先に使えば、昔と同じことになります」
タクミは黙っていた。
昔と同じ。
人を先に役割へ押し込める。
その言葉だけは、分かった。
扉の外で靴音が止まった。
リディが顔を上げる。
「入れ」
シィルヴィアの許可で、男が一人入ってきた。
灰色の髪。
濃緑の外交服。
胸元には、一つではない国の印章が下がっている。
勇者の戦後協議のため、数日前から帝都に滞在している各国連合の監察使だった。
「クラウス・メルヴィンです」
深くはない礼。
けれど、無礼でもない。
彼の視線は、シィルヴィアではなく机の上の測定針へ向いた。
「急な入室をお許しください」
「用件を」
「今朝の地下異常で、各国の代表から改めて確認を求められました」
クラウスは書状を一枚開いた。
「先日の魔力災害では、陛下が黒い核を封じた」
書状を伏せ、今朝の報告へ指を移す。
「今朝は、帝都地下の古い封印が崩れ、陛下の力が反応した」
その下の行を指した。
「地下の術式は、陛下を『固定器』と呼んだ」
読み上げるたび、部屋の温度が下がるように感じた。
実際には、シィルヴィアの右手の白さは変わっていない。
「結論を言え」
シィルヴィアが促す。
クラウスは報告を伏せた。
「安全が確認されるまで、陛下を帝都から隔離していただきたい」
リディが一歩出る。
「帝国皇帝へ、他国が命じるのか」
「命令ではありません」
クラウスは視線を逸らさなかった。
「拒まれた場合、国境封鎖を選ぶ国が出る。そういう報告です」
「脅しか」
「恐怖です」
短い返事だった。
「先日の災害は複数の国でも観測されています。原因が分からない以上、陛下を恐れる国が出ること自体は止められません」
クラウスは、先日の災害から預かっていた書状を机へ並べた。
封蝋は七つ。
色も印も違う。
同じなのは、どれも急いで押されたように歪んでいることだった。
「帝都から出せば安全だと?」
エスペルが聞く。
「安全になるとは言っていません」
「なら」
「距離を取った状態で、地下封印との関係を調べるべきだ、と各国は考えています」
筋は通っている。
だからこそ、簡単に怒れなかった。
クラウス自身も、シィルヴィアを敵だと言っているわけではない。
分からないから、離したい。
怖いから、先に囲いたい。
タクミは、机の上の封蝋を見る。
固定器。
器。
隔離対象。
朝から増えた言葉は、どれもシィルヴィアの名前ではなかった。
彼女が書状へ手を伸ばす。
その前に、タクミの口が動いた。
「シィルヴィアは、器じゃない」
全員の視線が向いた。
言ってから、少しだけ困る。
器ではないと証明できるわけではない。
地下で何が起きたのかも知らない。
クラウスが言う。
「料理人の感情で、災害の危険は消えません」
タクミは頷いた。
「僕も、危なくないとは言えません」
言葉を選ぶ。
「でも、まだ分からない人を先に物として扱ったら、確かめるものまで見えなくなります」
クラウスの眉がわずかに動いた。
「では、何だと?」
タクミは答えようとして、止まった。
皇帝。
氷血。
固定器。
器候補。
どれも間違いとは言い切れない。
けれど、どれも今ここにいる彼女全部ではない。
北門で雑炊を二杯食べた。
タクミの隣の席を気にする。
卵を割るのは、まだ少し危ない。
言葉にすると、余計なものばかり浮かんだ。
「本人です」
結局、それしか出なかった。
シィルヴィアの指が、書状の手前で止まる。
リディが一瞬だけ目を閉じた。
エスペルは笑わなかった。
セレスティアも、何も足さない。
クラウスだけがタクミを見ている。
「本人だから、調べないといけないんです」
タクミは続けた。
「本人だから、勝手に決めないでほしい」
沈黙が落ちる。
クラウスは机の書状を引かなかった。
「……危険がないという保証は」
「ありません」
シィルヴィアが答えた。
今度はタクミより先だった。
「私自身にも、何が起きているのか分からない」
白い右手を机の上へ置く。
「だから調べる」
クラウスがその手を見る。
「隔離にも応じる、と?」
「条件を聞く」
「陛下」
リディが低く呼ぶ。
「無条件ではない」
シィルヴィアは書状を取った。
「帝国の統治を止めない。勝手な拘束は受けない。調査結果は私にも開示する」
そこで一度、タクミを見る。
「それから」
少し間が空いた。
「私の生活まで、他人だけで決めさせない」
タクミは何も言わなかった。
言えば、また全員に見られそうだった。
クラウスはしばらく黙っていた。
やがて、七つの封蝋の上へ自分の書状を重ねる。
「ならば、本人の意思を含めた隔離条件を、今日中に示してください」
「こちらも条件を出す」
「承知しました」
交渉は終わらなかった。
始まったばかりだった。
机の端で、測定針の光だけが止まったままだった。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
今日の一皿はいかがでしたでしょうか。
少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価、感想で応援していただけると、とても励みになります。
また次の一皿で、お会いしましょう。




