第12話
「はい、ありがとうね。ユイ、アンタこの宿の説明は必要かい? 後でウィルに聞くっていうなら、アタシはそれでも構わないけど」
「ええと……」
「俺は先に食堂に行って待ってるから、宿についての詳しい説明はハンナさんに聞いておくといい」
「あ、うん。わかった、そうする」
「説明が終わったら、ユイも部屋に荷物をおいて食堂に来いよ」
そう言い残すと、ウィルはさっさと階段をのぼって宿屋の二階へと姿を消した。
ウィルがいなくなってユイとハンナの二人きりになると、途端にその場に沈黙が落ちる。ハンナが自分のことを上から下までやけにじっくりと眺めているのが分かり、ユイは困惑気味に眉根を寄せた。
ハンナに悪気はないのだろうが、ユイにしてみれば居心地悪いことこの上なく、己の足元のあたりを見ながら指先で爪を擦るという無意味な動作を繰り返してしまう。
(なんだろ。も、もしかして、私に何かおかしなところでもあったとか?)
「あの……」
ユイが気詰まりな沈黙に耐えかねて声をかけると、ハンナははっと我に返った様子で、少々罰が悪そうにあらぬ方向へ視線を逸した。
「ああ、じろじろ見ちゃって悪かったね。珍しいこともあるもんだと思ってさ。ところでアンタ、さっきウィルが言ってたことは本当かい?」
ハンナが言う「さっき言ってたこと」とは、ウィルがユイのことを放っておけなくて拾ってきたというくだりのことだろう。
特段隠すことでもないと思ったユイは、首を縦に振ることで肯定の意を示した。
「お金は持ってないし、食べる物もないしで困ってたので、本当にウィルには感謝してます。おまけにローゼリウムの街まで連れてきてもらっちゃって……」
ユイがウィルと出会ってからの経緯をざっと話して聞かせると、ハンナは何度か小刻みにうなずきながら「なるほどねえ」とつぶやきを漏らした。
「ははあ……そんなことがあったのかい。今まで女っ気の全くなかったウィルが、よりにもよってアンタみたいな可愛い女の子を連れて来たもんだからびっくりしたけど、そりゃよっぽどアンタのことが気に入ったんだろうねえ」
思いがけない言葉に、ユイは大きな菫色の瞳をパチパチと数度瞬しばたかせた。
(ウィルが、私を、気に入ってる……? って、いやいやいや)
「そんなはずないですって!」
ユイが頓狂な声を上げると、ハンナはふふっと意味ありげに微笑んだ。
「おや、アタシの言うことが信じられないのかい? ウィルは気に食わない奴を自分のそば近くに置いとくような性格はしてないから、安心おしよ」
「でも私、ウィルには迷惑かけてばっかりなんですよ?」
(ウィルには借りたお金は絶対返す、なあんて言ったけど今の時点でそのあても全然ないし)
考えれば考えるほど、ウィルに気に入られるような要素が自分にあるとは思えない。
ユイがここに至るまでの自分の言動を省みて悄然としていると、ハンナは迷惑をかけたくらいがなんだと一笑に付した。
「人様に一切迷惑かけずに生きるなんて、そんなことは誰にもできやしないんだ。その程度で落ち込んでてどうするんだい。私だって今までたっくさん色んな人に迷惑かけてきたけど、なんとかこうして生きてる」
「ハンナさんも?」
「そうさ。逆に迷惑をかけられたことだってあるけど、それはお互い様だと私は思ってるよ。人間ってのはそうやって成長してくもんなんだよ。それに、女に迷惑かけられるのも、いい男の甲斐性ってもんさね。そもそも、アンタのことを面倒みてやるって言い出したのはウィルなんだろう? だったらアンタは笑って「ありがとう」って言っておけばいいんだよ」
「そういう、ものなんでしょうか」
「そういうもんなのさ。アタシが言うんだから間違いないよ」
ユイにはよくわからなかったが、ハンナの言葉には名状し難い不思議な説得力がある。
素直にユイが「わかりました」と答えると、ハンナはにっこりした。
「ウィルも言動は乱暴だけど、ああ見えて悪い奴じゃあないんだよ。アンタさえよかったら、これからもウィルと仲良くしてやっとくれ」
