第27話 傀儡
昭和二十八年(一九五三年)十月 東京・麻布 岸本の屋敷
高い塀に囲まれた屋敷の奥座敷に、六人の男が集まっていた。
屋敷の主は、岸本だった。巣鴨を出て五年、追放の身を解かれ、ふたたび政界に返り咲こうとしている男である。床の間の前に、細面の顔を、静かに据えている。
その右に、大河原。葉巻をくわえ、脚を崩して座っている。左に、松木。きちんと膝を揃え、手元の書類に目を落としている。大河原の隣には、佐々川。帽子を膝に置き、口元に薄い笑みを浮かべている。去年、国が始めた競艇の胴元として、全国の庶民の小銭を、一手に吸いあげはじめた男だった。下座には、神戸から上ってきた岡田が、上品な着物姿で控えていた。
そして、岸本の正面に、一人だけ椅子を用意されて、金髪の痩せたアメリカ人が座っていた。
大使館の、文化担当の書記官だと名乗っていた。占領の頃は、GHQの情報部にいたという噂の男だった。
「八月の開局以来、受像機の売れ行きは、芳しくありません」
松木が、書類をめくりながら口を開いた。
「一台が、大卒の初任給の何十倍もする。庶民には、とても手が出ない」
「それで?」
岸本が、静かに促した。
「街角に、置きます」
松木は、穏やかに微笑んだ。
「新橋、新宿、渋谷、上野。人の集まる駅前や広場に、受像機を据えつける。ただで、誰でも見られるようにする。最初は、東京だけで五十台ほど」
「ただで見せて、どうやって儲けるんだい」
佐々川が、からかうように訊いた。
「広告です。群衆が多ければ多いほど、広告主は金を払う。受像機を作っている三友電機が、すでに筆頭の広告主に名乗りを上げています。街角で見た群衆が、いずれ自分の家にも受像機が欲しくなる。三友にとっては、これ以上の売りこみはない」
松木は、書類の一枚を、岸本の前に滑らせた。
「そして、群衆を集めるには、何より強い見世物が要る。力王山の試合です」
アメリカ人が、流暢な日本語で口を挟んだ。
「よい考えです」
男は、細い指を組んだ。
「日本人は、まだ怒っています。戦争に負けたこと。焼け野原にされたこと。占領されたこと。その怒りは、どこかへ流さなければならない。さもないと、怒りは、別のところへ向かう」
男は、言葉を区切った。
「たとえば、共産主義者のところへ」
座敷が、しんと静まり返った。
「ですから、リングの上で、アメリカの大男を、日本人に叩きのめさせればいい。毎週、何度でも。日本人は、それを見て溜飲を下げる。そして、本物のアメリカとは、仲良くしてくれる」
男は、にこやかに笑った。
「悪役は、我が国から、いくらでも送りますよ。彼らは、負けるのが仕事ですから」
岸本が、ゆっくりと頷いた。
「ほどほどの飯と、ほどほどの娯楽か」
「ええ。それと、ほどほどの英雄です」
「金の話を、しようじゃないか」
佐々川が、帽子を指先で回しながら言った。
「興行の上がり、テレビの広告料、それに、裏で張らせる賭けの上がり。これだけの見世物だ。勝ち負けが最初からわかってるなら、胴元にとっちゃ、これほどうまい話はない」
「賭けは、表に出んようにしてや」
下座から、岡田が口を挟んだ。
「客が八百長やと嗅ぎつけたら、銭は一銭も落ちんようになる。見世物は、本物やと信じてもらわな、あかん」
「心配いらねえよ、神戸の」
佐々川は、くつくつと笑った。
「信じさせるのは、松木さんのテレビの仕事だ」
岡田は、それ以上は何も言わなかった。ただ、金髪のアメリカ人の横顔を、細い目でちらりと見ただけだった。
「それで、肝心の役者のことだが」
岸本が、大河原に目を向けた。
「信用できるのか。あの男は」
大河原は、葉巻の灰を灰皿に落とした。
「信用なんざ、しちゃいねえよ」
座敷の空気が、わずかに張りつめた。
「あいつは、朝鮮の出だ。書類の上じゃ長崎の対馬光夫だが、本名は崔信格。北の、咸鏡道の生まれだ」
アメリカ人の眉が、かすかに動いた。
「上野に、朝鮮の女を囲ってる。部屋は、こっちで用意したもんだ。その女とのあいだに、娘が一人いる。いまは、北の村にいる」
「北に、だと」
岸本の声が、低くなった。
「その女を通して、北に金を送ろうとしてる。届いてるかどうかは、知らんがな。いまのところは、小銭だ」
「赤の国に、金を流そうとしているということですか」
アメリカ人が、穏やかな口調のまま訊いた。けれど、その目は笑っていなかった。
「英雄が」
「慌てなさんな」
大河原は、葉巻をくわえ直した。
「いまは、泳がせておく。あいつの生まれも、女も、北の娘も、送ろうとしてる金も、全部こっちは握ってる。あいつがいい子にしてるあいだは、知らん顔をしてやればいい」
大河原は、紫煙を、ゆっくりと吐き出した。
「だが、言うことを聞かなくなったら」
「首輪を、締める」
岸本が、静かに言葉を継いだ。
大河原は、にやりと笑った。
「そういうことだ」
最後に、松木が書類を閉じた。
「来年の二月、シャーク兄弟を呼びます。アメリカで名の通った、兄弟のタッグ屋です。蔵前の国技館で、三日間。初日は、力王山の勝ち。二日目は、流血の引き分け。三日目は」
松木は、ちらりとアメリカ人を見た。
「時間切れの、引き分けです。完全に勝たせてしまうと、次の興行が組めませんから」
「力王山の相棒は」
「柔道の、政木です」
松木は、穏やかに言った。
「元関脇の英雄と、柔道の王者が手を組んで、アメリカの鮫を迎え撃つ。これ以上の見出しは、ありません」
大河原が、くつくつと笑った。
「政木と力王山か。どっちも、自分が一番強いと思ってる男だ。いずれ、どっちが上か、決めたくなる日が来るだろうよ」
「そのときは」
松木は、眼鏡の位置を指で直した。
「そのときの台本を、また書けばいい」
夜更けに、アメリカ人が、先に屋敷を辞した。
黒塗りの車が門を出ていくのを見送ってから、岡田が、ぽつりと呟いた。
「……あの毛唐、わしらのことも、リングの上の役者ぐらいにしか思うとらんで」
誰も、何も答えなかった。
大河原は、黙って葉巻をくゆらせていた。岸本は、床の間の掛け軸を見上げていた。松木は、もう次の書類に目を落としていた。
佐々川だけが、帽子を指先で回しながら、くつくつと笑っていた。




