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第19話 王を告発する朝

【明日の王都瓦版】

公爵令嬢アリアドネ、王を告発する。

建国祭後の王都、未曾有の混乱へ――


 人は反逆を嫌う。

 だがそれ以上に、自分が間違っていたかもしれない朝を嫌う。


 白紙の問いかけが王都じゅうへ貼られた翌朝、広場は昨日までと違う種類のざわめきで満ちていた。

 《明日、あなたは誰の言葉で誰を裁きますか》。

 たった一行しかないその紙は、何も書かれていないくせに、下手な号外より多くを喋らせていた。


「見出しがないと、人は自分の口で噂を刷るのね」


 アリアドネは馬車の中で呟いた。


 今日は召喚ではない。

 出頭命令だ。

 王宮の諮問広間に来い、と昨夜のうちに通達されていた。拒めば反逆の自白。従っても罠。いつも通り、よくできた筋書きである。


 クララが唇を噛む。


「ほんとうに行くんですか」


「ええ。告発する朝に、主役が来なければ締まりませんもの」


 彼女の膝の上には、赤版の束がある。父を拘束予定とした名簿。王太子府の補給記録。母の手帳から抜いた断片。そして、乾ききらない白紙版の残り。

 どれも剣ではない。

 だが剣よりよく人を刺す。


 諮問広間の前には、すでに貴族、司祭、書記、そして瓦版売りまで集まっていた。誰も彼も、歴史の証人になりたいのではない。明日の本文を少しでも早く知りたいだけだ。


 高座には父王。その右に大司教。左には王党派の重臣たち。

 ギルベルトの姿はない。宮内謹慎の名の下に閉じ込められている以上、出られないのだろう。


 その代わり、前列にリーゼロッテがいた。


 白い衣。控えめな祈りの姿勢。誰もが安心したがる顔だ、とアリアドネは思う。

 世界はいつだって、善意に見える編集者を好む。


「アリアドネ・エルディアン」


 国王の声が落ちる。


「そなたは昨夜、王都を惑わす不穏文を無断で流布し、民心を扇動した。そのうえ本日、王を告発するとの見出しまで出した。何を根拠に、そのような狼藉を口にする」


 問われた瞬間、広間の空気が締まる。

 ここで取り乱せば、記事の勝ちだ。


 アリアドネは一礼した。


「根拠なら、すでに王都へ配られておりますわ」


 ざわめき。


「お戯れを」


 大司教が冷たく言う。


「白紙に問いを刷っただけの紙を、証拠とでも?」


「いいえ。証拠は、隠したい方のほうに多く残るものです」


 彼女は赤版を一枚、石床へ広げた。


 乾いた赤が、朝の光を吸う。


「これは昨夜、近衛の補給庫から見つかった赤版です。事件ではなく、人名だけが並ぶ要注意名簿。しかも末尾には“拘束予定”“移送先”“参考証言文”まで添えられている」


 重臣たちの顔が変わった。

 知らなかった者は青ざめ、知っていた者は無表情を急いだ。


「偽造であろう」


「では、補給記録と照合なさいます?」


 アリアドネは間髪入れず、別の帳面を開く。


「医務室から保存血が移され、近衛補給庫へ保管された記録。封緘袋の増数。夜間配布の便宜申請。すべて、昨夜の名簿運用と一致いたします」


 広間が揺れた。

 数字は退屈だ。だが退屈なものほど、逃げ道を狭める。


「問題は、紙が偽物かどうかではございません」


 アリアドネは父王を見上げた。


「なぜこの国では、罪を確定する前に、罪人だけが先に印刷されるのか」


 静寂。


「王都瓦版は未来を伝えるものだと、皆さまは思っておいででしょう。けれど実際は違う。もっと都合が悪く、もっと人間的です。あれは“最も信じられやすい順番”に出来事を並べ直した草稿にすぎない」


 喉が焼ける。

 核心に触れるたび、声の奥が熱を帯びる。だが今日は止まらない。


「王太子殿下が父王を殺す、と刷られた。けれど実際には、見出しが先に王都を殺しかけたのです。疑いを、忠誠を、命そのものを」


 国王の目が細まった。


「そなたは、王がそれを命じたと申すか」


「命じたのが陛下お一人かどうかは、わたくしにはまだ断じられません」


 そこで、リーゼロッテが初めて口を開いた。


「アリアドネ様」


 鈴のようにやさしい声だった。


「もし人々が安心できる物語を欲したとしても、それは罪なのでしょうか。混乱のたびに、誰もが複雑さへ耐えられるわけではありません」


 広間の何人かが、ほっとした顔をした。

 正しい。優しい。救いに見える言い方だ。


 アリアドネは彼女を見た。


「ええ、欲すること自体は罪ではありませんわ」


「でしたら――」


「けれど、その安心のために、他人の人生を“悪役”へ編集するのなら、それは救いではなく怠慢です」


 リーゼロッテの睫毛が、ごくわずかに揺れる。


「誰か一人を見出しで燃やし、皆が自分の良心を暖める。そんな暖炉のために、わたくしは死にません」


 空気が変わった。

 言葉が正しさではなく、敵意として刺さった瞬間だった。


 その時、広間の後方がざわめく。古参書記が一人、震える手で新しい紙束を抱えている。早刷りだ。


 父王は短く命じた。


「配れ」


 あまりに早かった。

 いや、最初からこの場で使うために用意していたのだ。


 紙が回る。人の手を渡る。視線が落ちる。

 そして息を呑む音が、遅れて一斉に広がった。


 アリアドネも一枚受け取る。


【瓦版更新】

公爵令嬢アリアドネ、虚偽文書で王権を冒涜。

本日中に身柄を確保、審問へ――


 やはりそう来たか、と彼女は思った。

 告発の朝を、反逆の朝へ差し替える。王のやり口としては凡庸で、その凡庸さがいちばん強い。


 だが、広間の空気は昨日までと同じではなかった。

 誰もがすぐには頷けない。白紙の問いが一晩かけて、読む筋肉を少しだけ作ってしまったから。


 アリアドネは新しい見出しを見下ろし、静かに笑う。


「ええ、結構」


 そして父王を真っ直ぐ見て言った。


「なら次は、わたくしが“拘束されたあと”の本文を、先に奪いますわ」

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