第14話
夕食を食べ終えたユイは、部屋に戻ると言うウィルと別れ、風呂に入ることにした。
竜は自分の排泄物で身体が汚れることはないため、身体を清潔に保つための湯浴みに類する習慣はなかったが、人化の術を使っている最中はそうもいかない。
昨日は魔物と戦ってたくさん動き回ったし、べたつく汗を洗い流したかった。
思い立ったら即行動のユイは、時をおかずしてタオルと石鹸を手に浴場へと向かう。
一階の受付カウンターを通りすぎ、突き当りの階段を下っていくと、通路の中ほどに二つの入口があるのが見えた。左側には女湯、右側には男湯と書かれたのれんが下げられている。
男湯からはわいわいと賑やかな話し声が聞こえるが、女湯の方は至って静かなものだ。
(もしかして、誰もいないのかも?)
女湯ののれんをくぐって中に入ると、生ぬるい湿った独特の空気がユイを包み込む。
入口から入ってすぐの左側には二段組の木製の棚があり、手荷物や着替えなどを入れられるようにいくつも籠が並んでいた。そのうちのひとつに脱いだ洋服をたたんで入れ、濡らさないように髪の毛をお団子状にまとめてから、ユイは浴場の中へと入っていく。
浴場内の壁や床は一面タイル張りになっており、ひんやりとして冷たい。奥へと視線を転じると、五、六人程度なら一度に入れるくらいの大きさの石造りの浴槽があり、三分の二ほどが湯で満たされていた。
あらかじめ予想していたことだったが、どうやらほかに利用客はいないらしく、女湯は実質ユイの貸し切り状態だ。
ハンナにレクチャーされたことを思い出しながら、壁面に据え付けられている魔道具を操作する。
「おぉっ! 本当にお湯が出た……」
頭上から降り注ぐあたたかな雫は、全身をしとどに濡らしていく。温度や湯量は申し分なく、ユイはその便利さに目を瞠った。
魔物たちから取れる魔石は、外部から魔力を注ぐことで様々な効果を発揮する。それをより効率的に、かつ微弱な魔力しか持たない者でも使用できるようにと開発されたものを、総じて魔道具と呼ぶのだ。
かつて魔道具は貴族をはじめとしたある程度の財力を持つ上流家庭にのみ普及していたものだが、現在では庶民の生活にまで浸透しており、人々にとってなくてはならないものとなりつつあった。
ユイが使っている湯を供給する魔道具も、そのうちのほんの一例に過ぎない。
(こういう使い道があるから、魔石は高値で冒険者ギルドに買い取ってもらえるってわけね)
魔石の販売に関しては冒険者ギルドが独占しており、そこから生み出される利益は計り知れない。若手冒険者の主な収入源になっているのも納得である。
なるほどと感心しながら、ユイは魔道具から生み出された湯でタオルを濡らし、ゴシゴシと石鹸をこすりつけて泡立てていく。
かすかに花の香りを思わせるいい匂いが、ユイの鼻腔をくすぐった。
手のひらからあふれんばかりの白い泡が出来上がると、今度は泡を纏わせたタオルで体を洗う。首から肩、腕、胴と上から順に、円を描くようにしてくるくる、くるくる。肌の上を滑るタオルの感触が小気味いい。
「ふんふふ~ん♪」
人目がないことも手伝って、気分よく調子っぱずれな鼻歌を奏で始めた頃。
全身を隅々まで磨き終えたユイは、もう一度魔道具を操作してお湯を出し、ぬるつきがなくなるまで丹念に泡を洗い流していった。
泡が流れ落ちていくのと一緒に、心身に溜まった疲労も洗い流されていくかのようだ。暑い夏などの水浴びは気持ちがいいが、それとはまた違った爽快さがある。
「ふう、さっぱりした」
続いてユイは浴槽にも浸かることにする。
右手を差し入れて、熱すぎず温すぎずちょうどいい温度であることを確認し、盛大にしぶきを上げながらざぶりと湯船に全身を沈めた。
どっぷりと顎先まで湯に浸かったユイの口からは、知らず色めいた吐息が零れる。
「はあ……。気持ちいい」
身体が温まるのに従って額からは汗が吹き出し、水気を吸った銀色の髪が幾筋も肌に張り付く。ユイはそれを指先で払いのけながら、浴槽の縁に頭を預け、うっとりと目を閉じた。
(こうやって今私がお風呂に入ってのんびりしてられるのも、ウィルのおかげなんだよね。正直なところ、なんでこんなによくしてくれるのかわからないんだけど……)
勢いでここまで来てしまったが、今自分がこの場所でこうしていることにあまり現実感がない。
竜の里からの旅立ち。親友との別れ。魔物との遭遇。初めての戦闘。ウィルとの出会い――思いつくままにひとつひとつ数えあげながら、ほんの数日でずいぶんたくさんのことがあったものだと、ユイは感慨深く思った。
いくつかのハプニングはあったものの、竜の里に逆戻りという最悪の事態に陥ることはどうにかまぬがれた。運に助けられた部分があることは否めないが、結果だけ見れば悪くない、どころかおおむね計画は順調に進んでいるといえるだろう。
(言葉だってちゃんと通じてたし、仕事も何とかなった。だから、明日からもきっと大丈夫)
自分自身に言い聞かせるかのように口の中で数度大丈夫と繰り返した後、ユイはパチンと手のひらで赤く染まった両頬を叩き、気合を入れた。
「さてとっ。そろそろ上がろうかな」
もう少しゆっくりしていたい気持ちもあったが、のぼせる前にユイは湯船から出ることにした。
身体を洗うのに使ったタオルで肌をぬぐい、元通りワンピースを着込むと、ウィルに倣ってユイも自室へと引き上げた。
部屋に入り扉に鍵をかけたユイは、お団子にしていた髪を背中に流し、ベッドへうつ伏せに倒れこんだ。柔らかな敷布団の感触に、思わず頬が緩む。
野宿することに不満はないが、雨風の心配がなく布団にくるまって眠れるのは幸せなことだ。
ひとしきりごろごろと転がって寝床の心地よさを堪能したユイだったが、一人になった安心感のためか、次第にとろりとした眠気がさしてきた。
肉体的な疲れはそれほどでもなかったが、慣れ親しんだ故郷を離れての生活は、ユイの精神に思った以上の負荷を強いていたようだ。今日は早く眠ったほうがいいだろう。
明日は冒険者として必要な装備類をそろえたら、ギルドに出向いて依頼を受けてみようとウィルと話してある。たくさん働いて、早くウィルに借金を返済しなくては。
(ううん、返さなきゃいけないのは何もお金だけじゃない。……いつか私は、もらったのと同じくらいのものを、ウィルに返すことができるのかな?)
眠気に支配された頭でとりとめのないことを考えていたユイだったが、それもそう長い時間のことではなく。
きれいに整えられた掛け布団とシーツの隙間に滑り込むと、徐々に思考がぼやけていき、ユイはそのまま夢も見ないほどの深い眠りの底へと落ちていった。
こうして、ユイのローゼリウム滞在一日目の夜は静かに更けていったのである。




