第二話【一服の時間だけ】
煙草の煙なのか、外気に触れて白くなった息なのか。
もう、よく分からない。
でも俺は肺に溜まったものを、ゆっくりと吐き出した。
目の前を漂う白さを眺めながら、ポケットに乱雑に入れた肉まんとあんまんを思い出す。
さっきまで、カイロかと思うほど熱かったが
外に出てから少し時間が経ったせいか、今ならちょうど食べやすそうな温度になっている。
「…悠真、腹減ってるか?」
「え、えーっと…ちょっとだけ?」
「じゃあ、肉まんとあんまん半分ずつやるよ」
「…いいの?」
「良くなきゃ言わねぇよ」
食べやすい温度になったとはいえ、やっぱりまだ熱い。
半分に割ると、中から湯気がふわりと立ち上った。
ぐぅ……。
その湯気を見ていたら、忘れかけていた空腹感が一気に戻ってくる。
俺の腹の虫が聞こえたのか、悠真はクスクスと笑い出す。
「おい、笑うな」
「フッ…だ、だって…俺に腹減ったか、って聞いといて、青……樹の方がお腹空いてるじゃん…」
「うるせぇー!腹減ってたから、二個も買ったんだよ!悪いか!!」
「別に、悪いなんて言ってないよ、ちょっと…フフッ、面白かっただけで…」
「だ、か、ら…笑うな!!」
「ご、ごめん…」
そんなことを言いながらも、悠真の口元はわずかに緩んでいる。
俺はわざとらしくため息をついて、悠真に肉まんとあんまんを半分ずつ渡し、残った肉まんを俺は先に頬張った。
喉を通った肉まんの熱が、空っぽだった腹の中にじんわりと広がっていく。
冷え切っていた体まで、少しだけ温まった気がした。
そんな感覚に俺は目を細め、頬も緩ませて噛み締める。
「フフッ…」
「…うるせぇぞ」
「まだ何も言ってないよ」
「顔が言ってる」
「なにそれ」
悠真はそう言って、また小さく笑った。
そんな顔を俺は、まじまじと見つめる。
いつも本を読んで、俺が話しかけても怪訝そうな顔をする悠真。
笑っているより、黙っている方が似合う奴だ。
そう思っていた。
なのに、今は。
緩んだ悠真の表情から、何故か目を離せなかった。
「…なに」
「いや~?」
「また見てる…」
「…悠真の笑い方、いいな、と」
「……は?」
一瞬で、悠真の表情が固まる。
目も見開いて、肩に掛けていた鞄はずるっと落ち、さっき渡した肉まんとあんまんも落としそうになっていた。
そんな悠真の姿を見ては、ハッと自分でも何を急に言っているんだと思った。
「いや、別に変な意味じゃねぇぞ」
「十分変なこと言ってるよ…」
眉を下げながら、悠真が一歩だけ後ろへ下がる。
…そんなに嫌かよ。
でもなんで、そう思ったのか俺にもわからない。
気が付けば口から出ていた。
なんて思いながら肉まんを頬張る。
そして、あんまんもさっさと腹の中に押し込む。
空腹はそれなりに満たされた。
…とはいえ、まだ腹には余裕がある。
物足りなさを誤魔化すかのように、俺は再び煙草を取り出した。
火をつけ、ゆっくり煙を吸い込み、ちらりと隣を見る。
悠真はまだ、ちまちまと食べていた。
「お前、食うの遅ぇな」
「…普通だと思うけど」
「俺はもう食い終わったぞ」
「…樹が早いんだよ」
「そおか~?」
なんて話していれば、ブーブーと俺のスマホが揺れる。
こんな時間に電話とか誰だよ…。
面倒に思いながらズボンから取り出して、画面を見れば『店長』と表示されていた。
この時間に店長から、嫌な予感しかしない…。
出たくない気持ちを押し殺しながら、口元に人差し指を当てて悠真に静かにしてろよと釘を刺し、応対ボタンを押す。
「はい、樹です」
『あー樹?今何してた感じだ?」
なんて言う店長は、大体頼みごとをしたい時だ。
マジで出なければよかった…。
心の中でそう思いながら、店長にはバレないように小さく溜息を零す。
「コンビニで一服中っす」
『相変わらずいつも通りだなお前は…』
それはこっちのセリフだ。
困ったら近くで気軽に来れる俺に電話してくるんだよな…。
「んで?雑談はいいんで、何の用っすかね?」
『あぁ、そうそう夜勤の奴が店来なくてよ~…2時間だけ出れねぇ?』
「…俺さっき上がったばっかっすけど~?」
『ホントわりぃ!!割増しで出すから!なぁ!?』
今度は店長にも聞こえるように、わざとらしく溜息をする。
こんな必死に頼み込まれて、割増しまでも出すと言われたら断りずらい。
ヘルプで二時間出て、いつもより出してくれるなら、こっちとしては得だ。
まぁ、急な電話で夜勤二時間は迷惑なことに変わりはないが…。
「はぁ…しょうがないっすね…いいですよ」
『さっすが、樹!!ありがとう!!
