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氷血の皇帝は俺の料理を手放せない ~追放された料理人ですが、幼い日に救った少女が皇帝になっていて離してくれません~   作者: ジモンヌ
第7章 氷血を救う料理人と、最後の約束

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第102話 固定する力

 銀の匙は、曲がったまま氷の中にあった。


 薄い膜のような氷ではない。


 匙の形に沿って、透明な塊がぴたりとまとわりついている。


 オルガが、もう一本の測定針を近づけた。


「触れます」


 誰にともなく告げる。


 針先が氷へ触れた。


 淡い光が一度だけ点滅する。


 それきり、止まった。


「……消えた?」


 ミアが身を乗り出す。


「いいえ」


 オルガは針を横から見る。


「術式は残っています。ただ、流れがありません」


「止めた?」


 セレスティアが小さく息をのんだ。


「温度は下がっています。でも、主作用は冷却ではありません」


 オルガは別の針を匙の外側へ置いた。


 こちらは細かな明滅を続けている。


 氷の中だけが、動かない。


「正確には、触れた時点の状態を保っているように見えます」


 机の上へ、一滴の水を落とす。


「水なら、冷えて氷になる。そこだけ見れば普通の氷結です」


 今度は、ごく弱い魔力を針から流した。


 光が氷へ入った瞬間、その位置で止まる。


「でも、魔力なら循環そのものが止まる」


 オルガの指が、匙の曲がった柄を示した。


「変形も戻らない。進みもしない」


 部屋が静かになった。


「身体なら――」


 そこで言葉が切れた。


 タクミがシィルヴィアの右手を見ていたからだ。


 食堂を出てから、指先の白さが消えていない。


 冷たい。


 けれど、震えてはいなかった。


「見せてください」


「問題ない」


「問題があるかを、今調べてるんです」


 シィルヴィアは手を引かなかった。


 差し出しもしない。


 タクミは待った。


 少しして、掌が上を向く。


 触れる。


 冷たさより先に、妙な硬さを感じた。


「……冷えてるだけじゃない」


「分かるのか」


「いつもの手と違います」


 言ってから、自分が何を基準にしているのか気づいた。


 北門で袖を掴まれた時。


 厨房で匙を受け取った時。


 何度も同じ卓へ手を伸ばしてきた時。


 冷たい日はあった。


 けれど、こんな感触ではなかった。


 今は、温度が変わることさえ止められているように感じる。


 タクミは親指で、掌の端をそっと押した。


「痛いですか」


「感じる」


「強く押してません」


「分かっている」


 返事はいつも通りだった。


 そのことに、少しだけ安心する。


「以前にもありましたか」


 オルガが聞いた。


 シィルヴィアは目を伏せる。


「幼い頃、崩れた壁の下で一晩生きたことがある」


「負傷は?」


「していたと聞いている」


「聞いている?」


「私は途中から、よく覚えていない」


 短く息を吐く。


「血が流れなかった。傷が悪化もしなかった、と」


 セレスティアが白い塔から持ち出した記録を開いた。


「先日の戦いでも、似た反応があります」


 紙を一枚抜く。


「祈りの鏡越しに見ていた時、黒い核の魔力が崩れかけて――その崩壊だけが途中で止まりました」


「陛下が触れた時だな」


 エスペルが言う。


 セレスティアが頷く。


「氷で包んだように見えました。でも、記録では魔力そのものの変化が止まっています」


 タクミは匙を見る。


 次に、握っている手を見る。


 病でもない。


 毒でもない。


 冷やしているだけでもない。


 崩れようとするものを、その瞬間のまま保つ。


「氷結では説明できません」


 オルガが測定針を置いた。


「陛下の固有能力は、おそらく《存在固定》」


 言葉が落ちる。


 シィルヴィアの指が、タクミの手の中でわずかに動いた。


「存在……」


「少なくとも、傷と魔力の変化を止めた」


 オルガは慎重に続ける。


「身体と魔力の結びつきにまで、及んでいるのかもしれません」


「魂や人格は……まだ分かりません」


 断定しない。


 それでも、軽い話ではなかった。


 シィルヴィアが手を引こうとする。


「離せ」


「まだ冷たいです」


「そういう話ではない」


「じゃあ、どういう話ですか」


「皆が見ている」


 言われて、タクミが顔を上げた。


 ミアが記録板で半分だけ顔を隠している。


 エスペルは咳払いをした。


 セレスティアは何も言わず、少し視線を外した。


 リディだけは真顔だった。


「検査中です」


「そういうことにしておきましょう」


「リディ」


「はい」


 タクミはようやく手を離した。


 掌に冷たさだけが残る。


 ほんの少し前まで笑っていた空気が、一度だけ戻った。


 けれど、オルガは笑わなかった。


 机の上に二枚の記録を並べる。


 一枚は、地下で拾った異常な術式反応。


 もう一枚は、白い塔から持ち出された古い器制度の資料だった。


「もう一つ、気になることがあります」


 指先が、地下の判定文をなぞる。


 ――固定器を回収。


「『固定器』という呼び方です」


 タクミはシィルヴィアを見る。


「器とは違うんですか」


「少なくとも、同じ言葉ではありません」


 オルガが答える。


「固定の力を持つ人間を、術式側が機能として分類した呼称なのでしょう」


 機能。


 人の名前ではない。


 シィルヴィアの表情は変わらなかった。


 それでも、右手だけが卓の下へ下がった。


 セレスティアが古い資料を一枚引き寄せる。


「白い塔に残る『器』の条件には、複数の項目があります」


「シィルヴィアは?」


 タクミが聞く。


 セレスティアはすぐには答えなかった。


 紙と、冷たい手と、氷の中の匙を順に見る。


「一部が、一致しています」


 部屋の空気が、さっきより冷えた。



最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。


今日の一皿はいかがでしたでしょうか。


少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価、感想で応援していただけると、とても励みになります。


また次の一皿で、お会いしましょう。

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