第15話 台本
昭和二十四年(一九四九年)夏 東京・銀座
焼け跡から真っ先に建て直されたビルの最上階に、その部屋はあった。
分厚い絨毯に、舶来の革張りの椅子。窓の外には、まだ瓦礫の残る銀座の街並みが広がっている。半年前まで巣鴨の独房にいた男の部屋とは、とても思えなかった。
協会の幹部三人が、大河原の前で、膝を揃えて小さくなっていた。
「……そういうわけでして」
年嵩の幹部が、額の汗を拭いながら言った。
「稽古場で、兄弟子を三人も潰しました。親方は見て見ぬふりで、もう誰にも手がつけられません。このまま放っておけば、いずれ大関だ、横綱だと、世間が騒ぎだします」
「強いのか、そいつは」
大河原が、葉巻に火をつけながら訊いた。
「強いです。桜富士に土をつけたのも、あれ一人です」
「朝鮮の出だったな」
「……はい」
大河原は、紫煙を、ゆっくりと吐き出した。しばらく、誰も口を開かなかった。
やがて、年嵩の幹部が、懐から袱紗の包みを取り出し、震える手で机の上に滑らせた。
「先生。なんとか、ならんでしょうか」
大河原は、袱紗にちらりと目をやった。細く骨ばった指先で、その厚みを確かめるように軽く叩き、それから、薄く笑った。
「わかった、わかった」
大河原は、袱紗を、無造作に机の引き出しへ放りこんだ。
「ほかならぬ、国技のためだ」
幹部たちは、絨毯に額をこすりつけんばかりに頭を下げた。
幹部たちが帰っていったあとで、大河原は、机の上の電話の受話器を取った。
「松木さんか。俺だ。面白い話がある」
数日後 東京・赤坂 料亭の奥座敷
赤坂の料亭の奥座敷で、大河原は、一人の男と向きあっていた。
松木だった。新聞社を一代で築きあげ、いまは、この国で初めての民間のテレビ局を立ちあげようとしている、メディアの王である。
「力王山、ですか」
松木は、盃を傾けながら言った。
「名前は、知っていますよ。うっちゃりで桜富士を破った関脇でしょう。うちの新聞でも、いい写真が撮れた」
「協会は、あいつを持てあましている。朝鮮の出で、手のつけられねえ暴れ者だ。角界からは、追い出すしかねえ」
「追い出して、どうするんです」
大河原は、にやりと笑った。
「あんたのテレビに、使えねえかと思ってな」
松木の盃が、ぴたりと止まった。
「アメリカさんは、日本人に二度と牙を剥かせたくねえ。だから、ほどほどの飯と、ほどほどの娯楽を配れと言っている。その娯楽の目玉に、何を据える」
大河原は、身を乗り出した。
「でけえ日本人の男が、アメリカの大男どもを、素手でばったばったと薙ぎ倒す。そいつを、あんたのテレビで、国じゅうに流す。負けた国の連中は、溜飲を下げて大喜びだ。そうしておけば、本物のアメリカには、牙を剥かずに済む」
「……プロレス、ですか」
「アメリカじゃ、あれは全部、筋書きのある見世物だそうだ。勝ち負けは、最初から決まってる」
松木は、しばらく黙っていた。それから、ゆっくりと口元を緩めた。
「その日本人の英雄が、実は朝鮮人だということは」
「誰も知らねえ。知らせなきゃいい。長崎の対馬光夫だ。書類は、とっくに揃ってる」
大河原は、盃を一気に呷った。
「生まれを隠して生きてきた男だ。隠すのには、慣れてる。首輪をつけるのも、簡単だろうよ」
松木が、静かに笑った。
「台本を書くのは、私たちというわけですね」
「そうだ。向こうの言葉じゃ、ブックと言うらしい」
二人の盃が、軽く触れあった。
料亭の庭で、鹿威しが、乾いた音を立てた。




