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君だけが、俺を見ていた。  作者: けい


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第三話【関係ない話】

入れ替わり立ち代わりで目まぐるしかった店内は、ようやく少しずつ静けさを取り戻していった。


さっきまでひっきりなしに鳴っていた注文の声も、食器のぶつかる音も、今ではすっかり少なくなっている。

時計を見れば、もう日付が変わりそうな時間だった。


……長かった。

マジで長かった。


今日は本来、普通に大学へ行って、そのままバイトをして帰るだけの予定だった。

それが急に店長からヘルプを頼まれ、気付けばいつものシフトに加えて、もう二時間も余計に働いている。


やっと空きの時間ができると、俺はすぐに店長を捕まえた。

文句の一つや二つ聞いてもらわないと、気が済まない。

ちょうど厨房の方へ向かおうとしていた店長の後ろ姿を見つけ、俺はすぐに声を上げた。


「店長ー!!」

「お、樹!いやー、わるk__」

「なーんでこんな忙しいんすか!?普段こんな人来ない、弱小店なのに!!」

「おああ!? 言っちゃいけねぇこと言ったな、お前!?」


お互い、急に忙しくなったことへの苛立ちが溜まっていたのか。

まだ客がいることも忘れて、声を荒げてしまう。


……傍から見れば、ただの子供の喧嘩だ。


実際、俺自身も途中から何でこんなにムキになっているのか分からなくなっていた。

ただ、疲れている。

それだけは間違いない。


「弱小店って言うな!!一応お前のバイト先だぞ!?」

「だから言ってんすよ!」

「何がだからなんだよ!」

「しかも俺、今日もう一回バイトしてるんすけど?」

「ごめんって~!」

「割増し、忘れないでくださいね?」

「それもしっかり覚えてんのな……」


呆れたように顔を伏せた店長を前に、俺は腕を組んで、これ見よがしに大きな溜息をついた。


……まるで、立場が逆だ。


こうして並んでいると、どっちが店長なのか分からなくなる。

まぁ、うちの店なんていつもこんなもんだ。

店長も俺も、良くも悪くも適当。

だからこそ、長くここで働いていられるのかもしれない。


店長と俺のやり合いが落ち着いた頃。

店内に、ゲラゲラと大きな笑い声が響いた。

その声にハッとし、視線を向ける。

残っていた客の中にいた常連のおっさんが、大口を開けて腹を抱えながら笑っていた。


「なははッ!流石、樹くん!長く働いてるだけあるわ!!」


何が『流石』なのかは、よく分からない。

まるでさっきまでの俺たちのやり取りが、酒のつまみにでもなったかのように、

常連のおっさんはジョッキの酒を飲み干し、空になったそれを俺に差し出した。


……おかわりってことかよ。


空のジョッキを片付けるために近づきながら、俺は常連のおっさんに声を掛ける。


「おかわりね……ってか、笑い事じゃないよ、おっさん!」

「いや、十分酒のつまみの笑い事だわ!」

「こっちは本気でキレてんのにー!ひでぇーー!」

「そもそも仕事中に喧嘩すんなー」

「今回は店長が悪いから、俺のせいじゃねぇよーだ」

「お前、客の前で堂々と店長の悪口言うなよ」


後ろから飛んできた店長の声に、俺は振り返りもせずに鼻で笑った。


「事実だから仕方ないっすね」

「お前なぁ!?」


そんなやり取りが、また常連のツボを刺激したらしい。

再びゲラゲラと笑い出す。

…店長が困った顔をしている。

いい気味だ。


「ホントに今回は店長がわりぃから」

「はいはい、樹くんは悪くない、悪くない」

「絶対思ってねぇだろ」

「思ってる、思ってる」


適当な返事をするおっさんから、俺は空になったジョッキを受け取る。

店内には、さっきまでの騒がしさが嘘みたいな静けさが戻っていた。

こうして見ると、本当に普通の居酒屋だ。

長くここで働いているせいか、見慣れた景色。


カウンター。

テーブル。

壁に貼られたメニュー。

少し古くなった時計。

何度も拭いているはずなのに、微妙に落ちきらない汚れ。

その中に、いつもの常連のおっさんがいる。


……そういや。


「おっさん」

「ん?」

「悠真、最近どうしてんの?」


悠真の親父さんに、何気なく聞いた。

本当に、何気なく。

ただ、今日コンビニで見かけたから。

それだけだ。

少なくとも、その時の俺はそう思っていた。


一瞬。

ほんの一瞬だけ、おっさんの手が止まった。


「……悠真?」

「今日、コンビニで見かけたんだよ」

「……あぁ、そうか……」


それだけだった。

いつもなら、このままいつ終わるか分からない自慢話が始まる。

正直、俺からすれば半分くらい聞き流している話だ。

それでも、おっさんは嬉しそうに話す。

子供の、悠真のことを話す時だけは、少しだけ声が大きくなる。