じゃあ、適当に来てくれゆっくりでいいぞ』
「うーっす…じゃあまた後で」
『ありがとな、よろしく!』
電話を切り、静かに待っていてくれた悠真に視線をやる。
溜息を零す俺を、不思議そうに眺める。
電話が来る前に吸っていた煙草は、もうほとんど吸い終わっていた。
長く伸びた灰が、ぽとりと足元に落ちる。
あぁ、もったいねぇ…。
「こんな時間に電話って…何かあったの?」
「あぁ…店長からだよ、ヘルプで二時間出てくれってさ…はぁ……」
「え、バイト終わってここ来たんだよね?」
「そうだよ!あぁー電話出なきゃよかった…ッ!!」
イライラしながら、夜だというのに少し声を荒げ、頭を乱雑に掻く。
吸い終わった煙草を灰皿に強めに押し付ける。
悠真は眉を下げて、まるで『大変だね』とでも言いたげに俺を見ていた。
「はぁ…急に呼び出される身にもなって欲しいわ…」
「はは…お疲れ様」
「…もう一本煙草吸ってから行くかな……」
「早く行ってあげなよ」
なんて冗談をいいながら、時計を確認する。
ゆっくりでもいいとは言われたが、そろそろ行かないとな。
「じゃあ、行ってくるわ…めんどいけど」
「…うん、気を付けてね」
「おう、もうそろそろ二十二時になるし、お前も補導されないようにさっさと帰れよ~」
なんて本当はどうでもいいと思っていることを、悠真に忠告し背中を向けて、手を振りコンビニの明るい場所から夜の闇に向かう。
「い、樹!」
「ん?」
たった数十歩。
歩いた先で、すぐに呼び止められる。
なにかと思って振り返れば、悠真は口を噤んで、言い淀む。
数秒の沈黙…。
顔を俯かせていた悠真は、やがて顔を上げ、へらっと笑った。
「…に、肉まんとあんまん…ありがと」
それだけ言うと、悠真は俺とは逆方向へ、夜の中に消えていった。
「…それだけかよ」
くだらねぇ。
なんて思いながら、これからまた始まるバイトの事を考え、憂鬱な気持ちを押し殺しながら、俺は歩いた。
さっきまでいたコンビニから漏れる光すら、やけに明るく見える。
そんな夜の道を。
**
「ゆっくりでいいとは言ったけど、おっせぇよ、樹~!」
店に着くなり、早々に店長は声を上げた。
遅いって…二十二時半からの約束だ。
そもそも急な連絡でたった二十分遅れの、
二十二時五十分に来れる俺に感謝して欲しい。
「わりぃけど、すぐ入ってくれ!なんか客が急に来て、今忙しいんだ!!」
「うーっす…」
せかせかと動き回る店長を横目に、更衣室へ向かって着替える。
何で急に忙しくなってんだよ。
さっさと帰れ。
なんて、客商売としてありえない文句を心の中で吐きながら、俺は早々にホールへ出た。
…出た瞬間、やっぱり電話に出たことを後悔した。
「すみませーん!生一つ追加で!」
「こっち、レモンサワーね!」
「お兄ちゃん、さっき頼んだのまだ~?」
次から次へと飛んでくる注文。
あっちに行って、こっちに行って。
店内を目まぐるしく動き回っているうちに、さっきまで店長に文句を言おうとしていたことすら忘れていた。
「樹!ぼーっとすんなぁ!!?」
「してねぇ!!」
してねぇよ。
ただ…ただ、一瞬。
別れ際に見せてきた、悠真のあのへらっとした笑顔が頭をよぎっていただけだ。
何か言いたげに俺を呼び止めておいて…。
たった一言。
『…に、肉まんとあんまん…ありがと』
それだけ言い逃げするみたいに残して、悠真は帰っていった。
「…ったく、ガキの考えることはやっぱわかんねぇな……」
客が居なくなったテーブルを片付けながら、ボソッと呟く。
片付いた席へ、すぐに次の客を通した。
「お待ちのお客様ー!お待たせしました、こちらどうぞ!!」
「樹!次、これ4番卓!!」
「今持ってきます!」
余計な思考は、すぐに忙しさの中へ消えていく。
悠真のことも、さっきまで見ていた、あのへらっとした笑顔も。
なのに。
さっきまでの一服の時間だけは、酷く恋しく感じた。




