第二章 偽りの大和魂 第18話 特需
第二章「偽りの大和魂」、開幕です。
髷を切り、土俵を捨てた崔信格。いえ、本人に言わせれば「相撲を捨てた」男、力王山。
彼を待っていたのは、海の向こうの朝鮮戦争の特需と、アメリカという見世物の国でした。受身を覚え、手刀を磨き、嘘の売り方を学び、彼は「作り物の英雄」として、敗戦の日本へ帰ってきます。
日本では朝鮮人と蔑まれ、アメリカではジャップと罵られた男。その男が、白い歯を見せて、日本人の誇りを取り戻すと叫ぶ。
第二章では、力王山という仮面がどのように作られ、誰の手で日本じゅうに売られていったのかを描いていきます。そして、その仮面の下で、男がどれほど「最低」になっていくのかも。
どうか最後まで、見届けてください。
昭和二十五年(一九五〇年)十一月 神奈川・横須賀
鉄骨を打つ音が、朝から晩まで、止むことはなかった。
米軍基地の拡張工事の現場だった。海の向こうで始まった戦争のために、港には毎日のように輸送船が出入りし、倉庫が、兵舎が、滑走路が、突貫工事で次々と建てられていく。大河原の舎弟が営む東和建設が、その仕事を一手に請け負っていた。
信格は、その現場で、監督という肩書きをもらっていた。
実際の仕事は、人夫たちを怒鳴りつけ、怠ける者を殴ることだった。
「おい、そこの。手が止まってるぞ」
鉄骨の陰で一服していた人夫の襟首を掴み、片手で吊りあげる。人夫の足が、宙でばたついた。
「すんません、監督……昨夜から、何も食ってなくて……」
「知るか」
信格は、人夫を砂利の上に放り投げた。
人夫たちの半分は、朝鮮人だった。仕事にあぶれ、日銭を求めて集まってきた男たちだった。彼らは信格の顔を見ると、目を伏せて、黙々と働いた。元関脇の力王山が、同じ朝鮮の出だということを、誰も知らなかった。知らせるつもりも、なかった。
昼の休みになると、飯場の片隅のラジオから、雑音まじりのニュースが流れてきた。
「……国連軍は、北朝鮮の咸興を占領。さらに北へ進撃を……」
信格の箸が、止まった。
咸興。故郷の村から、山を一つ越えたところにある町だった。
「……中共軍の大規模な介入により、国連軍は後退を余儀なく……」
ラジオの声は、淡々と続いていた。
飯場の朝鮮人の人夫たちが、黙って、ラジオの周りに集まってきた。誰も、口をきかなかった。ただ、拳を握りしめて、雑音の向こうの戦況に耳を澄ませていた。
その中の一人が、ぽつりと、朝鮮の言葉で呟いた。
〈俺の村は、もう、燃えちまったかもしれねえ〉
信格は、立ちあがった。
「おい。休みは、終わりだ。仕事に戻れ」
朝鮮人たちが、一斉に信格を見上げた。信格は、その視線を真正面から見返した。
「聞こえねえのか。お前らの国がどうなろうと、ここは日本だ。手を動かせ」
人夫たちは、のろのろと立ちあがり、現場へ戻っていった。
信格は、ラジオのつまみを乱暴にひねって、音を消した。
同じ年の十二月 東京・上野 秀貞の部屋
秀貞の部屋の扉を開けると、灯りもつけない真っ暗な中に、秀貞がうずくまっていた。
〈……シンラック〉
秀貞が、顔を上げた。泣き腫らした目だった。
〈村の人たちが、港へ逃げてるって。アメリカの船で、南へ。ラジオで、言ってた〉
信格は、戸口に立ったまま、何も言わなかった。
〈オモニも、あの子も、船に乗れたかどうか、わからない。手紙も、もう届かない。どこにいるのか、生きてるのかも〉
秀貞は、信格の腕にすがりついた。
〈どうしよう。シンラック、どうしよう〉
信格は、長いあいだ、黙って立っていた。
それから、懐から封筒を取り出し、秀貞の膝の上に置いた。今月の、給金だった。
現場の監督の給金は、人夫の何十倍もあった。アメリカの戦争のための基地を建てる仕事は、いくらでも金になった。故郷の村を焼いている戦争の、その金だった。
〈……向こうに、届ける手立てを探せ。いくらかかってもいい〉
秀貞は、封筒を握りしめたまま、信格を見上げた。
〈このお金、どこから〉
信格は、答えなかった。
窓の外では、年の瀬の上野の闇市が、戦争景気に沸き立つ人々の声で、いつになく賑わっていた。