だから今日も、いつものように始まると思っていた。

なのに。

今日のおっさんは違った。


「まぁ、高校二年生だしな、色々あんだろ

ほら、早く新しいの持ってこいよ」

「……ああ、はいはい」


なんだ、それ。

妙に引っかかった。

いつものおっさんなら、もっと聞いてくる。


『どこで見たんだ?』


『元気そうだったか?』


そういうことを聞いてきそうなのに。

今日は、それだけ。

悠真の名前を出した途端、急に興味を失くしたみたいだった。


俺は何となく気になりながら、新しい酒を注ぐ。

ジョッキの中で、泡がゆっくりと膨らんでいく。

その光景を眺めながら、さっきのことを思い出した。


コンビニで見かけた悠真。

いつものように、本を読んでいた。

声を掛けたら、少し驚いた顔をして。

俺を見るなり、ほんの少しだけ嬉しそうに笑っていた。


……あいつ、あんな顔するんだな。


普段は大人しくて、何を考えているのか分かりにくいくせに。

俺と話している時だけ、たまにああいう顔をする。

そんなことを考えている自分に気付いて、俺は小さく眉をひそめた。


「……何考えてんだ、俺」

「樹くーん、まだー?」

「今持ってくっつーの!」


おっさんの声に我に返る。

完成した酒を持っていく。


「はい、お待ち」

「お、サンキュー」


数時間前の悠真が『家より、ここの方が静かだから』と言っていた言葉が、ふと頭の中に蘇った。

てっきり家族がうるさいだけなのかと思っていた。

親と喧嘩したとか。

姉弟がうるさいとか。

そういう、よくある家庭の話だと思っていた。

でも。

さっきのおっさんの反応を思い出す。

悠真の話をした瞬間だけ、明らかに空気が変わった。


「…まぁ、別に俺には関係ねぇ話か」


小さく呟いて、それ以上は考えないことにした。



**


「ホント今日はありがとな」

「いいっすよ、割増しもらえたんで」

「現金な奴……」

「まぁ、またなんかあったら言ってくださいよ。予定なきゃ来るんで」

「文句言いながら……?」

「もちのろんで」


二時間のヘルプを終えて、そんな会話をしながら俺は店を後にした。

店の扉を開けた瞬間。

冷たい空気が一気に頬を撫でる。


「……さみぃ」


思わず肩をすくめた。

現在時刻は二十四時を過ぎている。


ついさっきまで店内を走り回っていたせいか、外の寒さが余計に身に染みた。

吐いた息が白くなり、ポケットに手を突っ込む。


バイト終わりは、いつもコンビニに寄っていく。

酒を買ったり、煙草を買ったり。

時には何となく甘いものを買ったり。

ほとんど習慣みたいなものだ。


でも今日は。

もう、寄り道する理由なんてない。

だから、そのまま家へ向かう。


……なのに。

歩き始めて数分。

気付けば、いつものコンビニがある方向を見ていた。


「……」


足が止まりかける。

何を確認してんだ、俺は。

自分でもよく分からないまま、俺は家へ帰った。



家に帰ってきて、飲もうと思って買っていた常温になった酒を冷蔵庫にしまう。

適当にシャワーで済ませ、濡れた髪をタオルで乱暴に拭きながら、ベッドに倒れ込む。


「……つっかれた」


全身から力が抜ける。


天井を眺めながら、スマホを取り出す。

特に連絡が来ているわけではない。

通知もほとんどない。

いつものように適当にSNSを眺めては、すぐに飽きて閉じる。

何となく動画を開いて。

数秒で閉じる。

またSNSを開いて。

やっぱり見るものがなくて閉じる。


「……暇だな」


そう呟いて、スマホ画面に表示された時間は、一時を少し過ぎていた。

もう寝るか。

そう思った時。


……今頃、あいつは何してんだろ。


そこまで考えて。


「……は?」


自分で自分の考えに、思わず声が出た。

何で今、悠真のこと考えた?

いや、何であいつが今何してるかなんて気にした?

明日っていうか、もう今日か。

今日も学校だろ。

普通に寝てるに決まってる。

それなのに。

どうして俺は、あいつのことなんて考えたんだ。

余計な考えを振り払うように、頭を軽く振る。


スマホを枕元に放り投げ、電気を消す。

暗くなった部屋の中で、布団を被って、目を閉じて寝ようとする。

目を閉じると、何故か。

頭の中に浮かんだのは、笑った悠真の顔だった。


「……マジ意味わかんねぇ」


誰に言うでもなく呟く。

布団の中で寝返りを打ち、反対を向いた。

それでも、頭から離れない。

……なんでだよ。

そう思いながら、俺は開けていた目をもう一度閉じる。


明日は大学行って…講義出て…夕方からはまたバイト入ってて……。

あ、明日飲み入ってたか…?


いつもと変わらない一日。

そうやって明日の予定を頭に浮かべながら、

俺は、そのまま気が付けば眠りについていた。

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