そう語るハンナの目には、ウィルに対する慈しみが溢れていて、ユイはそれを少しだけ羨ましく思った。
「ハンナさんって、なんだかウィルのお母さんみたいですね」
「そうかい? アタシに子供はいないけど、この宿にやって来る子達がみんなアタシの子供みたいなもんだと思ってるから、そんな風に見えたのかもしれないねえ。もちろんユイ、アンタのこともそう思ってるんだから、何かあったら遠慮なくアタシに言うんだよ!」
最後に付け加えられた言葉に、ユイの胸がじんわりとあたたかな気持ちで満たされていく。
「ありがとうございます。困ったことがあったら相談させてもらいますね」
「ああ、そうしとくれ。……っと、つまんない話で長く引き留めちまったね。宿の説明は手早くすませるから許しておくれ」
ひとしきりユイと話したことで満足したのか、ハンナのその一言をきっかけに、話題は宿の料金と利用方法の説明へ転じた。
「まず、この宿は風呂付きで、一泊の料金は鉄貨三十五枚だ。朝夕の食事は別料金で、一食あたり鉄貨五枚、食堂での都度精算になってるよ。食事が必要な場合はできるだけ早めに教えておくれ」
ユイにはほかの宿屋に宿泊した経験がないため、宿屋の標準的な料金の相場はわからなかったが、一泊朝夕の食事をつけても鉄貨四十五枚というのは良心的な値段設定なのではないだろうか。
(でも、待って。ひと月は三十日だから、鉄貨四十五枚×三十日って計算すると……最低限生活していくためには、私はこれからひと月あたり金貨一枚強を稼がなきゃいけないってわけね。そう考えると、やっぱり相当な出費だわ)
ユイが頭の中でそろばんを弾いていると、まるでその考えを読んだかのように、まとめて一週間分の部屋代を先払いした場合には料金がいくらかディスカウントになるとハンナが言った。
「一週間分を先に払ってもらえるなら、料金は鉄貨だと三百枚、銅貨なら三十枚になるよ」
(本来なら鉄貨三百十五枚だから……ということは、鉄貨十五枚分お得になるのね)
塵も積もれば山となる。
そんな言葉があるが、一週間あたり鉄貨十五枚を節約できるのは大きい。
「念の為に聞いておきたいんですけど、一週間分の料金をまとめて前払いして、期日前に宿屋を引き払うことになった場合はどうなるんですか」
「その場合は通常料金を日割りで計算して、残った分を返すってことになるね。ただし、途中解約する場合は、チェックアウトしたい日の前日までに申し出るようにしてほしいんだよ。そうでないと、宿泊しなくてもキャンセル料として一日分余計に部屋代を支払ってもらうことになるからね」
「わかりました」
「あと、この受付カウンターの前を通り過ぎて、突き当りにある階段を降りていくと、地下が大浴場になってるんだ。自由に使ってくれてかまわないけど、大浴場が使えるのは夜間だけだよ。男湯と女湯に分かれてるから、間違えないように」
その浴場には魔道具が設置されており、いつでもお湯が出るようになっていると言う。浴場で使う石鹸とタオルをハンナから受け取りながら、魔道具の使い方の簡単なレクチャーもしてもらった。
ハンナから渡されたいびつな形の石鹸はそれほど大きなものではなく、聞けばサービスで利用客に宿泊初日に配布しているものらしい。使い切ってしまったら別料金で販売もしているとのことで、なんともはや商売上手なことである。
「説明はこんなとこかねえ。他に何か聞きたいことはあるかい?」
「いいえ、大丈夫だと思います」
「そうかい。わからないことがあれば、アタシに声をかけておくれ。受付カウンターにいないときは、さっきみたいに呼び鈴を鳴らしてくれればいいからね。話はこれでおしまいだから、早く食堂に行っておやり。ウィルがお腹を空かせて待ってるだろうからね」
「はい、失礼します」
ハンナにぺこりとお辞儀をしてその場を辞すると、自分の部屋のベッドめがけて荷物を放り投げ、鍵を締める間ももどかしく思いながらユイは急ぎ足で食堂へと向かった。




